1 / ⅹ - それは優しい人の眼差しで -
「小郷くん、どうかしたの?」
思考のノイズを掻き消してくれたのは、心配そうに彼に呼びかける真紀奈の声だった。
苦虫を噛み潰したような顔とはこんな表情なのだろうか。
決して嫌いではないのだが、そう言って有土は申し訳なさそうにあかねの選んだコーディネイトを片してもらった。
その苦笑の中でどこか有土が安堵しているようにも見えたが、真紀奈もあかねもその真意はわからずにいた。
「なんでもないんだ……本当に」
その脳裏に呼び起されたのは、忌々しき記憶。
白を、赤く染めた、あれは───。
「……まぁ、ここでただの店員がお客様に深入りするのは、きっと野暮ってものだよね」
あかねの優しい声は影を見せていた雰囲気を柔らかく包み込み、緊張をほぐしてくれる。
「いや、いいんだ。俺の方こそ空気を悪くしちゃってごめん」
今の有土を言葉にするなら、捨てられた仔犬のような顔、とでも言うのだろうか。
そんな彼の表情を見てしまったあかねは、苦笑交じりの冗談で彼に手を述べる。
「そうよ、こんな美少女に囲まれておいてそんな表情をするなんて、贅沢すぎるんじゃない」
あかねの言葉を聞いた有土は、確かに気持ちを切り替えなくてはと失笑交じりの嘆息をする。
「ありがとう、火狭さんは優しいね」
「そういうことはまきなに言ってあげなさいな」
不意打ちに流れ弾を喰らい狼狽える真紀奈を横目に、あかねはこの後はどうするのかと有土に問う。
気付けば空の鈍色も深まり、部活動や仕事を終えた女性がこの店を尋ねる時間になる。
あかねも忙しくなるだろうと考えると、タイミング的にもこの辺でお暇(いとま)するのが丁度いいのかもしれない。
「もし『
流石はお洒落の最先端を作り出す人だけあって、流行ものには聡いものだと有土は感嘆する。
きっと一人だったら喫茶店に行くような発想はなく、真紀奈に会う前のように宛ても無くフラフラと放浪していただけだっただろう。
「それは魅力的だけど、さも当然のように巻き込まれた世良さんに悪いってば」
「そ、そうだよ。わたしも小郷くんの時間をこれ以上邪魔しちゃうのは───」
真紀奈が最後まで言葉を言えなかったのは、あかねにただならぬ表情で睨みつけられたからである。
そのまま小さく手招きをするあかねに、少し怯えながらも真紀奈は近寄る。
「小郷くん、またちょっとまきな借りるから、少し待っててもらえる?」
「お、おう」
有無を言わさぬ物言いの彼女に対し、有土は反射的に首を縦に振る。
「あんたね、そんなんだからいつまで経ってもいい人で終わっちゃうのよ」
「うっ」
痛いところを突かれた真紀奈はたじろぐ。
「いい? もうすぐバレンタインも近いんだし、小郷くんが好きなものとか知っておいたほうがいいんじゃないの?」
「こ、小郷くんはミルクチョコよりビターチョコ派で、ベリー系より柑橘系のほうが好きだから、バレンタインはオランジェットを作るつもりだよ」
「……は?」
てっきり何も知らない真紀奈が慌てふためくものとしか想像していなかったと、思いもよらぬ返答を聞かされたあかねが思わず間の抜けた声を漏らす。
と同時に、この悩みの種はよもやもすれば、芽を出すどころか花が開きそうなくらい大きくなっているのではないかと、眉間に指をあて溜息を吐きながら真紀奈に言葉を向ける。
「試しに聞くけど、小郷くんの誕生日は?」
「一〇の月の第四の日。『
「……小郷くんの趣味は?」
「色んな機械を造ることだよ、『
「───小郷くんの初恋は?」
「そっ! それ、は、わからない、けど……今まで恋人がいたことはないみたいだよ。この前も整備科の後輩に告白されたけど、断ったんだってさ」
もっと聞いてほしいとねだるように、話せば話すほど眼に輝きを増す真紀奈とは対照的に、聞けば聞くほどあかねの表情は歪んでいく。
先程よりもより一層大きな溜息を吐いたのちに、真紀奈に言葉を突き付けるように言い放つ。
「あっきれた……つまり何? そんなストーカーまがいの情報量がありながら、数年間、今日の今日まで何にも行動出来なかったってことなの?」
その言葉は図星と深く突き刺さったようで、嬉々とした表情は一瞬でシュンと陰りを見せた。
「……わっ、わたしだって、今日こそはってお弁当を作ってきたりしたんだもん……」
真紀奈の弱々しい言い分を聞きながら、そうだったとあかねは昨晩、どうしよう、ちゃんと出来るかな、と夜が更けるまでボイスチャットで泣きつかれたことを思い出す。
思い返せば、奥手だからこそ行動が出来ずに彼の情報ばかりが溜まっていって、逆に言えば臆病だからこそ今まで気まずくならずに、ずっとこの距離感で居続けられたのかもしれない。
「ほんとだよ? わたしだって、わたしにだってもうちょっとでも勇気があれば、もっと……」
それは自覚しているようだし、ならば、今の自分以上に本人もずっと悶々としていたのではないか。
そう考えれば今日のお昼は彼女にとって随分と大きな前進だったのだろう。
彼の好きな食べ物を遠巻きに聞き出して、彼の好物だらけのお弁当を作って、そうして、今までずっとずっと機を伺っていたのだろう。
そして結果的に渡せなかったとしても、こうして自分には泣きついたりしても、きっと彼には何も言わず遠慮してしまうのだろう。
一歩でも二歩でも引いてしまうような少女。想いは誰よりも強いのに、見ていられなくなるほど引っ込み思案な少女。
それが中学生の頃からずっと一緒にいる親友、あかねの知る世良真紀奈だった。
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