498 盛者必衰
天界。
ようやく権力の座を取り戻した百舌鳥は悠々と職務に励んでいた。件の転生者たちは気になるが、それも過ぎ去ったこと。
すべての責任を翡翠に押し付け、自身の地位は全く揺らいでいなかった。いつものように愚かな転生者をかどわかすために偉人の皮を被る。
新たな転生者の影が現れる。
「ようこそ。あなたは神に選ばれ――――」
一瞬、百舌鳥の動きが止まる。その姿は巨大な蟻。かつて散々頭を悩ませた転生者の姿だった。
「あんたの名前は――――」
百舌鳥にとって致命傷になる言葉が紡がれる寸前。巨大な杭が蟻の体を縫いとめる。
「ぷ」
巨大な蟻は手を、口を動かそうとするが杭はびくともしない。
「ぷ、ははははは!」
突然呵呵大笑する百舌鳥。
「ざーんねーんでーしたあああ! お前の目論見なんかお見通しだよ! 名前を言い当てるつもりだったんだろ! 対策くらいしてるっての! ま、俺の名前をお前らなんかが言い当てられるはずないけどな! あっはっは!」
醜悪に顔を歪ませた老人は品性という言葉から対極に位置していただろう。身動き一つ取れなくなった紫水を嗤い続ける。
「いやー楽しいなあ。クズが打ちのめされるのは楽しいなあ! お前さあ、ちょっとやりすぎたんだよねえ! 世の中を乱した! だからお前は転生させる前に拘束できる! ま、消滅させるにはもうちょっと時間をかけなきゃいけないけど……仕事を片付けるまでちょっと待っててねえ?」
厭味ったらしく声をかけ、次の転生者にとりかかろうとする。すると目の前には銀色の髪の少女、ファティが今にも口を開こうと――――。
だが。
それもまた巨大な杭に阻まれる。
少女は顔をゆがめてひれ伏す。
「あーあ。くっだらねえ! 二人ががかりならどうにかなると思ってんのかあ? こいつが死んだ後にお前が来るくらい予想できてたんだよ! あ、お前も世の中を乱したから犯罪者だぞ! あーあー。マジでクズだよなあ! てめえの力を振りかざして大虐殺なんてさあ!」
少女は眼に涙を浮かべながら、抗議の声をあげようとする。だが手足どころか唇さえ動かせない。
「はあ~? 何その表情? 私悪くありまっせ~ん、って言いたいのか~? んなわけねえだろ! てめえは自分の意志で殺しまくってんだよクソ転生者があ! あーはっはっは」
汚らしく勝利を確信し、爆笑する。もはや誰にも自分を止められないと確信しての行動だったのだろう。
しかし、その笑みは一瞬にして消える。いや、先に消えたのは。銀の髪の少女、ファティだった。
「あ……? 何が? いや、消え――――」
そして。再び自由の身になったファティが百舌鳥の目の前に現れた。
ありえない。
驚愕に目を見開く百舌鳥に向かってファティは百舌鳥の心臓を突き刺す言葉をつぶやこうとしていた。
「あなたの名前は――――」
だが、それを言い終わる前にまたしても杭が動きを止める。
「な、何が!? ちっくしょう! 今の、備えてなけりゃ死んでたぞ! おいてめえ! 何故、どうやって拘束から脱出し――――!?」
またしても消えるファティ。だが百舌鳥も次にどうなるのかは予測できていた。
「あな――――」
「ぬああ!」
再びの拘束。混乱は冷めつつあるが全く原因に心当たりがない。そして三度、消える。
同じことを十度ほど繰り返したのち。完全に我を取り戻した百舌鳥は現れたファティに提案した。
「わかった。お前の拘束はやめる。その代わり、何がどうなっているか説明しろ」
ファティたちでは自分の名前を明かすことはできない。その自信からかそう言いだし、ファティもそれに応えた。
「いいですよ。一言で言うと私は何度も殺されています」
「はあ? いや、そんなに何度も死ぬはずがないだろうが!」
「いいえ。そもそも死の定義とは何かを考えだしたことから編み出した作戦らしいですよ」
伝聞系であるのはほぼ全て紫水の作戦に従ってのことだからだ。
彼はまず転生するために死ななければならないという途轍もなく当たり前の常識を疑った。例えば現代の医学的には人の死は脳死であると判断されることが多い。
医術の進歩によって今までなら死亡した患者も蘇生することになったことから、死の定義は常に更新され続けてきた。
そして、脳を砕かれても、心臓を貫かれても死なないファティはどこからどこまでが死なのか。そして、転生者として天界に招かれるためには本当に死ななければならないのか。結論は、ここにあった。
「私が死亡するたびにここに来る。でも、私は死んでも生き返る。少なくとも天界のシステムはそう判断しています。生き返った瞬間にここにいる私は消滅します。同じ人物が世界に二人いることをシステム的に認められないそうですね。でも、それまではこの天界で活動できます」
「つまり、お前は死と再生を繰り返してここと向こうを疑似的に行き来してるわけか。は、タネがわかればなんてことないな」
「でも、どうしようもありませんよね」
「無駄だ。お前みたいなクソガキがそんな苦痛に耐えられるもんか。そのうち音を上げるに決まってる」
「なら、その前にあなたの名前を解き明かします」
百舌鳥はいやらしくあざ笑う。完全にファティを舐め切っていた。
「まずあなたの出身。これは中国でしょう。そうでなければこれだけこの世界に中国文化が存在するはずはありません」
「続けていいぞ」
まだ余裕綽々である。この程度は考えればすぐにわかることだからだ。
「ですがここからが困難です。中国は歴史ある国。偉人も数知れず」
中華四千年の歴史は伊達ではない。その中から偉人を一人当てるなど、雨粒一つを匙で選んですくうよりも難しいだろう。それこそが百舌鳥の自信なのだろうか。
「でも、どれだけ数がいても何度も繰り返せば偶然に当たってしまうこともあり得る。だから逆にこう考えました。あなたは偉人ではないのだと」
「何を言う。私が偉人でないはずがない。もしそうなら誰からも名前を覚えられず忘れ去ら――――」
「別に偉人でなくてもよいはずです。名前さえ知られていれば」
百舌鳥は余裕の態度を崩さない。だがよく見ればわかるだろう。その頬に一筋の冷汗が流れたことに。
「ここからは想像ですが、あなたは当初から異世界の存在を知っていたのではないですか? 少なくとも管理局から何らかの接触があったのではないですか? 恐らく前任の地球管理局の支部長に」
「当然だ。私は生前から優秀だったからな。前任者は有能な私を見込んで――――」
百舌鳥の言葉をぶった切ってファティは語る。
「あなたは何としてもこの管理局の一員になりたかった。そのためにはまず自らの名を高めなくてはならない。ところが困ったことに、あなたが地球で権力に近づいた時にはもうすでに平穏な世の中になっていた。名をあげるには平和では困ります。困った――――」
ファティの言葉を遮るように杭が出現する。その時点で真相にたどり着きつつあると自ら認めてしまったも同然だ。
だがファティは何度でも出現する。
「困ったあなたは逆の発想にたどり着いた。偉人として名を遺すのではなく、悪名を轟かせればいいと」
「やめろ」
もう百舌鳥には取り繕った笑顔さえ消えていた。
「国を滅ぼせばいい。それなら平和な国でもできます。そして同時に偉人しかなれないと言っておけば自分の本名にたどり着く危険も少なくなる」
「やめろ!」
言葉と共にファティの姿が掻き消える。だがすぐに出現する。
「くそ! 調子に乗って! もう喋らせん! すぐに消せば――――!? て、転生者が数百、いや、数万!? な、何故こんな時にこれだけの数が!? 蟻の仕業か!? 頭がおかしいんじゃないか!?」
百舌鳥の推測は正しい。
これもまた紫水の策である。ファティを殺しつつ、ファティに働き蟻を殺させることで、転生者を大量に出現させ、百舌鳥のこなせる仕事の容量を超えさせようとしていた。追いつめられた百舌鳥はしかし自らの生存のため、持てる能力を総動員して事態に対処した。
すなわち、蟻の転生をつつがなく行い、同時にファティを拘束、あるいは消滅させる。
だが、悲しいかな。彼は一人だ。自らの恥部を隠すため、ファティや紫水の処理を他人に任せるわけにはいかなかった。もしも信頼できる部下が一人でもいれば状況は変わっていたかもしれない。
「つまりあなたは国を滅ぼした奸臣」
「くそがああ!」
ファティが消滅させられる速度はどんどん早くなる。しかしそのたびに新しいファティが現れる」
「中国史において」
消える。また現れる。
「最も」
また。
「悪名高く」
何度も。
「愚かな」
何度でも。
「男」
もう何度繰り返したか。
「あ」
「な」
「た」
「の」
「名」
「ま」
「え」
「は」
もはやコマ送りのように見えるファティの体は、それでも言葉を続ける。百舌鳥は文字通り必死の形相で作業をこなし続ける。
「うおおおおおお!」
しかし限界が近いのは明らかだった。
「秦」
「の」
「宦」
「官」
「ち」
「ょ」
「う」
「こ」
「う」
趙高。始皇帝の家臣だが、後継者を傀儡に仕立て上げ、秦帝国滅亡の原因となった中国史における悪臣の象徴である。
その名は正しかったのだろう。
百舌鳥の、否。趙高を支えていた全てが砂上の楼閣のように消え去る気配を感じた。
それと同じくして、趙高は膝から崩れ落ちる。いや、膝から下はすでに存在せず、光の粒となって消え去っていた。
そして、自由になった女王蟻がゆっくりと歩いてくる。もちろん、紫水である。
「作戦成功だな」
自由になった体を思いっきり伸ばす。いやあ疲れた疲れた。じっとしてるってのもつまらないなあ。
「何故だ」
「あん? どうした趙高?」
「何故分かった!」
どうやら自分の名前は絶対に誰にもわからないと本気で信じていたらしい。おめでたいこった。
「んー実を言うと銀髪の説明は後付けなんだよな。オレはお前が趙高であるという前提を元にさっきの推測を重ねて裏付けにした」
趙高はもちろん銀髪でさえ驚いた顔をしている。全部説明したわけじゃないからな。
「そ、そんなはずはない! 私は完璧だった! 自分の名前に繋がる情報はどこにも残さなかった!」
「おいおい。そんなこと言っていいのかい?」
「ど、どういう意味だ!?」
「せめて自分で気づいた方が恥の上塗りにならないと思うけど……んー、お前さあ、地球じゃなくてこっちの世界も注意を向けてたか?」
「当然だ!」
どうやらこいつはまだ気づいていないらしい。千年どころか二千年たっても学ばない男だ。
「残ってたんだよ。お前の名前に繋がるヒントが。この世界には」
聞こえやすく、区切るように言ってやる。
「そ、そんなまさか!?」
「知りたい? 知りたいか?」
悔しさと絶望を滲ませた表情で縋るように口にした。
「教えろ……なんだそれは!?」
「セイノス教ではな。馬と鹿の肉は許可がなければ口にしちゃいけないんだよ。逆を言えば許可さえあれば口にしていいってことだ。そら、馬と鹿とくれば、お前か胡亥を思い浮かべない奴はそれこそ、
それは何度も聞いたことだ。セイノス教の伝承の一つ。宗教によって禁忌とされる食べ物なんていくらでもあるはずだから、たいして気にしていなかったけれど、銀王やら賢皇やらが関わっているとなれば話は別。夢枕で鹿や馬を食べるななんていきなり言い出すなんて不自然だ。
向こうの世界の管理局に著名人が選ばれるのなら、その二人が管理者になっているのは自然で、同時に百舌鳥を出し抜こうとしているなら何らかの手がかりを残しているはずだった。そしてその予想は正しかった。
「あ……」
趙高はぽかんと口を開けた間抜け面をさらした後、憤怒のごとき形相で呪いの言葉を口にした。
「
「はい正解」
その鵲というやつはオレたちのいた世界の管理局の支部長なのだろう。そいつが地球人、あるいは中国人や日本人にはわかるように本名の手がかりを残していたのだ。
「くそくそくそおおおお! こんな、こんなことでええええ!」
趙高の体はもう首の上しか残っていない。そんな体でもまだ喚く元気があるとは恐れ入る。
「百舌鳥。いや、趙高。結局お前が一番の、馬鹿、だったな」
趙高が一番屈辱を感じるであろう言葉を言ってやる。
「畜生ォォォォ!」
趙高は叫びながら消滅した。
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