零れた荷物

「おい、起きろ」


 ふくろうを思わせる低い唸りが夢の続きを掻き消した。


 幻想から醒めた風景は白い壁で形成された物静かな一室。引越し直前の生活が自身を取り囲む。


「大樹。もう時間だ。その雑誌も車に乗せるんだろ、さっさと仕舞え」


 時間、か。


 ぼんやりとした頭で目覚まし時計を取ろうとするが、それはすでにダンボールの中。

 場違いな行動を父は愚弄する。


「寝ぼけているのか。ったく、片付けだけでヘタレやがって。そんなヤワにしたつもりはないんだがよ。ほら、いくぞ」


 そう言い残して、父は木造のドアを開いた。外からは四輪駆動車のエンジン音がぐわぐわと唸る。


 湖に浮かぶアヒルは呑気に仕事を待つのだった。


「……どこに行くってんだよ」


 長く伸び、不揃いな髪をがしがしと掻き分ける。冷たい床から上体を起こし枕替わりにしていた雑誌を掴んだ。


 今年……否、去年度発行された地域向けの雑誌。「二月号」という文字の転写された風景写真を一枚捲る。


 その後はしばらく興味の無い項目ばかりが粗雑に並ぶのみ。

 淡々とツヤのあるカーラページを捲っては眉をひそめた。


 何度この動作をしただろうか。すっかり折れ目の付いた二十一項。誌面の下半分を占領する絵画コンクールの受賞者リストに俺の名前が載っていた。


永礼大樹ながれ たいき 十九歳」


 雑誌に自分の名が載ったという事実は大変心地の良いものだ。旧友に見せつけて奴らの驚く顔が見てみたい。


 だが、それには足りない。足りないのだ。


雑誌に載るのは俺の名前だけで――作品は載らなかった。


 頁の丁度真ん中には四つの作品。最優秀なる作品が一つ、その下に優秀賞を取ったらしい絵が三つ。もう出た結果が変わらないのは分かっている。

 だが、それでも誌面を睨む感情に変わりはない。


 最優秀賞の作品「訪れぬ春」は確かに素晴らしい作品だ。


 作者である「春日舞」の才能は俺の目から見ても衝撃的といえる。去年からよくその名前を見かけていたのだが、どうやら本物の天才らしくこんな地方雑誌のコンクールに参加しているのは作者の落書きだ、という噂を聞いたことがある。


 彼女――実際の性別はわからないが――の作品は暗澹としている一方で一点の光が差してるような平穏さを孕んでいた。


 不気味さと安寧が共存した作風は自分の目指すべき境地であり、ぶっちゃけてしまえば彼女に認められることが俺の目標だったりする。


 だが、他の――優秀賞なるモノは平凡な絵に過ぎないと思う。


 その絵に俺の作品が"負けた"という事実が信じられなかったし、ついでに言うと自分の人生が滅茶苦茶にされた腹いせでもある。


 俺の作品が誌面に載ること。

 即ち、優秀賞を取ることが絵を続ける為に父と誓った約束だった。


 それが果たせなかった俺はこうして、専門学校を中退して実家の家業を継ぐことになったのだ。


「どうすりゃいいんだよ」


 雑誌を閉じ、空白の将来から目を背ける。


 ――元々、父の課した期限はあまりにも厳しかった。専門学校の入学から一年で賞を取れなんて無謀にも程がないだろうか。


 学校での成績も酷かった。

 座学に興味はないと言ったら担任教師に怒鳴られた。

 だから中退の話が出た時も味方がいなかったのは自分でも馬鹿らしいと思う。


 俺は何をやっているんだろうな。


 脳内の喧騒を黙らせる為、ポケットからスマホを手に取りソーシャルネットサービスに逃げるのだが。


 何となしに見たニュースが、即座に喧騒を収めるのだった。


『天才画家の卵、割れる――』


 そんな煽り文句と共に記事へのリンクが淡々と張られていた。

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