第39話 ヘタレ発覚

 平野ひらのさんに豪華ディナーをご馳走になり、帰宅した俺たち。

 ご両親への挨拶がまだとはいえ、もはや何の障害もなくなったと言っても過言ではない。

 つまり何が言いたいかと言うと、キスから先への進展だ。

 最悪の場合の男としての責任の取り方も、平野さんならきっと認めてくれるはずだ。

 もはや俺を縛るかせは何もないのだ。


「い……愛依いとい、今日のお風呂だけど」

「あっ、今日も壮一郎そういちろうが先に入ってくれる? 私シャワーでいいし」

 な……なんだって?!


 ……今日もお預けなの?

 ……ていうか最近ずっとだよね?

 もしかして……俺……避けられてる?


 けど、避ける理由が見つからない。

 さっきの結婚前提の話しも、嫌がっている感じは全くなかった。むしろ満足気だった。

 なのに避けられている。

 

 はっ……!

 これはもしかして?


 俺はひとつの可能性に思い至った。


 それは……“倦怠期”だ。


 俺の情報筋によると、倦怠期は、付き合いたて、付き合って半年、付き合って1年目に起こりがちだと聞く。

 俺たちの場合は……付き合いたてに該当する。

 倦怠期を放置すると、最悪の場合別れに発展してしまうこともあるという。


 い……嫌だ。

 別れたくない。

 こんな幸せ絶頂で別れるなんて、受け入れられる筈もない。


 倦怠期を乗り越えるには、一旦距離を置くことも必要だと聞く。


 い……嫌だ!

 愛依と距離を置くなんて絶対に嫌だ。


「ねえ壮一郎、お風呂入らないの?」

「え、あっ、いや、入るよ! 入ってくる」

 とりあえず、シャワーを浴びて頭を冷やそう。いや厳密には温めるのだけど、とにかく一旦思考をクールダウンさせよう。


 ——シャワーを浴びながらさっきの続きを考えた。

 平野さんに会いに行く前、愛依は、

 “私……帰りたくない”と言った。

 これは言い換えれば、離れたくないってことだ。

 それだけじゃない。

 今朝の不意打ちのキス。

 財部たからべ先輩へのヤキモチ。

 もしかして倦怠期じゃないんじゃないか?

 だとしたら何で、一緒にお風呂に入ることを拒絶する?

 違うか……俺は一回も誘っていない。拒絶されたわけではないな。


 はっ……!

 これはもしかして?


 俺はひとつの可能性に思い至った。


 俺は愛依に“試されてる”のではないだろうか?

 これまで俺は、自分のヘタレっぷりで数々のチャンスを逃してきた。

 これは剛を煮やした愛依からの試練かもしれない。

 だとすると……今夜が、


 今夜が勝負だ。


 ——風呂から出た俺は、布団を敷き、愛依が出てくるのを待った。

 シャワーの音を聞くだけどドキドキしてきた。

 まだ愛依はこの場にすらいないと言うのに。やっぱり俺のヘタレっぷりは相当なものだ。

 次のステップ云々よりも、このヘタレっぷりをまずどうにかしろという愛依からの無言の激励なのだろう。

 ただ待っていると言うのは手持ち無沙汰かつ、不安を煽る。かといって何かしようにも、落ち着かない。どう転んでも落ち着かないことは確定している。

 でも、落ち着け俺……あんまり上がり過ぎると本当に心臓が止まっちゃうかもしれない。


 シャワーの音が止まった。


 ここからの愛依の行動は2バージョンある。一旦脱衣所から出てきて、飲み物を飲んでから髪を乾かすパターンと、そのまま乾かすパターンだ。

 できれば前者であって欲しい。このままいきなり布団インするよりも、一旦リラックスして、会話の切っ掛けを作っておきたい。

 

 だが、俺の願いも虚しく、ドライヤーの音が聞こえてきた。

 

 そして俺は、ここで自分の過ちに気付く。

 一旦リラックスして会話の切っ掛けが欲しいなら、こんな準備万端に布団を敷くんじゃなくて、デザートでも用意しておけばよかったじゃないか!


 布団を片付けるのは流石に気配でバレる。だから今更布団を片付けるわけにはいかない。……デザート……デザートだけでも用意するべきか。

 って、さっき高級ホテルで高級デザートご馳走になったばかりだし!

 くっ……万策尽きたか……なんて頭を抱え込んでいると。


「どうしたの? 壮一郎?」

 愛依が髪を乾かして出てきた。


「いや、ちょっとデザートでも作ろうと思ったんだけど」

 何、言っちゃってんだ俺?!

 デザートの可能性は今潰れたばかりじゃないか!


「えっ、壮一郎ってそんなに甘いもの好きだったの?」

 いや、甘いものはそんなに好きではない。勉強や仕事が立て込んでいる時に、脳へ糖分補給するためチョコレートを摂取するぐらいだ。むしろ最近では、ラムネの方が効率がいいと言うことで、チョコレートすら食べなくなった。


「ほ……ほら、さっき食べた洋梨のソテー・アイスクリーム添えが美味しかったから、ちょっと復習しようかなぁっと思って」

「あーっ! あれ美味しかったね! 壮一郎、作れる?」

「うん、今のうちなら味覚えているから材料書き出して、ちょっと研究すればできるんじゃないかな」

「えっ! 本当!」

 目を輝かせて急接近する愛依。

「う……うん、多分大丈夫」

「わー嬉しい!」

 まあまあ本気で喜ぶ愛依。

 怪我の功名か、リラックス会話の切っ掛けにはなったけど、ちょっと罪悪感がある。

 なんかごめん愛依。


「壮一郎、明日買い出し行こ!」

「う……うん」

 俺はとりあえず、記憶にある味で材料をスマホにメモった。


「えへへへ」

 上機嫌な愛依。

「どうしたの?」

「なんか幸せだなって思って」

「幸せ?」

「旦那さんが料理上手で」

 だ……旦那さん。


 なんか俺は自分の心がとてつもなく汚れているような気がした。

 愛依は純粋に俺との将来を思い描いてくれているのに、俺はキスの次のステップのことばかりだ。


 だが……必要な事だ。

 幸せな未来を築くのに、次のステップは必要なことなのだ。

 

 だから、俺は……!


「愛依!」

 俺は意を決して愛依の肩を掴んだ。


「ど……どうしたの?」

 言わなきゃ、言わなきゃ……!


「俺……その……」

 この後に及んで俺がまだまだ、モジモジしていると、

「壮一郎、もしかして……したいの?」

 愛依が頬を赤く染めながらも切り出してくれた。

 神様、愛依様、2度目のチャンス、ありがとうございます!


 そして俺もついに……、

「う……うん、したい、キスのその先がしたい」

 言った、2度目のチャンスでやっと言えた!


 しかし愛依は、

「まだ無理だよ……」

 俺を拒絶した。


 なんで、なんで無理なんだよ……何でだよ!

 視界が真っ暗になりそうになった。

 落ちていきそうだ……このままダークサイドに落ちていきそうだ。


 俺が絶望しかかったその時、


「まだ終わってないから」

 愛依から謎のワードが飛び出した。


 “終わってないから”って……なにが?




「……」




 あ……、

 俺はようやく気付いた。


 ここしばらく湯船につからない愛依。

 そして数々のお預け。

 “よく我慢できました”のお褒めの言葉。



 愛依は……、



 愛依は……女の子の日だったんだ。

 

 気付くと自分の今までの振る舞いが急に恥ずかしくなってきた。

 

 なにが倦怠期だよ!

 なにが試されてるだよ!


 全然違うじゃないか……。

 だはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!


 あ……穴があったら入りたい。

 むしろ穴を掘って入りたい。


 そんな頭を抱えて悶える俺を見て愛依は……、

「あれ? 壮一郎……もしかして……気付いてなかった?」

「え……あ、な、何のことかな?」

 すっとぼけてみても無駄だった。


「気づいてなくて、我慢してくれていたってことは……」

 ダメだ、愛依……その先は言わないでくれ!


「壮一郎って、もの凄いヘタレなんだね」


 ぐはっ!

 笑顔で引導を渡された。


 そして愛依は、

「ねえ壮一郎……」

 上目遣いでじーっと俺を見つめて、

「また練習する?」

 魅惑的な提案をしてきた。


 きっとヘタレを治すための練習だよね?

 抱き枕の時以上に刺激的なんだよね?


 今日も長い夜になるかもしれない。

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