370 シャッフル

 黒い巨人が腕を振るう。巨体であるがゆえにスローモーションのようなその攻撃は実際には暴風さえ巻き起こすほどに高速だった。

 ……もはやここまでだろう。

「全軍撤退だ。あれには……勝てない」

 全くもって理不尽だが事実は事実。結果を受け止め、善後策を練らなければならない。敵を追いつめていた先ほどとは打って変わって今度はこちらが逃げ惑う時間だった。

「王! 殿を……」

 空の言葉を遮る。

「殿は必要ない。全員逃げることだけを考えろ。あんなもん、誰が戦っても一秒も時間を稼げない 摩耶もだ! このまま戦っても死ぬだけだ! まだ本懐を果たしてはないだろう」

「「……了解」」

 空と摩耶が歯ぎしりする気配を見せる。殿とは敵を足止めするための部隊だ。何をどうやっても足止めできない敵にそんなものをぶつける意味はない。

 あの巨人の足が遅いことに期待するしかない。


 結果からすれば期待通りだった。あの巨人は銀髪から離れられないのか……それとも巨人に見えるだけでヒトモドキの魔法の発展形に過ぎないのか……なんにせよ追撃の気配はない。

 ほどなくして全員の離脱が完了した。しかし安堵よりも落胆の気配が濃い。ありったけの爆弾と翼という犠牲を出しても銀髪を仕留められなかったのだ。それどころか新しい力らしきものまで発現させる始末。

 もうどうやって勝てばいいのか……いや、そもそもどうすれば銀髪が死ぬのか想像できない。確かに死体は残っていなかったとはいえ、どこかに隠れる場所があったとも思えない。つまり銀髪は消し炭になったとしても再生する。そう考えるしかないのだ。


(どうしろってんだ)

 下手をするとアメーバ以上の再生力だ。不死身と呼ぶにふさわしい。ここまでくると病気や寿命さえあるのかどうか確信が持てない。溶鉱炉の中に突っ込むか宇宙空間にでも放り出すくらいしかどうにかする方法が思いつかない。どっちにせよ現実的じゃないけど。

 が、しかしあれこれと巡らせていた思考を中断せざるを得なかった。


「コッコー。ご報告が二つあります」

「和香? 何があった?」

 猛烈に嫌な予感しかしないけど聞かないわけにもいかない。

「コッコー。ヒトモドキの女を捕らえました。赤い髪の女です。サリという名前だそうです」

「何い? 自害していないのか?」

 連中は捕まると高確率で自害する。というか何かの方法でだまさないと間違いなく自害する。だから今まで捕まえて長期間生存した奴はいない。

「コッコー? 何故かしていません」

 ……それなら捕虜にする絶好のチャンスだ。

「全力で生かしておけ。もう一つは?」

「コッコー。美月と久斗にトラブルが発生しました」

 勘弁してくれ。思わず抑えたこめかみは鈍い痛みを発していた。もちろん人間の体ならその辺りになる場所の話だけど。






 ウェングたちが到着したのはもう全てが終わった後だった。あまりにも巨大な巨人に馬が怯えてしまったため、予定よりもはるかに時間がかかってしまった。到着した戦場……いや戦場跡で目にしたのは大きさが合っていないぼろぼろの服を着た銀髪の少女がありったけの敬意をこめて敬礼されるある意味ではいつも通りの姿だった。

 その姿は傷一つどころか汚れ一つない。まるで深窓の令嬢に古着を着せているような違和感があった。


「ウェング様。どうしてこちらに?」

 声の主はアグルだった。

「何か異常があったんじゃないかと……いや、あったんですね?」

 焼け焦げた臭いに夥しい死体。激しい戦闘があったのは想像に難くない。……ファティだけが無傷であることに、少しだけ恐怖を感じてしまったがそれは胸の奥にしまい込んだ。

「はい。聖女様のご健闘により魔物は撤退しました」

 ひとまずは安心して一息つく。被害の大きさを考えれば楽観的な言葉は口にはだせないが。

 だがそこで息を切らせた女の騎兵が駆けこんできた。


「だ、誰か! 誰か団長にお伝えください!」

「団長は戦死なされた。話なら私が聞こう」

 アグルの言葉に疲弊しきった顔をより絶望させたが観念したように話し始めた。

「後方部隊が……襲われています! 至急お戻りください!」

 アグルとウェングは顔を見合わせ、すぐさま後方部隊の救援の手配を始めた。






 ゆらゆら揺れる湯気から漂う高貴な香りを楽しみながら紅茶を口につける。

 異世界転生管理局地球支部支部長代理翡翠かわせみの補佐役という非常に長ったらしくかつあやふやな身分である百舌鳥もずは優雅なひと時を楽しんでいた。

 紅茶を淹れたのは翡翠で、一見すると翡翠が百舌鳥の従僕のようであった。少なくともかつてはそのような力関係ではあった。

 現在は名目上翡翠が上司という立場だった。


「どうやらあの転生者に新たな特権を授けることには成功したようですね」

 翡翠は画面に映し出された巨人を見て正確に状況を把握する。

「ああ。あの蟻は世界の均衡を乱した。つまり本来あの世界、ツボルクには存在しない知識や道具を用いて多数の命を殺めた。だからこそ力を授けることができた」

「ええ。それはわかっていますが……なぜあのような言葉を?」

「あのような?」

「力を使えば寿命が減るとかいう……別にそんな制約はないでしょう?」

 ああ。百舌鳥は気のなさそうな返事をした。

「あれは単にあのガキが必要なくなった時に捨てるためだよ。転生者を無条件で殺すには相手の同意が必要だから、その同意を今のうちに取っただけだ」

「力の代わりに命を取る、という条件のように見せかけていつでも殺していいという言質を取ったわけですね。流石百舌鳥様です」

 慇懃に話しかける翡翠は確かに礼節正しい部下のようだった。少なくともそこに少女に対する同情や哀切は一片足りとも存在しなかった。

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