第6話 晩年のこころ
肉体や精神というのは年月をかけて衰退し、蓄積された自我の底なし沼に埋没してゆく。
異国からの使者が地方新聞の小説欄に投稿した『さらば愛しき私』の一文は、彼にとっては遺作となり、その強烈な文面は遺言のようでもあった。
加代ちゃんは結婚して子供を授かり、調布の飛行場の近くの一軒家で家族と暮らしている。
おけいちゃんは息子の死後、気丈に振舞いながら小料理屋をきりもみしていた。
常連客と笑ってカラオケを披露したり、新たな店のメニューにカレーライスを追加してはからかわれたりもした。
小料理屋にカレーなんて、洋食屋じゃあるまいし等々。
しかし吾輩は知っていた。
カレーライスは異国からの使者の大好物だったのだ。だから仕込みの際はおけいちゃんは毎回泣いていた。
女と酒と、借金と煙草にまみれた息子の生涯は、肺癌という病によって幕を下ろしたのだが、想い出が周りの人々を不幸にしているのではないか。ならばひとりぼっちで生きていく選択があっても良いではないか。
吾輩はそんな事を考えるようになっていた。
元来、群れで行動する身分ではないのだから。
おけいちゃんは、吾輩を溺愛するようになった。
常に膝の上に乗せられ、頭や顎を撫でられては色んなことを話しかけられる。
吾輩は『ニャーニャー』言うだけで、意思疎通は出来ないでいた。それがもどかしくて悔しかった。
人という存在は脆い。
人はつまらない事に振り回されながら生涯を終える。意地、プライド、他者との関係性、金、異性、見栄、外見。
愛や情けを叫びながら、遠くの『死』は空言で、近くの『死』にうろたえながらも何故だか力強さを発揮する。
吾輩がよく耳にする言葉は、実に合理的であると思う。
人であるが為に生まれた響きには、仲間意識と孤独な心根が混ざり合っている。
『人それぞれだから』
吾輩はその言葉が大好きだった。
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