368 巨人

 ウェングは後方部隊に配置されていた騎兵を率いて先遣隊に追いつくために草原を駆け抜けていた。

 空の彼方にちらりと見えた影によって発動した未来予知は味方の危機をはっきりと見せていた。予知能力について詳しくは話せなかったが、今回は説得によって迅速に出撃することができた。食料などを置いてくることになってしまったけれど、今は一刻も早く救援に向かう方が先だ。


「もたもたするな! 遅れたら置いていくぞ!」

 馬の脚を緩め始めた味方を叱咤する。とはいえ驚く気持ちもわかる。ここまでくれば空に浮かぶ影が何かがわかる。空に浮かぶ船だった。

 トゥッチェの民はほとんど船を見たことがないし、海の近くでは魔物が多いのでクワイでは海運業というものがほとんど発達していないらしい。だから大型の船も見たことはないはずだ。……それでも空飛ぶ船が実在するという事実は想像のはるか上をいっていた。

 驚きのあまり足を止めてしまいそうになるのもわかる。が、しかしこうしているうちにも事態は進行している。遠雷のような音が聞こえてきた。さらに遠くにはファティの神秘らしき銀色の壁が何かを遮っているのもかろうじて見え、味方の動揺が激しくなる。当然だろう。誰だって見たことのないものを見ればうろたえる。

 しかしウェングは知っている。あの音が、あの船がなんであるか知っている。地球で目にし、聞いたことがある。だから今までほぼ間違いない疑惑から疑いようのない確信に変わるものがある。


(誰だ……誰だ蟻に転生した奴は!)


 風車はまだぎりぎり理解できる。強固な素材も何らかの幸運に恵まれれば見つかるのかもしれない。しかし爆弾と飛行船などというどう考えてもこの世界に存在しない道具を作り出せるのは転生者しかありえない。それでもどうやって作ったのかは見当もつかないが。

 あんなものにどうやって勝てばいいのかわからないが……もしも勝てるとするのならファティ以外いない。

(せめてあの子だけは助けないと……)

 そう独白するウェングのはるか遠くの景色から……銀色の壁が消えた。

 数瞬の思考の空白の後、理解してしまう。自然と足は止まっていた。言葉は出ない。その代わり味方の声が聞こえる。

「ま、まさか……銀の聖女様が……?」

「馬鹿なことを言うな! 神にお認めになられたあの御方が負けるはずはない!」

 立ち止まった味方からは不安と恐怖に彩られた言葉の数々しか飛び出さない。ウェングの心も体もどうすればいいのかまるでわからなくなってしまっている。しかしそれでも。

「……進もう。俺たちは真実を目にしなくてはならない。もしも銀の聖女様が窮地に陥っているのなら我々が救い出すべきだ!」

 ウェングの宣言によってわずかに息を吹き返した部隊は手を震わせながらも戦地に再び向かい始めた。






 煙が晴れるとそこには……何もなかった。翼も、銀髪も……すべてが消え去り、銀色のドームさえもなくなっており、戦場に似つかわしくない不気味な静寂がこもっていた。


「もしも爆弾が通じなければもう呼吸困難に陥らせるしかないと思ってたけど……杞憂だったか。翼は本当によくやってくれた」

 おおよそ二年近い時間を過ごした部下の死には流石に胸に来るものがあったけれど……もしもここで詰めを誤るような真似をすればそれこそ翼に顔向けできない。

「全軍進撃。一人も逃がすな」

 あえて逃がすことで銀髪死亡の噂を流してもらおうとも考えたけど、銀髪を神格化でもしてプロパガンダにされたら余計厄介な事態になりかねない。

 あいつは死んでいるのか生きているのか誰も確認できない状態にしてしまった方が都合がよいはずだ。


「全軍進撃! 我が先達、将軍は見事に任を果たした! 我らも使命を全うするのだ!」

 新たに将軍となることが内定している空が号令をかける。今思えば翼が空を育てたのはこういう事態を見越してのことだったのだろう。


「ヴェヴェ。我々も進軍してよいですか?」

 カンガルーの摩耶が尋ねてくる。

「いいぞ。やり方はわかってるな?」

「ヴェ。押し包むように、しかし逃げ道は残しながら追いかけるように戦う」

「その通りだ摩耶」

 憎悪という炎は銀髪が死んだ後でも衰える気配はない。こいつの復讐心はヒトモドキ全てに向いているのかもしれない。

 なお、摩耶が率いているのは複数種からなる混成部隊。

 共通点はただ一つ。

 ヒトモドキに対して親族や仲間を殺された魔物であること。共通のバックボーンを持った個体は種の垣根を超えて結束しうる。

 こいつらに求めるのは複雑な作戦行動ではなく、野蛮な破壊衝動。それが戦果を挙げればよし。仮に壊滅してしまったとしても、種族を超えて結束したという事例があればそれは今後の貯金になるに違いない。

 いやはや、オレも腹黒くなったもんだ。ま、少なくともこいつらはいいように扱われているという自覚くらいあっても、それでもかまわないと言うのだろうね。

 一斉に摩耶に率いられた群れが突撃していく。


 対する騎士団の反応は……ない。全くの無反応だ。指揮官らしき男が声を張り上げているが、現実を受け入れられず呆けたように突っ立っている奴がほとんどだ。

 空率いる軍勢が地面に血だまりを作り始めてようやく行動を開始するありさまだった。もっともその行動も軍事行動とは程遠い。

 破れかぶれになって突撃する、狂乱したようにどこかへ走り去る、全てをあきらめたように祈りを捧げる。

 もうこれは騎士団でも軍隊でもない。ただの群衆だ。目的を持たず、指針を持たず、ただ息を吸って動き回るだけの駒。それほどまでに銀の聖女の存在は大きかった。

 蹂躙でも虐殺でも殺戮でもない。

 強いて言えば作業だろうか。戸棚にナンバリングされた実験器具や書類を定められた場所に直す作業。

 冷静に、無慈悲に作業を進める。あるいは、これこそが翼が残した最大の功績かもしれない。秩序だった軍隊行動ほど、指揮官が喜ぶものもない。

 もはや戦闘の結果を見るまでもない。ここから逆転するのはこの世界の、あるいは地球史に残る名将でも不可能だ。

 そう。もう勝ちは決まった。そう確信していた。




 夜の暗闇のような黒い影のような体と、らんらんとに輝く瞳を持った山のような巨人が――――とてもこの世の者とは思えない巨人が現れるまでは。

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