Act - 7 「翼の都」

7 / ⅰ - 王子様とお姫様 -

Apru 999 A.C.蒼歴 九九九年 四の月




「ゆーうくんっ、はい、あーんっ」


 株式会社にして企業国家『アンゲロス』はその政治を司る中枢機関、執政局内第二事務所。


 軍事産業の世界トップシェア企業の取締役、千年に渡る世界大戦の未来を占う執政局の最高峰、第二席に在籍する局員とその関係者のみが入室の許されたこの厳格なる室内に、しかしあまりにも似付かわしくないほど甘い声が響く。


「ありがとう、真紀奈」


 かねてより世界大戦の年月の全て費やしを『アンゲロス』の国と民を守る為に世界に君臨していた男が第一線を退いたのがひと月前。


 後任の第一席にはその男性を支え続けていた秘書が、そして第二席には類稀たぐいまれなる活躍により高校卒業後にこの座まで上り詰めた少年、小郷 有土こざと ゆうとする運びと相成あいなった。


「えへへ、どういたしましてだよ」


 そして彼は現在、この執政局第二事務所で何をしているのかといえば、執政局第二席補佐にして有土の恋人、世良 真紀奈せら まきなから昼食の弁当を彼女の箸伝いで渡されていた。


 机越しに浮かぶ真紀奈の表情は満開の笑顔で、決して気恥ずかしさが無いとは言えないがその笑みを曇らせてはならないと観念した有土は口を開いていた。


「ごめんね、俺の食事事情に合わせてもらっちゃって」


「ううん、気にしないで」


 執政局員の中でも上層部役員ということもあり、彼女にとっては残念ながら衛生面の都合上、手料理を有土に振る舞える機会は限りなく皆無に等しくなった。


 それでも真紀奈が現状に感謝していると言う裏側には、有土とご飯を一緒の席で食べたいという想いを長年ずっと募らせていたからであろう。


「午後は最初に、あかねちゃ……ひ、火狭様との予定として、オーダーメイドした背広の受け取りとCM撮影が入ってます。それからは添氏旧第二席の引き継ぎを中心に与党幹部席の皆様との顔合わせ、夜には新第一野党を交えた懇親会が開かれる日取りとなっております」


 真紀奈は第二席補佐、秘書としての仕事を全うすべくNLC非液晶ディスプレイ───空中投影型立体映像システムによって宙に浮かばれた画面に記されたスケジュールを述べるが、その言動はまだどこかぎこちない。


 有土は彼女のそんな様子を微笑ましく見ながら優しく声を掛ける。


「仕事の話とはいえ公的な場面じゃないから、呼びやすい方で大丈夫だよ」


「う、うん」


 有土に促された真紀奈はコホンと小さく咳払いをし、スーツのスカートの皺を整えるように手で払うと、そこから見せる表情は先程の固くかしこまったものではなく、彼のよく知る花が咲くような明るい笑みだった。


「あかねちゃん、随分と気合入ってたよ。これでメンズ商品の大きな広告塔を抱え込めたから、これからは男性受けの良い綺麗目コーデとか、オフィスカジュアル系にも手を伸ばすんだー! ってスゴい張り切ってたんだ」


「そっか、元気そうで何よりだよ」


 彼女らしいと笑う有土に、真紀奈も笑みで返事をする。


 有土の相棒にして悪友もそうだが、彼が重役に就いたからと、在学中の距離感から変に畏まられずに変わらず接してくれるのは、人という人に対し背筋を正すことになった有土にとって居心地が良くありがたいものだった。


『小郷様、姫様。火狭様がお見えになりました』


 噂をすればなんとやら……とよく耳にするが、果たして噂をすれば影と言い切ってしまった方が短く済むのではないか、などと取り留めもなく考えながら、扉を隔てた向こう側で待機をしている案内役に入室を促す。


 ガコンと圧縮された空気が抜ける音と共にセキュリティが解除された重い扉が開き、彼等の待ち人が姿を見せる。


「こんにちは、小郷第二席」


 火狭ひさば あかね。


 有土の同期、真紀奈の親友にして、『アンゲロス』で最も勢いのあるアパレルブランドを取り纏める、今を時めくファッションデザイナー。有土やあかねは『優等生セレクター』───大学教育の過程を飛ばして高等学部卒業後は直接アンゲロス本社へと就職する、教育機関からの早期卒業を認められた学生として、他の同期より一足早く経済社会へ足を踏み入れていた。


「いらっしゃい、火狭さん」


 そんなあかねは、黒いスーツジャケットとセンターブレス入りのパンツスーツでシャープなシルエットを作り、白のレースニットのインナーで上品に仕上げている。


 執政局の厳粛な施設へ赴くに相応しい清らかさの中に、トレンド色をアクセントに取り入れたスカーフで首元を鮮やかに彩ることで、単なるモノトーンで終わらせない美に携わる者のこだわりが伺える。


 真紀奈のフェミニンなビビッドカラーの花柄ワンピースにネイビーのテーラードジャケットを、オフィシャルコーディネートの中に華やぐ可憐なミニブーケと例えるならば、あかねのそれは添えられて愛でられる観葉植物ではなく、自身が存在感を放つ生花のような芸術作品。


 互いの性格が反映され、しかし並べても各々を邪魔しないファッションは、二人の仲の良さも映し出しているのかもしれない。


「ご、ご苦労様です、火狭様。お茶を用意致しますので、お掛けになってお待ちください」


 真紀奈のたどたどしい案内に促されたあかねは、高いヒールのかかとを鳴らしながら、来客用のソファに腰掛ける。


 彼女達の表情を察してか、有土は苦笑混じりの嘆息をしながら案内役へと言葉を投げかけた。


「案内ありがとうございます。下がって大丈夫ですよ」


 失礼します、の声で案内役は退室し、自動扉が閉まり少年少女だけの空間となったところで、あかねが肩の力を抜いて大袈裟に溜息を吐きながら笑みを零した。


「姫様ですってね、ふふっ」

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