372 因果

 ぼたぼたと流れる血。間違いなく心臓を貫いたそれは致命傷だった。

「――――かは」

 言葉ではないうめきがティキーからこぼれる。しかしティキーが魔法による白い<剣>を作り出したのを見て、最期の力を振り絞り背後の襲撃者に反撃を加えるつもりだと判断した美月は反射的に動いていた。

 自身の魔法でティキーの腕を切り飛ばす。瞬きの暇さえない時間の出来事。

 宙を舞った腕は力なく地面に落ち、やがてティキーの体も力を失った。




 ほとんど何が起こったのか理解する暇もなく倒れたティキーは最後のあがきのように頭を整理する。

 何故殺されるのか。わからない。

 この二人は何者か。わからない。

 転生者なのか? 日本人なのか? わからない。

 馬鹿馬鹿しいことに、何ひとつとしてわからないのだ。

 せめてもの抵抗として自身が授けられた能力、嫌っていた力、他人を無理矢理操る力を使おうとしたが……そんな暇もなかった。

 確かなのはこの二人からは自分に対する憎しみしか感じないということ。

(私……きっと恨まれるようなことをしたんでしょうね)

 諦めのような言葉が陽炎のように浮かぶ。

 自分の人生はきっとそうなのだろう。誰からも愛されずに憎まれるばかり。

 産まれることさえなかった前世の子供も、危険な場所に送り込まされたラクリも、ラクリに少し似ているこの二人も、誰も彼も自分を憎んでいるだろう。

 無様なことだ。誰からも愛される力を授けられておきながら誰からも憎まれるなど。

(きっと罰よね。いなくなった人たちの代わりみたいにこの二人を傍に置いておこうとした罰よね。ラクリの代わりにこの子たちが私を罰してくれた。そう思うことにしておきましょう)

 それきり彼女の意識はどこにもなくなった。

 まさか本当にこの二人がラクリの子供だと知らなかったのは……おそらく幸福なことなのだろう。

 さらに言えば……もしもこの場にラクリが居合わせていれば間違いなく美月と久斗を殺害してでもティキーを守ろうとしたということを知らないのも幸福なことだろう。

 ラクリは自分の子供よりもはるかにティキーの身を案じていたという事実はティキーにとって受け入れがたかっただろうから。




 ティキーが物言わぬ屍となったことを確信して、ようやく力を抜く。

 美月が自分の弟を見ると……無表情でがたがたと震えていた。

「久斗……大丈夫……違うわね。ありがとう。あんたのおかげで助かったわ」

 そう声をかけるとこわばりが解けるように泣き顔になり、顔を手のひらで隠した。声をもらすわけにはいかない。まだ近くに敵がいないと決まったわけではない。

「う……うん。ぼ、僕、姉ちゃんを助けなきゃいけないと思って……それで……」

 きっと久斗はありったけの勇気を振り絞ったのだろう。それには感謝しかない。

「そう。もう一度言うわ。ありがとう。でもこれからが大変よ。私が死体の後始末をするからあんたは連絡を取って」

 久斗は震えながらもこくりと頷いた。


 ひとまず死体を草木で隠し、再び連絡をとる。

『了解した。ひとまず待機しろ。こちらは現在戦闘中だ』

「……はい」

 どうやら向こうは忙しいらしい。混乱も過ぎ去り、冷静になるにつれて美月は自分がとんでもない失敗をしてしまったのではないかという思考にとらわれていた。

「ねえ久斗。こいつがここに来たのは偶然だと思う……?」

「……僕たちのことをスパイだと気づいていたならこいつらは僕たちのことをすぐに殺していたと思う。だからやっぱりただの偶然じゃないかな」

 久斗もあの生き物に対しては嫌悪感を隠さない。それが幾分孤独を和らげてくれていた。

 それでもやはり不安は消えない。もしも自分の失敗で味方に被害が出たら……自分たちに期待してくれている王の期待を裏切れば……それを想像するだけで胸が締め付けられるようだった。

 遠くでは侍女たちの声が聞こえる。

 どうやらティキーを探しているようだ。そう簡単に見つからないだろうがこれ以上潜入任務の継続は困難だという予想は容易だった。


『美月。久斗。新たに命令を伝える。アンティ同盟から提案があった。それに従い、その野営地を攻め、食料などを潰す。それと同時にその死体を回収。お前たちは混乱に乗じて脱出しろ』

「あの……それは私たちのせいですか?」

『そうだ』

 蟻は嘘をつかない。へつらいもしない。まっすぐな言葉しか口にしない。

 奥歯を密かにかみしめる。

『しかしお前たちに対しては一定の成果を認める。王族の死体は回収する価値がある。外部からの攻撃だけではこの成果は得られなかったかもしれない』

 だがしかし成果は結局それだけだ。ここにある死体に価値がないと判断されれば美月と久斗は何の成果もあげられなかったことになる。

 悔しさ、情けなさ、苛立ち……二人にはそれらの感情が渦を巻いていた。


『では、攻撃を開始すると致しましょうか。お二人はそこにいてください。死体を回収する者をそちらに向かわせますので』

 マーモットの神官長ティウが何事もないように殺戮を開始させた。

 部隊はやがて怒号と叫びに包まれ、死体を回収するためのライガーに死体を渡したのち、すぐに脱出した。

 二人を気に掛ける敵は皆無だったので脱出そのものは容易かった。こうして二人の初任務は二人にとっては大失敗というべき結果に終わった。

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