episode・2 先行投資
いつもの駅に着き駐輪所に自転車を預けて足早にホームへ向かうと、ホームに着くのとほぼ同時に電車が定刻通りにホームに滑り込んでくる。
本当に日本の鉄道は時間に正確だなと1人で感心しながら、車両に乗り込んだ。
「よう! 雅」
車内は少し混雑していたが苦しいと思える程ではなくぼんやりと車窓から外の景色を眺めていると、背後から声をかけられた。
「瑛太か。おはよ」
声をかけてきたのは、高校の時に通っていた同じゼミ生で毎年行われている夏季合宿で知り合ったのをきっかけに、何かとよくつるんでいる
「んだよ、今朝は
「……ちょっとな」
電車を降りて大学に向かっていても浮かない気分が晴れない俺に、大山は色々な話題を振ってくれる。
ざわざわと賑やかなキャンパスに入ってもそれは変わらず、何時も元気にはしゃぐ瑛太は俺に元気をくれる存在なのだ。
「ん? お前ちょっと酒臭くね?」
「え? マジか!?」
「飲んでたのか? 酒が得意じゃない雅にしては珍しいじゃん」
「ん。ちょっと昨日はいい事があってさ。遅くまで親父と飲んでたんだ」
「ほ~ん。相変わらず仲いいのな」
そんな事を話しながら1限の講義室に着き、適当な席に瑛太と並んで座ってテキストを準備していると、瑛太の左手に巻かれている物が目に付いた。
「なぁ、瑛太ってそんな時計してたっけ?」
「ん? おぉ! 気付いたか。へっへ~ん、バイト代で思い切って買ったんだよ」
「へ~!! 凄くいいじゃん。いくらしたんだ?」
「だっしょ~! なんと28万だぜ!」
「はぁ!? 28万って何考えてんだよ、貧乏学生のくせに!」
瑛太は自慢の腕時計を見せびらかしてチッチッチっと人差し指を左右に小さく振りながら、得意気な顔を浮かべる。
「だから、バイトのギャラで買ったんだって」
「お前そんなに稼げるバイトしてたのか!?」
おかしい……確か瑛太はコンビニの店員をやっていたはずだ。
講義サボって、朝から晩までフルでバイトしていたとしても、30万もするような腕時計なんて買える収入を得るなんて無理だろう。
「瑛太ってバイト変えたのか?」
「おう! 今はカテキョやってんの、家庭教師!」
「家庭教師ってそんなに儲かるのか?」
「あったりまえじゃん! せっかく俺らK大生やってんだぜ? この肩書を利用しない手はないだろ」
家庭教師か……俺にはハードルが高いバイトだ。
何せ自慢ではないが、俺はかなりの人見知りなんだ。
そんな俺が見ず知らずの生徒に、一対一で勉強を教えるなんて……。
「お前、コミュ障の俺に家庭教師なんて無理とか思ってんだろ」
俺はこいつはエスパーなのかと驚きながらも、黙って瑛太の読みのコミュ障という部分以外を肯定した。
「確かに、塾講はキツイかもしれないけど、カテキョはそんな心配いらねぇぞ」
「そうなのか? でも俺に場を盛り上げるのなんて無理だぞ」
「ははは! そんな事する必要ないだろ。芸人の営業じゃないんだからさ」
なるほど、確かにそうだ。
トークをする為に行くんじゃなくて、勉強を教える為に行くんだもんな。
「それに当たりを引けば、規定のギャラ+臨時ボーナスだってあるかもだしな」
り、臨時ボーナス!?なんて素晴らしい響きなんだ。
俺はその辺りの詳細を瑛太に訊くと、家庭教師を雇う家庭もそれぞれで、子供の将来の為に無理してでも家庭教師を雇う家庭もあれば、裕福で余裕がある家庭だってある。
つまり裕福な家庭に当たれば、子供の成績アップの貢献次第で個人的にボーナスを貰える場合があると言うのだ。
瑛太が今担当している生徒にそんな親がいるらしく、あの時計の資金源になっているらしい。
「な、なぁ! そのバイト俺に紹介してくれないか?」
「お! 喰いついてきたねぇ。いいぜ……いや――待てよ……」
瑛太は返事をしかけて、何やら考え込みだした。
こいつとはそれなりの付き合いだから、分かってしまう。
こういう時の瑛太は碌な事を言い出さない。
「よし! タダってわけにはいかないなぁ」
(さっきいいって言いかけてたじゃん)
「んだよ」
「紹介してやるのには、条件がある!」
「はぁ……なんだよ」
「紹介して欲しかったら、明後日のコンパに参加しろ」
「却下!」
何を言い出すかと思えばコンパとか、俺に一番不似合いな場に参加しろって何の罰ゲームだよ。
「いいのかぁ? 金! 欲しいんだろ?」
「ウグッ!」
確かに金は欲しい。
この条件を呑めば、今までの苦労はなんだったんだって大金を手にする事が出来るかもしれない。
この条件さえ呑めば……。
「さ、参加費はいくら――だ」
俺がそう言うと、瑛太の目は今まで見た事もないほど、キラッキラと輝いた。
「男は1人5千円な!」
「は、はぁ!? たっけーよ! 980円くらいにならんのか!?」
「あほか! ラーメン屋に行くんじゃねぇんだぞ! 適正価格だ! 適正か・か・く!」
「無理だ! 高過ぎるわ!」
今の俺にとって5千円は大金だ。
『目標までは我慢!』
これが俺の大学生活のスローガンなんだ。
「ほ~ん。いいのか? こんなはした金なんてカテキョで当てればすぐペイ出来るんだぞ? 言ってみればこのコンパはお前にとって先行投資みたいなもんだろ」
刺さる――先行投資という単語が、俺の心に刺さりまくる。
そうだ……このコンパに5千円投資して隅っこで大人しく座ってさえいれば、大金を稼ぐ事が出来るんだ。
「――わ、わかった。五千円だな。その変わり絶対に紹介しろよ!」
「おうよ! あ、それともう1つ条件追加だ」
「あ? ふざけんなよ! 人の足元見過ぎだろ!」
本当にふざけてる。人の弱みを突く奴だったなんて、初めて知った。
「ば~か! 熱くなんなっての。条件ってのはこれだ」
瑛太はそう言って、俺の前髪を掻き上げた。
「このボサボサで伸ばしたい放題の髪をちゃんと作って、がり勉黒縁眼鏡も外してコンタクトな! カフェのバイトの時はいつもそうしてんだろ?」
「あ、あぁ……客商売だから清潔感がないとな」
「それとこの服装もなんとかしてこい。ちゃんとした服持ってないんなら、服も先行投資だと思って買い揃えるんだな」
「え? このまま行くつもりだったんだけど、駄目なのか?」
「あったりまえだ! そんな恰好で来たら、完全に空気がおかしくなるだろが! お前は立派な戦力なんだよ。分かるな?」
(いや、1ミリも分からんのだが……)
盛り上げろとは言わないが、お前はビジュアルだけで話題になるんだと言われた。
そんなお世辞を俺に言って、何を企んでるんだと疑ってしまう。
そこで講義室に担当教授が入って来た為、瑛太は声のボリュームを絞り「時間と場所はあとで連絡するから」と耳打ちして教壇に顔を向けた。
どうやらこのままでは先行投資と言う名のコンパに、参加すらさせてもらえないらしい。
髪と眼鏡はいいとして、服装か……どうするかなぁ。
おっと、この講義は必須科目だったんだ。
俺は色々と、しかも短期間で考えないといけない事が出来てしまったが、今はこの講義が最優先だと意識を完全に必須科目の講義に向けた。
◇◆
「お疲れ様です。マスター」
「ご苦労様。雅君」
大学が引けた後、バイト先であるカフェ【モンドール】の従業員用の裏口を潜った俺は、マスターにいつものように挨拶をして更衣室に入った。
店の制服に着替えて仕上げの蝶ネクタイの位置を修正しながら、更衣室に設置してある全身鏡で身だしなみをチェックする。
「おっと、忘れてた」
服装のチェックを終えて、鞄の中からヘアワックスとコンタクトが入っているケースを取り出す。
まずはかけていた眼鏡を外してコンタクトを両目に着けて、次に適量のワックスを手に取りそれを両手の平全体に満遍なく伸ばして手先にワックスが付くように、軽く髪を掻き上げてから指先で毛先に束を作り、全体の髪型を整えた。
(ん、こんなもんかな)
ワックスが付いた手を綺麗に洗い落として、元気に更衣室から店内のカウンターに向かった。
「それでは、今日も宜しくお願いします。マスター」
「うん、こちらこそ宜しく。しかしその変わり身には未だに慣れないよ」
マスターは溜息交じりにそう言うと、苦笑いを浮かべていた。
「え? どこか変な所ありました?」
「そうじゃなくて、普段の君と今の君のギャップに慣れないと言ったんだよ」
「はぁ」
マスターの言っている意味が未だに理解できない。
そういえば、瑛太にも何度かそんな事言われたっけな。
「そうそう! 殆ど別人レベルってね」
「ん? あぁ、人見さん。お疲れ様です」
「雅君もおつかれ~」
俺の外見を変装レベルと言ったこの人は、
「別人ってどういう意味ですか?」
「おいおい……それ、本気で言ってないよね?」
俺は人見さんの言っている事に首を傾げると、「無自覚とかマジか」と人見さんもマスターと同じように溜息をつく。
今日は何故か溜息をつかれる事が多い日だな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます