episode・8 マイナーチェンジ 

 朝、目が覚めてベッドから体を起こすとダルさを感じる。

 天井が回るとか頭痛が酷いとか、そんな症状まではいかないが、どうやら昨日の酒が少し残っているみたいだ。


 まだ酒に耐性が出来ていないからなのか、それとも体質的にアルコールが駄目なのかは現時点では判断しかねるけど、このダルさで頭がまだ起きてくれない。


 枕元に投げ捨てたように置いてあったスマホを見ると、午前10時を過ぎている。そういえば一昨日も帰宅してから、次回作の遅くまで構想を練っていて寝不足だったのも原因かもしれない。


「……新作かぁ」


 初めての作品は、頭にパッと浮かんだ話を勢いで書き殴った感じだった。

 だが2作品目ともなると、少し欲が出て玄人っぽい作品にしたいとか考えてしまっているからだろう。色々と考えてみてもどれも気に喰わず、執筆する前に頭の中から消去してばかりだ。


 俺は1人大きな深呼吸をして目を閉じる。

 今日は大学もなくバイトもない。つまり暇なのだ。

 ならばと前に進まない新作の構想を練ろうと意識を現実から切り離して、創作の世界に沈めてみた。


『いいから! いいから!』

『え? ちょ、ちょっと』


 ……ん?


『ほらっ! 三島さんは不茶子と違って、凄く可愛いんだから』


 ……んん?


『うん。三島さんは不茶子なんかじゃないって事だよ。見た目だって顔をしっかり出していれば、さっきのコンパだって一番人気で、瑛太なんて必死にアピールしてきたんじゃないかな』


 ……え? 何言ってんの……。


 思考を沈めたはずが、妙にリアルなのにいつもの自分なら絶対に口にしないようなセリフを吐く現実的ではない光景がが頭に広がっていく。

 全て昨晩あの子に……三島さんだっけ。三島さんに向けて言った台詞だと認識するのに、大して時間は必要なかった。


 俺は再びベッドに潜り込み頭から布団を被り言葉にならない悲鳴に似た声を上げて、両足をバタつかせて悶える事を迷わず選ぶ。


「何やってんだ……お前」


 布団の中で絶賛悶えまくっていると、不意に声をかけられた。

 布団を投げ飛ばして上体を起こした先に、部屋の入口で親父がポカンとした顔をして立っていた。


「い、いくら親子でも、部屋に入る時はノックする! これ世界の常識!」

「い、いや、何か悲鳴みたいな声が聞こえたから、何かあったのかと思ってな」


 親父の言い分ももっともだ。

 抗議を諦めた俺は「すまん。なんでもない」とだけ言いながらベッドから降りた。


「これからリビングの掃除をするんだけど、雅も手伝ってくれないか?」


 そうだった!全然暇なんかじゃなかった!今夜は再婚相手がこの狭いウチに来て、一緒に晩飯を食べるんだった。普段から掃除はマメにしているけど、親父が掃除をすると言い出す気持ちも理解出来る。


「分かった。着替えたら手伝うよ」


 俺はそう言って、パジャマ代わりに使っているスウェットを脱ぎ捨てた。


 一通りリビングの掃除を済ませて台所へ向かおうとしたところで、今晩の献立を決めていない事に気付く。まだ時間的に余裕がある時間だったが、冷蔵庫にない食材を使う献立なら買い出しが必要だ。

 もう掃除は終えたというのにさっき拭いたばかりかテーブルをまた丹念に磨く親父に苦笑いを零しながら、今晩の事を問いかける。


「まだ決めてなかったけど、今晩の献立どうする? えーと、あれ? 俺まだ相手の人の名前聞いてないんだけど……」

「あぁ、そういえば忘れてたな。成瀬なるせ 沙耶さやさんっていうんだ」


 再婚相手の名前を息子に伝え忘れるなんて、きっと親父くらいだろうなと呆れて溜息がでる。

 まぁ、俺も今の今まで気付かんかったけど。


「そう、で? 成瀬さん……沙耶さんの方がいいか。好き嫌いとか、アレルギーとかないの?」

「アレルギーはないはずだ。それに何でもよく食べる印象があるな。だから子洒落た料理よりも、ビールに合うようなメニューがいいんじゃないか? 例えば中華とか」


 なるほど、中華か。親父にしてはいいチョイスなんじゃないか?

 それにかなりガタがきてた中華鍋を新調したのにまだ一度も出番がなかったから、使ってみたいと思ってたんだよな。


「ん、いいんじゃね? でも親父も成瀬さんも明日仕事だから、ニンニク料理は作らない方がいいよな」

「あぁ、そうだな。何を作るのかは雅に任せるよ」


 俺は中華を作る事が決定した時点で、紙とペンを用意して冷蔵庫の中身の食材チェックしながら、メモ用紙にペンを走らせた。


「おっけ! んじゃ買い出し行ってくるわ」

「あぁ、それと……雅、これ」


 親父が微妙な顔つきで、2000円を差し出してくる。


「ん? この金なに? 材料費なら今晩はお祝いを兼ねてるから、俺が御馳走するって言ったろ?」

「う、うん……それは分かってるんだがな……その金は雅のカット代と言うか……」

「カット? カットって髪のカットの事か?」


 俺は髪をクシャっと握った。

 確かに伸び過ぎてはいる。


「あぁ、雅が……髪を切りたがらないのは……その、知ってはいるんだがな……」


 親父が言いたい事は分かった。そして、遠慮がちに話す訳も。

 確かに今日は親父にとって、長い目で見れば俺にとっても大切なお客を招く日だ。さすがこのままってのは失礼だよな……。


「分かった。じゃあこの金使わせて貰うよ」

「すまんな」

「いいって。ただコンセプトは変えられないからな? ただ整える程度だけどいい?」

「あぁ、それでいいよ。ありがとう」


 親父は安心した顔で礼を言うが、そもそも息子が髪を切るだけでこんな空気にしてしまっているのは、俺のせいなのに……。それを考えれば申し訳なく思う。


「それにしてもずっと雅と2人だけの食事ばかりだったから、今夜は4人で楽しく過ごせそうだな」

「おう、そうだな――え? 親父……今4人って言わなかったか?」

「言ったぞ。沙耶さんは2人の娘さんの母親なんだ。まぁ、今回は仕事の都合で長女の娘さんは来れないそうだが」

「娘がいるなんて聞いてねぇぞ! 何で親父はいつも大事な事を漏らすんだよ!」


 相手も再婚なのだから、子供がいても不思議ではない。

 それに子供がいるから、再婚を反対なんてする気も更々なかった。

 でも、いるならいるで再婚の話をした時に、娘の存在を伝えるのは常識だ。ホントに俺はこの人の息子なのかと疑ってしまう程のボケっぷりに、盛大にため息をついた。


「それはすまんかった。再婚を許してくれて舞い上がってしまって忘れていたんだと思う」

「はぁ……もういいよ。それで? その今日来る娘さんっていくつの子なんだ?」

「確か17歳って言ってから、高校2年生の女の子だ」

「そうか、分かった」


 俺はメモに書き込んだ食材の量を書き直して、今度こそ買い出しに家を出た。 

 途中、小さいけど洒落た美容院の前で足を止めた。約束通り伸ばし放題のこの髪を整える為だ。

 店で髪を切ってもらうのは、何年振りだろう。

 なるべく顔を隠したいのに、色々と言われて結局希望通りのカットをしてもらえなかった事があってから、それ以降は自分でずっと切ってきた。

 素人が自分の髪を切ると、バランスが悪くどうしてもボサボサの髪になってしまうのだが、顔を隠せらばなんでもいい俺にとってはどうでもいい事だった。


 でも今回はそうはいかない。

 だからカットだけでは、また絶対に昔のようになるのが目に見えていた俺は、親父から貰った金に自分の金を足してある事を考えて店に入った。


 カットを終えて美容院を後にした俺はその足でスーパーに向かい、食材を買い込み帰宅する。

 玄関を抜けてリビングへ入ると、親父が少し驚いた顔を見せた。


「雅……それってパーマを当てたのか?」

「うん、ゆるく当ててみた。変かな」

「いや、いいんじゃないか」


 実はカットはあくまで毛先を整える程度に抑えてもらい、全体的に緩くパーマを当ててもらったのだ。

 これなら前髪が多少もっさりしていても、不潔感をお洒落な感じに見立てる事が出来たんじゃないかと思う……あくまで自己評価だけど。


「そっか。良かったよ。それじゃ、早速料理に取り掛かるな」


 ちょっと照れ臭くなって、キッチンに入って買ってきた食材を順に並べた。

 順調に下ごしらえを終えると、時計が沙耶さん達を迎える予定時間の30分前を指していた。俺は一応の身だしなみをと自室へ戻り、部屋着から余所行きの一張羅に着替える事にした。

 本当に石嶺に選んで貰って良かったと着替えながら感謝して袖を通した。

 やがてインターホンの呼び出し音が聞こえたかと思えば、親父がリビングからドタバタと慌てて廊下を走る音が家中に響き渡る。


 あんなに慌てる親父も珍しいなと苦笑いを浮かべて、相手の人に不快な印象を与えない為にしっかりしないとと気を引き締めて、俺も自室を出て玄関に向かった。


――――――――――――――――――――――――


あとがき


 先日この作品に嬉しい初レビューを頂きました。


 天才とか書かれていて画面に向かって「いやいやいや!」と悶えていたのは内緒ですw

 でもこうして目に見える形を送ってくださって大変励みになりました。


 ノートの方でお礼を書かせてもらおうと思ったのですが、生憎その方は作品をフォローして下さってる方なので、ここに書き込ませって頂きました。


 天舞さん、とても素敵なレビューありがとうございました。

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