第36話 朝物語

 今朝は愛依いといより先に目が覚めた。

 まだ起きるには早い時間だ。

 もう一寝入りするのもいいけど、この寝顔を見ないのはもったいない。

 俺はじーっと愛依の寝顔を眺めていた。

 今は当たり前になりつつあるこの生活も、少し前まではなかったことだ。

 人生どこでどうなるか分からないものだ。


 ……分からないと言えば、昨日の愛依。

 随分いつもと様子が違った。

 布団に入ってからは、ご褒美? お仕置きタイムだったからノーカンとしても、

 ご両親のこと……何か隠している気がする。

 話してくれるまで待つか、あるいは問い詰めるか。

 悩ましい選択だ。

 ……まさか家出?

 ……いや、流石にそれはないか。

 もし、家出なら学校に連絡が入っているはずだ。

 だからその線は薄い。


 ……考えても分からなかった。

 やっぱり俺が愛依の事を思い出すしかないのかもしれない。


 しかし……可愛い。


 ほっぺツンツンしたら怒られるだろうか?


 俺は恐る恐るツンツンしてみた。

 愛依は一瞬眉をひそめたが、大丈夫だった。

 柔らかい……もう一度やってみたい気持ちもあったけど、我慢した。


 ……我慢したと言えばキス。

 昨日は結局、あれから一度もキスをしてくれなかった。

 おやすみのチューもなかった。

 ……愛依のぷるんぷるんの唇。

 流石に今したらまずいよね?

 

「……」


 この一瞬で色々葛藤したが、やめておいた。

 まだ、焦る時間じゃない。

 おはようのチューのチャンスもあれば、行ってきますのチューのチャンスもあるのだから。

 更に俺は考える。

 付き合ったってことは……この先も、求めていいんだよね?

 でも……どうやって?

 俺から手すら繋いだこともないんだぞ?


 ……今こうしてる間だって、触ろうと思えばおっぱいやお尻だって触れる。

 そして俺は彼氏なんだ。

 触っても何の問題もないはずだ。

 

『……触ってみる?』

 

 俺の脳内で悪魔が囁いた。

 ダメだダメだ、ちゃんと起きている時に、同意の上でないと、触っちゃダメだ。


 でも……でもだよ?

 仮にそれが受け入れられたとして、最後まで致してしまったって、子どもが出来てしまったら、俺はどうすればいい?


 お金……必要だよね。

 ……まあ平野さんに頭を下げて雇ってもらえば、そこそこの稼ぎになるけど、学校は辞めなきゃだよな。


 ミッシー、青戸、未央、財部先輩。

 少ないとは言え、友達もできはじめたのだ。今、学校を辞めたくないな。


 だが……俺も男だ。


 キスの先には非常に興味がある。

 そのためにはまず、愛依の身体に触るところからだ。

 でも、愛依は寝てるし、今触るのは、どう考えてもルール違反だ……って、さっきも触っちゃダメって結論になったじゃん!


 ……堂々めぐりだ。


 うぐぐぐぐっ……この究極のお預け状態。

 俺は一体どうすればいいんだ?


 なんてウンウンしていると、

「おはよう」

 愛依が目覚めた。


「お……おはよう」

 何もしていないのだけど、やましい心が言葉をつまらせる。


「どうしたの? 壮一郎そういちろうその手」

「へ」

 愛依に言われて気付いたが、俺は指を何とも言えない変な方向に曲げ、硬直させていた。

 ……もちろん触るのを抑えていたからだ。


「ねえ壮一郎……もしかして、触りたいの?」

 ば、ば、ば、ば、ば、バレてるぅぅぅぅ!

 なんだ、この気恥ずかしさは……そうだ、誤魔化さないと……早く誤魔化さないと!


「や……やだなぁ、そんな事ないよ」

 そして俺はこの言葉を後悔することになる。


「ふーん、そうなんだ。彼氏だし、触りたいなら別に触ってもよかったのに」

 な、な、な、な、な、なんだてぇぇぇぇっ!

 ぜ……前言撤回とかアリかな?

 それはそれで、あからさま過ぎるか……俺のバカ! めっちゃハードル上がったやん!


「あれ? どうしたの壮一郎?」

 俺がムニムニしていると、愛依はいつもより胸を強調してきた。

 こっ、これは……なんの試練なんだ!


「愛依……その」

「なーに?」

 あざとい笑顔を浮かべる愛依。

 もしかして……読まれていたのか?

 俺の思考を全部読んだ上での行動なのか?


「その……やっぱり」

「どうしたの?」

 分かっていてはぐらかす愛依。

 この心情……素直に吐露するべきなのだろうか。

 もうダメだ……理性が爆発しそうだ。


 そんな俺の思いを知ってか、愛依は馬乗りになり、

「壮一郎はしたいの?」

 核心にせまった。


 したい……したい! したいに決まってるじゃないか!


「う……うん」

 俺としては頑張ったつもりだった。でも俺の頑張りは足りなかったようだ。


「壮一郎は何がしたいの?」

 満面の笑みの愛依。朝から既にご満悦だ。

 なんだろう……昨日のお仕置きは、まだ終わってなかったの!?


「ウリウリ」

 愛依は俺の頬を指先でねじねじして、答えを急かす。

「壮一郎は、私と何がしたいのかな?」

 そ……そんな目で見つめられたら俺!


「愛依、俺!」

「さぁ、起きよっか」

 朝のタイムサービスは終わった。


 俺は自分の不甲斐なさを責めた。


 しかし!

「壮一郎、よく我慢できました」

「んぐっ!」


 愛依は、不意に俺の唇を奪った。


 お預けにお預けをくらって、ついに昨日は出来なかったキス。


 “空腹は最高のスパイスだ”じゃないけど、今朝のキスの幸福度は、焦らされたこともあって相当ヤバかった。

 俺……男なのに、完全に身を預けて、目までつむってしまった。


「さっ、用意しよ」

「う……うん」

 この朝の幸せに後ろ髪引かれる俺だった。




***



 身支度を整え外に出ると、

「「おはよう」」

 未央みお財部たからべ先輩が待っていた。


「おはようございます。どうしたんですか? 2人揃って朝から」

 ニヤニヤしている未央と、妙にもじもじしている財部先輩。


優梨ゆうりが話あるんだって、ほら」

 財部先輩は未央に背中を軽く押され、つんのめるような感じで俺の前に来た。


 昨日の印象と随分違う財部先輩。

 こんなこと言うと失礼かもしれないけど、今日の財部先輩の方が断然可愛い。


「そ……壮一郎……あんね、あーし、昨日ちゃんとお礼言えてなかったら……」

 そういえば昨日は怒られて終わったんだっけ……それにしても昨日のチャキチャキした感じが嘘みたな財部先輩。なんか声も可愛いし。


「あの……あり……がと」

 頬を染め伏し目がちな仕草での、ありがとう。

 ヤバイ……やっぱ芸能人。めっちゃ可愛い。

 

「お気遣いなく、俺が勝手にやった事なんで」

「いや、でも……壮一郎……危険な目にあわせちゃったし」

 昨日のアレは気にするなって方が無理か。


「じゃぁ、俺がピンチの時は財部先輩が助けてください」

 俺にとっては、ほんのギブアンドテイクのつもりの言葉だった。

「うん、いつでも頼って! すぐに駆けつけるから!」

 でも、思ったよりも過剰に反応してくれた。

 そして、

「それと……昨日みたいに優梨でいい」

 財部先輩は軽く火種をまいた。

 この言葉に反応したのは愛依で、横っ腹を肘でわりと強めに突かれた。


「あ、轟ちゃん」

「はい?」

 そして財部先輩は、

「本当にごめん」

 愛依に深々と頭を下げた。


「ど、ど、ど、どうしたんですか」

 これには愛依も驚いていた。


「彼氏……危険な目に合わせちゃったし……その」

 ……その?


「いろんな意味で」

 俺が、財部先輩の言った色んな意味の意味を知るのはもう少し先のことだった。


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