第14話 あの人はやっぱりとても優しい真面目な委員長タイプ
「っふー、ようやく半分…………山場は越えたか……」
リョウは椅子の背もたれへと体重を預け、たまりにたまった疲労を少しでも和らげるために息を深く吐く。
リョウ以外誰もいない薄暗いオフィス。
今日は残業で帰りが遅くなり、最悪泊まり込みになるとスズに連絡はしたが、先にご飯を食べて寝ていてくれるだろうか。
…………多分ないな。
ここ最近のスズを見ていると、自分が帰ってくるまで玄関先で正座して待っていそうなほどだ。
これは仕事を早く終わらせて帰らなければ。
終わらせて…………終わる量じゃないけどさ。
「さてとっ、もう一踏ん張りして…………あつっ!」
身体を背もたれから起こそうとした途端、突如として首筋に走った熱にたまらずリョウは叫んだ。
誰もいないはずのオフィスでバッと後ろ振り返ると、それはもうひじょ〜に不服そうな顔をした篠崎主任がリョウを見下ろしていた。
「…………お疲れ様です篠崎主任。まだいらっしゃったんですね」
「白井くんの方こそ、とっくに終業時刻は過ぎているのだが、一体何をしているんだ?」
氷点下に冷め切った目で凍えるような声色で話しかけてくる篠崎主任に、リョウは年上ながら恐縮してしまう。
「えっと、新規プロジェクト用プレゼン資料の作成……ですかね」
すごすごと答えるリョウに篠崎主任は額に青筋を立て、
「昼間に聞いたときには、問題ないと、そう答えたよな?」
「……ですね。今日と明日を使ってやれば月曜にはちゃんと間に合うかと思いまして」
そしてその答えにさらにさらに青筋を立てた。
「だ、か、ら! なぜ君はいつもそうやって一人で抱え込もうとするんだ!」
「いや、抱え込んでいるわけでは……」
「いいや! 抱え込んでいる。一人でなんとかしようと躍起になっている」
「でも実際これはおれの仕事で」
「なら聞くが、そのプロジェクトを今の段階で動かしているのは君一人だけか?」
その問いかけにリョウは一瞬言葉が詰まり、
「おれと……篠崎主任の二人です」
「そうだ。私もいる」
その答えに篠崎主任は満足そうに頷いた。
「ですけど、与えられた仕事をこなしきれないというのはやはり……」
「元々君への負担が大きいことは分かっていたことだ。なのに君はそれを普段の仕事に加え、新人教育もこなしつつやっていた。それに甘えてしまっていた私の責任でもある」
「いえそんな……」
「年下で主任という歪な上司だが、頼ってくれていい。一人より二人でやった方が早く片付くだろう」
ふふん、と得意げになる篠崎主任を前にリョウは効果的な反論など思いつかず、後に言えたことといえば。
「ですが、それだと主任が家に帰るの遅くなってしまいます」
「ふふっ、それを君が言うのか」
完全に棚上げした台詞でしかなかった。
篠崎主任は苦笑しながらリョウの隣のデスクへと座り、リョウの抱えていた仕事を半分さらっていった。
そして代わりに缶のブラックコーヒーを差し出してくる。
「奢りだ。少しきちんと休め。確かこのコーヒーが好きだろ?」
「…………ありがとうございます」
先ほど首筋に当てられた缶コーヒーを受け取り、口をつけて一息つく。
その間にも篠崎主任は残っていた仕事を手早く片付け始めた。
そして片手間に仕事を片付けつつも、話しかけてくれる。
「……去年までは、うちの父が経営している会社なのに理不尽な環境で働かせてしまい、本当にすまなかった」
「え?」
「君の、前の上司の話だ」
「あ、あー……」
咄嗟に話題を振られてなんのことか分からず、リョウは首を傾げるも、その後に続いた言葉でなんとなく納得する。
「別に気にしてないからいいですよ。おれ高卒ですし、それがこんな大企業で働かせてもらってるってだけで感謝してますから」
「いいや良くない。君が四年間も受けてきた待遇を考えれば、本来は会社側がなんらかの補償をしなければならない事案なんだ」
六年前。
高卒としてこの会社に入社してきたリョウを待ち構えていたのは、いわゆる学歴ハラスメントというものだった。
当時の直属の先輩、それと追従していた他二人に奴隷のようにこき使われ、先輩の仕事は丸投げされて手柄は全て相手のもの。
過剰な激務をこなすために連日連夜泊まり込みでただ愚直に仕事をこなしていた。
そして先輩もうまく立ち回る人間であり、部署内でさえその話が丸四年間明るみに出ることもなかった。
「もう終わったことですから。問題の先輩連中は一人は辞めて、他二人飛ばされていなくなりましたし、これ以上おれが求めるものなんて何もないですよ」
「いやしかし……もっと早くに気づいていられれば、君が過労で倒れることだってなかったんだぞ」
「そういえば、そんなこともありましたね」
篠崎主任が入社した年、まだ新入社員出会った頃、リョウは若さだけで突き詰めてきた労働に耐えきれず、ついに倒れたことがあった。
あれももう、一年前のことになるのか。
「私がもっと早く入社していれば、あんなことには」
その言葉を聞いて、ふとリョウはある可能性に思い至る。
「……もしかして先輩たちが飛ばされたのって、主任が?」
その問いかけに篠崎主任はキーボードを打ち込んでいた手を止め、ビクっと反応した。
「さ、さ、さあ、なんのことやら」
「…………そうですか」
明らかに挙動不審になる篠崎主任を前に、リョウは特に追求することはしなかった。
思い返してみればこの一年。
篠崎主任が上司になってからの日々を思い返すと、それまでの日々とは大きく変わっていて。
日々口うるさく言われ続けた小言も、リョウの健康を心配するスズと重なるものが多々あった。
リョウはおごりで貰った好みの缶コーヒーを一思いに飲み干して一言。
「篠崎主任って、優しいんですね」
「にゃっ! きゅ、急になにを言うか!」
恥ずかしそうにする篠崎主任を横目に、気合を入れ直して仕事へと取りかかった。
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