第10話 ツンデレらしい後輩主任と






「……篠崎主任、何やってるんですか?」



リョウに名前を呼ばれた女性は背筋をビクッと震わせ、顔をすいーっと背ける。


そしてゆっくりと自分の席に何事もなかったかの如く座ろうと。



「ひゃうんっ!」


「あ、え? あ! す、すみませんお客様! そこはまだ濡れて……」



座ったところに、ぶちまけた冷水が飛び散っていたらしい。


なんとも可愛らしい悲鳴が聞こえてきて、耳まで真っ赤にしているのが後ろ姿でもよく分かった。



「……」


「……」



無言で立ち尽くす篠崎主任と、声をかけたが話を切り上げるタイミングを見失ってしまったリョウとの間に漂うとても気まずい雰囲気。


そこでオロオロと見かねていた幼い店員さんが、精一杯の笑顔である提案をしてくれた。



「あ、あのっ、お知り合い……でしたら、一緒の席で食べられますか?」



……っすー。


チラリと梶原くんの方に視線をやると、もうなんと言っていいか分からないような表情で固まってしまっている。


あれは多分……遠慮したいって気持ちなのだろうか。


正直なところリョウだって遠慮したい。


昼休みくらい心穏やかに過ごしたい。


それは篠崎主任も同じ気持ちだろう。


だが……



ーーニコニコ……ニコニコ……ニコっ……



ニコニコ笑顔で提案をしてくれた小さな店員さんを前に、リョウと篠崎主任は空気を読んで断ることなどできやしなかった。


この笑顔を前に面と向かって、『いや、結構です』という言葉を口にする勇気など一体誰ができようか。


なのでその想いに応えようとリョウは精一杯の営業スマイルを浮かべ。



「良かったら、ご一緒しますか?」



キラキラと輝いて見える営業スマイルで篠崎主任に相席を誘った。



「すまない、それじゃあお言葉に甘えるよ」



そして同じく篠崎主任も惚れ惚れとするような営業スマイルで応えた。


お盆を持った篠崎主任が颯爽とリョウの隣へと座る。



「ごゆっくりどうぞ〜」



小さな店員さんがいなくなった瞬間に、テーブル席にどんよりと雲がかかる。


残されたのは同僚三人。


うちわけは主任(女:24歳)、平社員(男:26歳)、新入社員(男:22歳)。


うん、非常に……気まずい。


皆メインのおかずに手をつけることはなく、定食についてきた味噌汁を延々と啜っている。


だがお椀から味噌汁が無限に湧き出てくるような秘密の道具などあるはずもなく。


一番早くに味噌汁を飲み干した篠崎主任がお椀を置いて一つ。



「白井くんは……彼女ができたのか?」


「ごほっ! ごほごほっ! ……は、はい?」



そして思いもよらない爆弾投下にリョウは盛大にむせる。


向かいに座っている梶原くんも軽く咳き込んでいるようだ。



「ほ、ほら、さっき梶原さんとそんな話をしていたのが聞こえてきたのだが…………梶原さん、そんな話をしていたよな?」


「え、あ、は、はい! しておりました!」


「その、白井くんに彼女ができたのは、間違いないのか?」


「はい! 僕の観察眼が正しければ、まず間違いないと思われます!」



篠崎主任を前に背筋をピンと、昼休みとは思えない気合の入りようで梶原くんはとてもハキハキと答える。


そんな梶原くんの答えを受けて篠崎主任は不安げにリョウの方を見てくるので、とりあえずリョウは。



「……まず梶原くんが、おれに彼女がいるって結論になった理由を聞いてもいい?」



額を軽く押さえながら、この訳の分からない話題の元凶を作った梶原くんへと質問を投げかけた。



「えっとですね、僕が一週間前に入社してきて最初に抱いた先輩への印象が、なんというかその……廃れた社畜って感じでして」


「え、おれ梶原くんからそんな風に見られてたの?」


「梶原さん、君はよく分かってる。白井くんはどうしようもないほど根っこから社畜精神が染み付いていてな」


「篠崎主任まで……」


「一見身嗜みは綺麗に整えてますけど、スーツの下のシャツは結構シワがあったり、ネクタイはよれていたり」


「そうそう、髭だって口周りはそれなりにちゃんと剃っているんだが、顎裏とかはたまに剃り残しがあるんだ」


「先輩って昼ごはんは基本的にコンビニのおにぎりかパンしか食べていないじゃないですか。だから朝と夜もきっとそんな感じで、普段の食生活の不摂生がたたってか歳の割に肌もボロボロですし」


「あとちゃんと睡眠を取ってないから目の下のクマもすごい…………ま、まぁ、それが可愛いってことも……ゴニョゴニョ」



調子良く二人してリョウをディスっていたところ、なぜか篠崎主任の最後の言葉だけ言葉尻がすぼんでいった。


篠崎主任は、んんっと喉を鳴らして誤魔化す。



「何より」 「何より」



そして続け様に、真正面と真横、上司と部下はそこで言葉を区切り。



「基本的に生気が皆無なんですよね」


「基本的に生気が皆無なんだ」



怒涛のダメ出しに終止符を打った。


いや、息がピッタリすぎて示し合わせてたんじゃないかって疑いたくなるレベルなんだが。



「…………で、そのディスりがどう彼女ができたことに繋がるわけ?」


「ああ、いやっ、ディスりってわけじゃ……いやディスりですね。すみません」


「梶原さん、そんなことはどうでもいい。続きを早く」


「あ、はい! ええっと、僕が入社当初はそんなディスられる要素が満載の廃れた社畜だった先輩が、最近はその要素を段々と無くしてるんですよ」



ビシッとさながら推理で犯人を追い詰める名探偵のように、梶和くんは自分の観察結果を披露していく。



「今着ているシャツはアイロンがけもきっちりとされてますし、ネクタイだってしっかりと締められてます」


「そういえば、確かに……」



真横に座ってくる篠崎主任がリョウのシャツやネクタイをマジマジと見てくる。


……アイロンがけはスズがやってくれたし、ネクタイも締めてみたいって言うからやらせたんだっけ。



「髭も剃り残しだってないですし、最近の先輩、無意識なのかは知らないですけど、食生活にも気を遣ってかコンビニ弁当にはサラダを携えてます。今だってほら……」


「……ほんとうだ」



篠崎主任の視線がリョウの顎下、そしてリョウが追加で頼んだトンカツ定食のサラダへと移った。


……髭の剃り残しと、食生活の改善はここのところスズに口酸っぱく言われてるからなぁ。



「そのおかげで肌はとても健康的でツヤツヤ。なのに目の下のクマはそのまま! …………先輩の社畜要素が、寝不足以外は改善されているんです。寝不足以外は、です。これが意味することはつまりっ」


「ごくっ…………つ、つまり?」



スラスラとハイテンション気味で推論を並べていく梶原くんを前に、リョウは極めて呆れ顔で、篠崎主任はごくっと喉を鳴らし、そして。



「同棲するレベルの彼女が、先輩にできたのでしょう!」


「ぐふぅっ…………」



梶原くんからドヤ顔で導き出された結論に、なぜか篠崎主任がテーブルへと沈没した。


なんだか面倒くさくなったリョウはそんな二人を完全にスルーし、トンカツを一切れ口に運ぶ。



「うん、うまい」


「どうですか? どうですか先輩? 僕の推理は合っていますか?」


「大外れも大外れだよバーカ」


「えぇっ!? この完璧な推理のどこに間違いがっ?」


「色々と言いたいことはあるけど、とりあえず梶原くんの印象が今日でちょっと変わったとだけ伝えとくわ」



素っ気なくあしらうリョウをよそに、梶原くんは顎に手を当ててブツブツと何かを呟いている。


自分の推理の間違いでも探しているのだろうか。


と、横で突っ伏していたはずの篠崎主任がリョウのシャツの裾を引いて、



「ん、どうかしましたか主任?」


「ほ、本当なのか?」


「? 何がです?」


「その、か、彼女……が……いないというのは」



何を考えているのかは分からないが、こちらも普段の強気な態度とは真逆の印象を受ける篠崎主任に、リョウは少し戸惑いつつ。



「いませんよ。おれがここのところ元気なのは、最近こっちに妹が引っ越してきたからです。不甲斐ない兄の面倒を見てくれてるんですよ」



正直に答えた。


その答えに篠崎主任は嬉しそうに。



「そ、そうかっ! よくできた妹さんなんだなっ」



ぱあっと光を取り戻して目の前の昼食を食べ始めた。



「あぁ、なるほど! 家族の方がいらして……あれ? でもそれならなんで睡眠不足に?」



ついでに言うと、梶原くんも一瞬納得顔になり、それからまた別の疑問に頭を悩ませ始めた。


……夜寝不足なのは、その妹が相も変わらずベッドに潜り込んでくるからだよ。





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