369 ミューテーション

 意味が分からない。脳が理解を拒んでいる。理解したところで何ができるのかはわからないが。

 巨人が黒い腕を振り上げる。空を持ち上げる巨人のような体躯から振り下ろされた腕は地面を抉り、そこにいた命を刈り取った。

 間違いない。あれは敵だ。


「和香! 爆撃準備!」

「コッコー」

 訳の分からない存在だろうが敵は敵。攻撃しない理由は一切ない。混乱する頭をどうにかなだめて命令を下す。訓練のたまものか、和香も命令を機械的にこなす。

 残っていた爆弾を投下する。これで現在保有している爆弾はもうない。新しく作らなければならない。

 どうかきいてくれ。心の中でそうつぶやき、爆撃の成果を見守るが……黒い巨人は何事もなかったかのように立っている。そこでようやく気付いた。

 巨人の足元に何かが……誰かがいる。

 誰かだと? 考えるまでもない。確かにそこには誰もいなかったし、何ひとつとして原型を留めていなかった。しかし奴はそこにいる。その事実が全てだ。

 しかも何やら新しい力に目覚めたらしいぞ? 何でもありかよ。本当にさあ。

「何なんだよてめえはあああああああ!!!!」

 やるせない感情をぶつけるように叫ぶ。

 巨人の足元にいたのは言うまでもなく、銀色の髪の少女だった。






 ファティは何が起こったのかもわからないまま、ただ体を焼き尽くす熱さだけを感じていた。

 痛みと苦しみ、その一瞬しか感じなかった感覚が一時停止のように引き延ばされ――――そして何も感じなくなった。痛みもない苦しみもない。何もない。生きているという実感がない。

 ああもしかして自分は死んだのだろうか。目を開けると……やはり何もない空間だった。どこまでも真っ白な地平線が続いている。ここが楽園なのだろうか。……誰一人として守れなかった自分などが楽園に旅立てるとは思えないけれど……ただ、ここに一人きりでいるのは寂しい。そう思った。

 その思いに答えたのかどうかはわからないが頭の中で声が聞こえた。


「守りたいか?」

「っ!? 誰ですか!?」

 辺りを見渡しても誰もいない。

「守りたいか?」

 疑問に答えずに何者かは先ほどと同じ質問を繰り返している。

「あの、あなたは神様なんですか?」

 状況からすればファティを転生させた神だろうか。転生する前は混乱していたのでその時の記憶はあまりないのでこんな声だったかは覚えていない。

「守りたいか?」

 またしても同じ問い。疑問はいくらでもあるが……どうやら疑問に答えるつもりはないようだ。例えば、あなたは本当に神様なのか? 本当に楽園に行けるのか? 本当に楽園は良い所なのか?

 ――――いつになったら戦いが終わるのか。

 何をどう問いかけてもきっと疑問には答えてくれないだろう。その様子にかつての両親を思い出し、反感を感じたが……それでも、ここには……。

「守りたいです。みんなを守りたい……たとえ私がどんな目にあっても……今度こそ、大事な人たちを守りたい」

 心からの願い。誰も傷つかないとまでは言わなくても目の前で傷ついている人を助けたい。

 彼女の心からの本心だった。

「了承した。お前は目覚めと共に新たなる力と死なない肉体を手に入れるだろう。ただしその代償として、力を使う度にお前の寿命が減っていく」

 つまり今から授けられる力は文字通り命を削る力だということ。そんなことは躊躇う理由にはならない。

「構いません。それでもみんなを守る力が欲しい」

 決然とした答えを聞いた神は満足そうな笑い声をあげた。初めて見せた感情らしきものに戸惑うが、やがて意識が薄れ……そして……痛みと苦しみが満ちる戦場に戻っていた。






 逃げ惑うか、逆上して戦うか、さもなくば全てをあきらめて祈るか。ほとんどの信徒がそうしていた戦場でただ一人何もしないという英断を行った女がいた。

 サリである。駕籠の外に出たファティが苦悶の声をあげるのを見たサリは赤い髪をなびかせ――――そこから一目散に逃げだした。

 何故そんなことをしたのか自分でも説明できなかったが、とっさにここにいてはならないと感じたのだ。しかし銀のドームに覆われ、どこにも逃げ場がなくなると、群衆に紛れて息をひそめていた。

 そして轟音と閃光と共に銀の壁が消失すると……今度は自分から地面に倒れ込み、じっと動けなくなったふりをしていた。

 サリは経験と直感から敵にも味方にも自分が死亡したと見せかけることで敵の攻撃対象から外れられると悟っていた。熟慮の結果ではなく、体が勝手に動いたと言ってもいい。実のところ彼女はいつもそうなのだ。群衆に紛れたのも、ファティから距離をとったのもすべては―――――――である。

 それを一切自覚せぬまま行ってしまっているのはむしろ幸福だったのだろう。幸運であるかどうかはともかくとして。

 何はともあれ血と煙、後は死体しかないこの戦場において、ほぼ唯一無傷のまま余裕すら持ちながら彼女は生存していた。

 だからこそ気付いた。気付いてしまった。

 炭の山の中にひとかけらだけ残った貴石が輝き……そして……そして……周囲の炭が蠢き、何かを形作っていることを。その何かはやがて肉のように蠢き始めた。

「ヒッ!?」

 思わず恐怖から声が漏れる。うぞうぞと肉が何かの形を作る様子は何故か腐肉にたかる蛆を想起させる。

 戦場の只中にあってさえ固くならなかった手足は震えが止められない。

 そうしてやがて肉は一人の少女の形を作った。銀の髪の少女へと。それと同時に黒い巨人が姿を現した。

 その瞬間に……サリは今まで動きを止めていた体を全力で動かし、息が絶えそうになるまで走り続けた。

 そうして彼女は逃げ出した。どこへ行くのか、やはり自分でもわからなかった。

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