第27話 おあずけ

 あのあと未羽みうは、何度も俺を“真面目か”と罵ってはいたが、すぐに帰った。

 俺たちの様子を見て、今日が特別な夜になると察してくれたのだろう。


 そう……今日は俺にとって特別な夜だ。


 なんてったって愛依いといと正式に付き合った、はじめての夜なのだから……、

 特別じゃないわけがない。


 ……同じく特別な夜だった同棲初夜に、先に眠るという、とんでもない失態を犯した前科が俺にはある。


 もう、同じ失敗は繰り返えせない。


 当然のように気合が入る。


「愛依、今日は俺が夕飯の支度するよ。生徒会もあったし、疲れてるだろ」

「ううん、大丈夫……壮一郎そういちろうこそ……私を追いかけて……疲れたでしょ?」


 もう分かっていると思うけど、俺は頭でっかちのもやしっ子だ。

 体を動かすことは得意ではない。

 でも不思議と愛依を追いかけている時は疲れなかった。

 きっとアドレナリンが爆発していたのだろう。

 

 それと……、

「いや、それが不思議と全然疲れていないんだ……きっと嬉しいことがあったから……」

 愛依と付き合えた喜びで、疲れなんか吹き飛んでしまったからだ。


「壮一郎……それは私も同じだよ」

 ぐはっ……!

 上目遣いで見つめながら、なんてことを言うんだ……破壊力が強すぎて、心臓止まるかと思ったよ。

 可愛い! 俺の彼女超可愛い! 幸せだ! 明日地球が滅亡しても後悔はない! 


 ……それは嘘だ、まだイチャラブしていない。


「じ、じゃぁ一緒に作ろうか」

「……うん」

 恋人になってはじめての共同作業です。


「愛依は、何か食べたいものある?」

「お鍋!」


 な……鍋だと……、

 彼女と2人で鍋をつつく……このシチュエーションに憧れない男子がいるなら見てみたい!

 なんか胸熱だ……俺の願望……次々と叶って行くじゃないか……しかも愛依と!

 やっぱ明日地球が滅亡しても後悔はない!


 出汁の味付けは愛依に任せて、俺は具材を切った。


「なんか凄いね……」

「何が?」

「包丁捌き……プロの料理人みたい」

「そ……そうかな」

 実は動画サイトでめっちゃ研究した。

 やっぱ正しいフォームを身に付けないと効率は上がらない。先人の技術を動画で簡単に盗めるなんていい時代だ。


 ——そして鍋の準備はあっという間に整った。


「「いただきます」」


 ん……これは……、

「うまい!」

 味噌鍋だった。


 いや匂いで分かってはいたけど……あの絶品味噌汁を彷彿とさせる絶妙な味付けだ。

 もしかして愛依は味噌マイスターなのか?

 幸せの味だよ!


「良かった」

 でも……ひとつ残念なのは、どんなに幸せな味でも、愛依の笑顔から得られる幸せには負けてしまうことだ。幸せだなぁ〜俺。


「壮一郎……私、ひとつ気になることがあるんだけど……」

「気になることって何?」

 ……心当たりがない。



「いつの間に未央先輩、呼び捨てになったの? 未羽ちゃんも呼び捨てにしてたよね?」

 幸せの笑顔が威圧の笑顔に変わった。


「いや……それはその……」

 しばらく蛇に睨まれた蛙状態が続いた。


「はぁ〜」

 大きくため息をつく愛依。

「何となく状況が分かるからいいよ……でも、これからは彼女がいるんだから気をつけてね!」

 彼女……なんて甘美な響きなんだ。

「う……うん、以後気をつけます」


 愛依のヤキモチがいいスパイスになり、美味しく鍋をいただいた。

 愛依が俺にヤキモチを妬く……なんて幸せなんだ!

 

 改めて恋人同士になったと実感する。


 ——洗い物を一緒にするのはもはや暗黙の了解だ。

 愛依が食器を下げる、俺が洗う、愛依が拭いて食器棚に収納する。

 こんなスキームが確立している。


「じゃ、そろそろお風呂いれてくるよ」

「……うん」


 お風呂を入れるのだけは変わらず俺の仕事だ。


「ねえ、壮一郎……」

「うん?」

「私、お風呂、一緒に入ってもいいよ?」


 ぐはっ……!

 愛依……何を唐突に、意識を失うかと思った。


「もう私たち……恋人同士でしょ……毎日はあれだけど……たまになら」

 頬を赤く染めて照れている仕草がたまらない。


 嬉しい提案だ。

 素晴らしい提案だ。


 でも、流石に唐突すぎる……心の準備もできていない……一緒に入りたいけど……どうする?


「嫌……なの?」

 ぐはっ……、

 追い討ちをかける上目遣い。

 嫌なわけない、嫌なわけないけど……。


「愛依……俺、ひとつ不安なことがあるんだ」

「不安なこと?」


 愛依と暮らし始めて、最初の数日は、浮かれているだけで、正直何も考えていなかった。

 その頃の俺なら今の状況も『喜んで!』の一言で済ませていただろう。

 でも、愛依のことがはっきりと好きだと分かってから、俺は段々と色んなことを考えるようになった。


「俺たちは同棲している。

 誰に干渉されることもない。

 つまり、自分たちの意思以外で歯止めの効かない状態だ。

 

 欲望というのはどんどんとエスカレートする。

 最初は一緒にお風呂に入るだけで満足していても、そのうちにその先を望む。

 

 もし、それが日常化してしまって、欲に溺れた時、

 俺は愛依をそういう目でしか見られなくなるんじゃないのか?

 事実さっきのキスも、頭がどうにかなりそうだった。

 俺はそれが不安だ」


「壮一郎……きっとそれは大丈夫よ?」


 え……何?

 心読まれた?

 俺まだ何も言っていないよね?


「あれ……心の声だったの? ごめん、聞こえてたよ」


 ま……まじかぁぁぁぁぁぁぁ!


「ありがとう、そこまで考えていてくれたんだね」

 悶絶する俺に優しく微笑みかけてくれる愛依。


「い……いや、まあ……そうなんだけど」

 恥ずかしい……いや、この際、好都合か……うまく説明する自身なかったし。


「嬉しいよ、壮一郎……私、男の子ってそんなふうに考えないと思っていたもん」

「そんな事はないと思うよ!」

「そうかな? きっとそれは壮一郎だからと思うけど」

 そんなものなの?

 好きな人をいつまでも大切にしたいって純粋な想いなんだけど。


「分かった。じゃぁ壮一郎の気持ちを汲んで、今日は別々に入ろうか?」

 え……それはそれでなんかとてつもなく残念な気が……。


「どうしたの壮一郎?」

 愛依の顔が悪戯っ子の顔に変わっている!


「うぅ……どうもないです」

「本当に?」

 うぅ……何て可愛い顔で誘惑するんだ……決心鈍るじゃないか。


「私は壮一郎と一緒に入りたいなぁ」

 耳元で吐息混じりの声でささやく愛依。

「ひゃぁう!」


 なんて、ことするんだ……。

「私……壮一郎となら、してもいいよ」


 ドクン!

 ドキドキが一気にピークに達した。


 してもいいって……あれだよね?


 もしかしてこれは、据え膳食わぬは何ちゃらってやつなのか!


「愛依……やっぱり俺!」

 意見を覆そうとした俺の唇を愛依の人差し指が押さえつける。


「もうダメよ……壮一郎。今日はお預け……次のチャンスはちゃんと掴んでね」


 な、な、な、なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!


「じゃぁ、お風呂入れてきてね!」

「は……はい」


 ……なんというか、俺の意見が通った形だけど、してやられた感が半端ない。


 でも、焦る必要はない。

 俺達は今日、恋人同士になったばかりなのだから。



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