シリアル☆キラー

石田宏暁

最後は必ず私が勝つ

 朝は六時半に起きて目覚ましを止める。脱ぎ散らかしているワイシャツや下着類を洗濯機に放り込んでから、彼の部屋と私の部屋のゴミ、台所と洗面台のゴミを集める。


 目蓋を擦りながらつけたモニターからは、今朝のニュースが流れている。


『独り暮らしの女性を狙った悪質な連続殺人事件です。火災報知器の点検やケーブルテレビの無料設置などの話には、くれぐれも気をつけて頂きたいですね』



 最近は彼の帰りが遅いせいで、夕飯をともにできていない。起こしてくれればと思うけど……もしかしたら私に興味がなくなったのかもしれない。



『いずれも、強盗や暴行の目的だといわれていますが、犯人は未だに……』


 ゴミだしの後は、洗い物を済ませて軽い朝食を作る。フレークとパンケーキが毎朝の定番だった。彼が勤めている中小企業はコロナ渦にあっても仕事の手を緩めてはくれない。


「ふぁああっ、おはよう。マヤ」


 手を変え、品を変え、単価を下げてでも数字を取るために彼をこき使う。一方では、仕事量が激減しても給料が保証される部署もあるというのに。


「おはよ。昨日も残業、遅かったのね」


 責任感の強い彼は、それを一手に引き受けているみたいだった。彼はどんな面倒で惨めな仕事でも投げだすことはない、そういう誠実な人だった。


「疲れた顔してるわよ、無理しないでよ。もう若くないんだから。他の人は時短にしたり有給休暇をとったりしてるんでしょ? 手を抜いたって、休んだって別にいいのよ」


「あの会社じゃ、三十台後半でもまだ若手なんだよね。新人を雇える状況でもないし。それに、僕が手抜きしたりミスしたら、君だってガッカリするだろ?」


「しないと思うけど」


「ああ……それは君が僕を尊敬、崇拝してるから」


「ぷっ、してないけど」


「ふふふ。でも、今の仕事が落ち着いたらちゃんと休むさ。そしたら遊園地に行こう。ジェットコースターに乗ってお化け屋敷に行こう」


「ダーくんは、ほんといつまでも子供なんだから。行くなら、もっと夜景の見えるレストランとか旅行とかがいいわ」


「ははは。分かったよ、全部行こう。マヤ、君だって本当は忙しいのに、家事を押し付けてしまって申し訳ないって思ってるんだ。ちゃんと埋め合わせさせてくれ」


 彼はいつも別れ際に、ぎゅうっと私を抱きしめてくれた。頭をぽんぽんと叩いて、行ってくるね、と笑った。


 そんな生活がずっと続くと思っていた。でも彼と私は結婚出来ない運命だった。彼は私だけの物じゃなくなってしまった。

 

 ――そう、あの女が現われてから。


               

        ※


 程塚涼子。彼女は大介と同じ会社に勤める契約デザイナーだった。


 百貨店や量販店に限らず、小売りの売上は激減しており、ファッション業界や婦人服業界は悲鳴をあげていた。


 ブランドを担当する正社員は、アプルーバルを取るため、海外のブランドとメールのやり取りに追われた。誰も現場を顧みなかった。



 だから度々、営業と企画は衝突する。そういうシステムだった。役員は喧嘩すれば、新しい商品が生まれるきっかけになると言い、敵対する構図を気にもかけなかった。


 だが実際は喧嘩にもならない。原因はコロナなのだ。口をきかないのだから、喧嘩のしようもなかった。


 自粛ムード、国からの助成金や保証をあてにする会社。その最中、誰より熱心に仕事に向き合う彼女の存在は、彼の中で大きくなっていた。


「大介くん。販売員のはなし聞いてきたよ、他社の売れ筋も。お客様は完全にブランド離れしてるわ」


「だから言ってるじゃないですか。売り場の意見を取り入れなきゃ、生き残れませんよ。持ってるんでしょ、新しい企画のアイデア」


「……私の契約は今年で打ち切られるけど、あなたが売れると思うなら、いくらでもアイデアはある」


 二人は商社やブランドカラーを無視して企画を通し、売上を伸ばした。家庭用品衣料や、洒落た介護服にも手を伸ばし何社ものバイヤーがそれに食いついた。


 無我夢中で仕事をした。彼は三年前に妻を亡くしてから、自分が人生でこれほど前向きになれると思っていなかった。


 一年がたち、彼女は荷物の整理をはじめた。どんなに努力を重ねても客足の遠退いた店では昨比を維持するのも奇跡に近かった。


「もうすぐ、契約期間が切れる。あなたと仕事が出来て楽しかった」


「程塚さん。毎日のように残業に付き合ってくれたのに、会社を説得出来ませんでした。すみません」


 どんなに新たな販売ルートが出来ても、中堅営業と契約社員が評価されることは無かった。


 タイミングが悪かった。社会全体の価値観が変化している時代に、誰かを評価することは誰にも出来なかった。


 

 駅のプラットフォームで彼は、寂しげな彼女の目を見た。終電間際で人気のないベンチに座り、雲に隠れた月を眺めた。


「前から考えていたんですが、僕のパートナーになってくれませんか。仕事じゃなく、人生の」


「契約はもうこりごりよ。あなたの正社員にしてくれるなら、考えるわ」


「……もちろん、正式にプロポーズさせてもらいます。僕は本気です」


「なら、商談成立ね。さすがは私が見込んだ営業さん」


 彼女は笑顔を噛み殺し、真剣な目をした。震える顎に彼がそっと手を添えると、唇が重なりあった。


    

        ※

     

     

 私は武蔵野線に乗り、二時間かけてその女に会いに行った。彼との関係が、遊びや金銭目当てだとしたら、殺してやりたいと思った。


「こんにちは」

「まっ、マヤ……ちゃん。突然どうしたの? よく来れたわね」


 マンションのドアを叩くと三十台半ばのやつれた女が顔を出す。昼間から酔っているのか酒と煙草の匂いがたちこめている。女の目は窪み、肌は褪せていた。


「お引っ越しのお手伝い、しますよ」


「な、なんか悪いわ。気を使わせてしまって。どうぞあがって」


 程塚涼子は広いマンションにたった一人で暮らしていた。異臭のする玄関から多少は片付いている応接間へ案内された。


「これからダーくん、いえ大介さんのこと頼みますので、少しくらい手伝わせてくれないかなって、思って」


 彼がどうして、こんな女に惹かれたのかをどうしても分からなかった。彼女とダーくんの共通点が分からない。


 会社の知り合いに聞いても、彼女の素性を知るものはいないようだった。仕事以外の彼女を知る者が全く居ないのだ。


「あ、ありがとう。でも大分片付いたから、お茶でもしましょう」


「ちょうど良かったわ。パンケーキを焼いてきたの。土台にグラノーラを使ったシリアルパンケーキなんだけど」


 壁際のダイニングテーブルに座って彼女を見た。フォークを持つぶくぶくした指は芋虫のように気持ち悪かった。


「あなたが焼いたのね、美味しそう。何を飲む? コーヒーかホットミルク、炭酸水ならあるけど」


「お水でいいわ」


 彼と私は紅茶派だった。お酒も煙草もやらないし、味の好みも合いそうにない。引っ越し中の部屋を見渡しても趣味に共通点は見当たらない。私は聞いた。


「それより、程塚さんのこと知りたいわ。どうして彼をものにしたのか、興味があるの」


「えっ、ええ、そうね。あなたには全部話すつもりだったのよ。でも、ものには順序があるでしょ」


 彼女はばつが悪そうにフォークを口にはこんで、手のひらを降った。とても美味しいという仕草だろうが、声にはならなかった。しばらくすると、彼女は立ち上がり、短い嗚咽を繰り返した。


「………あっ……あっ」


 突然、彼女の身体がプルプルと震えだした。顔面蒼白で目の焦点はぶれ、赤い唇からは汚ならしい、よだれが糸をひいていた。


「あっ……あっ……!!」


 パンケーキには睡眠薬を練り込んである。料理は得意なほうなんだけど、分量を間違えたかしら。こんなに速く効くなんて。


「……あっ」 


 食器とフォークが音をたてて床に転がり、彼女は前のめりに倒れた。私はゆっくりとバックからダクトテープとビニールテープを取り出して、震える彼女を縛り付けていった。


 うるさいから目も口もふさぐことにした。両手、両足が縛られると、彼女は本当に芋虫みたいにうねうねと動いた。


 直接聞いたら早いとも思ってたけど、スマホと手帳を見せてもらえば、大体は分かるはずだ。どうやったら彼の気をひけるのか、どうして彼の忠誠を勝ちとったのか、どうして彼を奪ったのか。


「……んぐ……っんぐ」


「…………」


 私は彼女の鞄から手帳とスマホを出して、どういう人間か調べることにした。写真やスケジュール、名刺やレシートをまさぐった。



 あっという間に二時間がたっていた。私はキッチンから持ち出した包丁を洗い、元あった場所に戻した。


 シンクの棚には日記帳があった。誰にも見られない場所に隠していたようだ。私はパラパラとそれをめくった。


「……そ、そんな」


 私は息を飲んだ。彼女は親会社から特命を受けて送りこまれた契約社員だった。つまり、ただの契約社員ではなかった。


 あらゆるデザイン賞、莫大な報酬額、輝かしい経歴が並んでいた。私にはまったく歯が立たない別世界の人間だと知った。


「ど……どういうこと。ダーくんは彼女がクビにならないよう、頑張っていたのではないか。むしろ、この人に助けてもらっていた?」


 彼の会社が親会社に営業権を譲渡するのは、二ヶ月後。程塚涼子は、秘密裏に優秀な人材を引き抜きに来ていたのだ。そこには大介を推薦すると、はっきりと書いてあった。


 こそこそと会っていたのはその為だった。私は取り返しのつかないことをしてしまった。やっと決心がつくと救命救急に電話をかけ、逃げるように部屋を去った。



        ※



 深夜の街をさまよった。遠くで、警察のサイレンが聞こえた。私はあの部屋を出た後、行くあてもなく歩いていた。どこへも帰れなかった。


 程塚涼子は気を失ったままだった。生きているのか死んでいるかも分からない。慌ててダクトテープを剥がしロープをほどいた後、怖くなって逃げたのだ。


 真っ暗な道を、何時間も歩いた。どこに向かっているのか分からないまま。暗闇には小さな虫が何十、何百も蠢いている気がした。


 シャッター街を曲がったところに、若い警察官と、腕組みした年配の警察官が待ち構えていた。歩き疲れ、もう逃げるつもりも無い私の行くてを阻んで、言った。


「お嬢さん、どうして声をかけたか分かるよね?」


「……はい」


 私は連行され警察車両パトカーに乗せられた。身分証は持っていなかったので、職務質問がされた。深夜、私は車窓から流れていく景色を見ていた。若い警察官は私に話した。



「おじさん達、警察官は子供が夜遅く一人で歩いていたら補導しなくちゃいけないんだ。補導って意味わかる? 麻耶マヤちゃん、まだなんだよね。あんなところで、何してたの」


「……はい。新しいお母さんに会いに行ったら迷子になっちゃって」


 ダーくんは、マーちゃんが死んだとき、悲しみに暮れて何も出来なくなってしまった。もう四年も前になるけど。


 私は一生懸命、家事やお手伝いをしてダーくんが立ち直れるように頑張ってきた。そして、やっと幸せな日常を取り戻したとき、ダーくんは恋をした。


 恋に落ちてしまった。もし、ダーくんがまた傷ついたら、二度と立ち直れないと思った。それだけは許せなかった。


 明け方、自宅前に着くと、ダーくんは息をきらして私の乗った警察車両パトカーに駆けよった。その隣にはあの程塚涼子も立っていた。


「大丈夫か! マヤ」

「マヤちゃん、無事だったのね」


 後で分かったことだが、父親の部屋にあった睡眠薬を何粒か練り込んだ程度で、人は死なない。


 彼女がひきつけを起こした原因はアナフィラキシーショック。パンケーキシンドロームと呼ばれる一種のダニアレルギーだった。


 日本人の二人に一人はアレルギーを持っているという。きちんと密閉していない粉に、ダニが繁殖していた。それに加え彼女の肉体が疲労困憊していたために起きた偶然だった。


「 マヤ! こんな遅くまで、本当に、本当に心配したんだぞっ」


「マヤちゃん、私……気絶してしまってごめんなさい。あなたのせいじゃないの。救急車を呼んでくれたの、あなたよね?」


 二人は私をぎゅうっと抱きしめてくれた。泣きながら、本気で私を心配してくれていたのが分かった。


「ごめんなさい、ごめんなさい! うえーん、うええーん……怖くなって、わたし、怖くなって、飛び出して、迷子になって、ごめんなさい! ごめんなさーい」


「いいんだよ、いいんだよ。マヤが無事なら」

「そうよ、マヤちゃんは悪くないのよ」


 

 父親ダーくんも、新しい母親マーちゃんも本当のことを知らない。私が昔の母親マーちゃんを殺したのも、あのパンケーキだったことを。

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