第15話 それは勇気を出した青春の1ページのような






「篠崎主任、終電間に合いますか?」


「私は大丈夫だ。あと40分ほど猶予はある。白井くんこそゆっくり歩いていても大丈夫か?」


「おれも……まだ二本くらい余裕ありますね」



 春とはいえまだ少し肌寒い夜の街を、リョウと篠崎主任の二人は歩いていく。


 終電間近のオフィス街は閑散としていて人通りも少ない。



「何はともあれ、無事に終わって良かった」


「本当にお手を煩わせてしまってすみませ……」



 くぅーっと伸びをする篠崎主任。


 それにリョウが頭を下げて謝ろうとしたところ、物凄いジト目で見つめられたので。



「……じゃなくて、ありがとうございました」


「うむ、よろしい……なんつって」



 大仰な様子で篠崎主任はうんうんと頷いた後、可愛らしく舌を出した。


 それから普段の強気な表情ではなく、柔和な笑みを浮かべて優しくリョウを見つめる。



「君はこの会社で一人ではないし、今は高卒だからといって不遇な扱いをするようなバカな連中もいない。だから安心して他の誰かを頼る、ということを覚えていてくれ」


「肝に命じておきます」


「ぜひそうしてくれ。さしあたりは直属の上司の私を頼ってくれたらいい」



 はっきりとそう言ってくれる篠崎主任の姿は、異性ながらとても頼もしい。



「ですね。一生ついていかせてもらいます」


「い、い、い、一生!?!?!? そ、そ、そ、それってつまり今後も末長くよろしくお願いしますとかそういう感じな…………ゴニョゴニョ……」



 かと思えば、次の瞬間には顔をボフンと真っ赤にさせて言葉尻を小さくゴニョゴニョと話すものだから、この一年蓄積されてきたイメージと違いすぎてリョウは少し戸惑う。


 有り体にいえば、強気な美人を精一杯演じている愛らしい小動物だ。


 普通に可愛い。


 篠崎主任は上司であるが年下であるため、これはスズを相手にしている時のような感覚に近いのかもしれない。


 

(……っと、そうだ)



 一応終電までに家に帰れることをスズに知らせておこうと、リョウはスマホを取り出してチャットを送る。



「? やはり終電がまずいか?」



 その様子を疑問に思った篠崎主任が、終電を気にしていると勘違いして話しかけてきた。



「あ、いえ、一応妹に帰れることを連絡しておこうと思いまして。先に泊まり込みになるかもと伝えてしまいましたから」


「ああ、昼に話していた世話をしてくれているという」



 リョウがメッセージを送ると、三秒後には既読がついて了解というメッセージと忠犬のスタンプを送り返してきた。


 やはり先に寝ることはせず起きて待っていたらしい。



「妹さんもこの辺で仕事をされているのか? それとも大学に通われているか」


「えっと、こっちの美術高校に通ってます」


「まだ高校生なのか。……え、白井くんとはだいぶ歳が離れていないか?」


「ちょうど十歳差ですね」


「ということは十六歳か。なのに炊事も洗濯もしてもらってるとは…………よっぽど見るに耐えない私生活だったのか」



 篠崎主任のリョウを見る目が、少し憐んだものになっていて心が痛い。



「……最低限のことはちゃんとしていましたよ」


「ほんとに最低限だったのだろうな」


「うぐっ…………それは、妹に比べれば見劣りするレベルの家事でしたけど」



 あのレベルの家事を仕事終わりに普段からやれと言われても完遂できる自信が全くない。


 そんなリョウの様子に篠崎主任はあきれ気味に。



「まぁ、君は仕事に真面目だからな。ならば家事をきちんとしてくれる奥さんでも貰えばいいさ」


「家事をきちんと、ですか」


「そうだ…………わ、私も家事くらいなら人並みにはできるつもりでいるが」


「うちの妹みたいに成人男性が一日に取る栄養素を考えた食事に、衣類の生地の種類ごとの洗濯、アイロンがけ、果ては部屋の隅から隅までホコリひとつない掃除を毎日できる人なんているんですかね……」


「白井くんの妹さんはそんなことまでやっているのかっ!?」


「なんなら昼ご飯に何を食べたかまで詳しく聞かれてますし」


「健康管理完璧かっ!」


「ついでに言うと毎朝スーツの身嗜みチェックもされてますし」


「もはや嫁だなっ! え? 同じ女性としてすごく自信が奪われていくのだがっ!?」


 

 篠崎主任は頭を抱え、自分の中の女子力と話に聞いたリョウの妹との女子力を比べる。


 そして間違いなく完敗していることを悟った。




 気づけば二人は駅へと到着しており、オフィス街とは打って変わって辺りには人もまばらにいる。


 飲み会帰りのおじさんやたむろしている高校生、あとは……大学生のカップルとか。



「篠崎主任は何番線の電車に乗るんですか?」


「……」


「篠崎主任?」


「え? あ、えっと、すまない、聞いてなかった」


「いえ、何番線の電車なのかなと……」


「あぁ、二番線だが」



 どうやら人目もはばからずいちゃつくカップルの様子に目を奪われていたらしく、篠崎主任は反応が少し遅れていた。


 何か思うところでもあったのだろうか。


 だがそのようなことを不躾に聞くのも憚られ、リョウは至って普通の別れの挨拶を口にする。



「てことはここでお別れですね。おれ三番線なんで、逆方向ですから」


「そ、そうか」

 

「ではまた来週の月曜日に」


「あぁ、また」



 改札で別れ、リョウはホームへの階段を上って電光掲示板に目を向ける。


 次の電車は、あ、もう来る……



「白井くん!」


 

 思わず呼ばれた名前にあたりを見回すと、リョウは向かいのホームで手をメガホンの形にしている篠崎主任を見つけた。


 何か言い忘れたことでもあっただろうか。


 向かいの篠崎主任にリョウが首を傾げると。



「今度の日曜日! 私とデートしてくれないか!」


 

 首を傾げたまま、石像のように固まってしまった。





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隣に引っ越してきたJKが生き別れの妹だった件について 雨空 リク @Riku1696732

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