362 樹海へ
砦を攻略した騎士団の次の目的地は当然の如く樹海だった。誰もがそこに至るまでの道のりを理解しており、誰もが今すぐに赴こうとしていたが、異議を申し立てたのがアグルだった。
理由は単純明快。食料がないのだ。
そんなものは我らの信仰心でどうにかなると声をそろえる信徒の声を封殺して近隣の村に食料の徴発に向かわせた。しかし驚くことにその町や村では今まさに戦地に向かおうとする住人が列をなしていた。
そこで事情を説明し、食料の融通を依頼すると、誰もが進んで食料を差し出した。非常時の貯えどころか明日の食事さえままならないだろうが……もはや彼女らにとって明日の暮らしなど些細なことだった。救いが待っているのだ。だからどうぞ聖女様にお役立てくださいと異口同音に口をそろえた。
それらの報告を聞いたアグルは、そうか、とだけつぶやいた。
驚くべき速度で準備は整っていった。
しかし再びアグルの頭を悩ませる事態が発生してしまっていた。
援軍の到着である。
歓迎するべき事態であるはずだったがその内情は近隣の住人が聖女様のお役に立つために着の身着のままではせ参じたという迷惑極まりない群衆だった。アグルはいちいち相手にしたくはなかったが、中には司祭などの本来アグルよりも上位の役職がいたのだから質が悪い。
ただしアグルでさえも、その援軍の中に獅子身中の虫がいることは予想できなかった。
歓喜と高揚感に包まれた目をした群衆に紛れ込んでいたのは美月と久斗だった。
雑多な民衆が我こそがと軍に加わっているこの状況は潜入にうってつけだと言えた。しかしながら年齢と外見はそれらの行動に大きな足かせになっていた。まだ一歳に満たない彼女らの容貌はこれから戦いに赴く騎士団にとって受け入れられなかったのだ。
「どうしても聖女様と共に戦いたいんです! お願いします!」
二人して頭を下げ、頼み込むが騎士団の司祭らしき女性からは色よい返事がもらえない。
「しかしですね。あなた達はまだ幼いのです。せめてもう少し……」
「年齢なんか関係ありません! 私たちは救いをもたらす聖女様のお役に立てます!」
練習し、暗記してきたセリフをなるべく淀みなく言う。せっかく初めて任務を与えられた機会なのだ。今までの訓練、勉強、それらすべてを見せなければならない時だ。
こんなところで門前払いは許されない。今までの全てが無駄になり、さらには今まで育ててくれたあの人たちの期待を裏切ることになる。それだけは絶対に嫌だった。
しかし二人の胸中を知るはずもない……知られれば命の危機なのだが……司祭は首を縦に振らない。
だがそこで一つの駕籠が通りかかり、中から誰かが御簾を開き、声をかけてきた。
「どうかしたの?」
「こ、これはティキー様! お騒がせして申し訳ありません! 皆の者! 祈りを捧げなさい! ここにおられるのはソメル家のティキー様だ!」
驚いた群衆が一斉に祈りを捧げ、それに一拍遅れて双子たちも祈りを捧げる。
「そんなにかしこまらなくてもいいわ。それで? どうしたの?」
「は。それが、この姉弟が……騎士団に加わりたいと……」
駕籠からじっくりと眺める視線を感じて双子は思わず身をこわばらせる。
「……あなたたち、どうしても騎士団に加わりたいの?」
「「はい!」」
緊張していても、この機会を逃す手はないとはっきり答える。
ティキーは傍らの侍女にぽつりと尋ねた。
「もしも、ここで騎士団に加われなければどうなるの?」
「家に帰すだけでしょう」
さらりと言ってのけるがかなり非情な宣告だ。この草原(トゥッチェ)は危険な土地なので、子供二人でここまでこれたのが奇跡のようだとティキーは感じた。帰りが無事である保証などどこにもないだろう。
双子たちはここが勝負所であると理解できている。だからこそ、心臓の鼓動が早くなるのを抑えられない。
「ねえ。あなた達、私の傍仕えにならない?」
二人が頭を上げ、顔を輝かせる。
「お待ちくださいティキー様。身分定かならぬものを傍仕えになど……」
「だったら身分がはっきりしていればいいでしょう? あなた達は鑑札を持っている? 持っているなら見せてくれる?」
「「は、はい!」」
クワイの大きな町などでは身分証明書として木や紙の鑑札が配られることがある。もちろん本来なら二人にそんなものはないが、潜入活動にあたってあらかじめ偽造した鑑札を持たされていた。
二人の鑑札を受け取った侍女がじっくりと札を眺める。
この時点で二人の緊張は限界に近くなっていた。もしも疑われていたら? もしも演技だと気づかれたら?
しかしこの時点でも鑑札の偽造に失敗しているとは思っていない。もしも失敗があったとすれば自分たちのせいだとためらいなく断言するだろう。それほどまでに二人は二人にとっての『親』を信頼していた。
「確かに正式な鑑札です」
侍女の言葉に安堵の息が漏れそうになるのを必死でこらえる。
「そう。ならあなたがこの子たちに仕事を教えてくれる?」
「承知しました。ついてきなさい」
「「はい」」
ティキーの侍女についていく二人を誰もが羨ましそうに見守っていた。
駕籠に戻ったティキーはぼんやりと先ほどの会話と行動を反芻していた。普段なら無視していたかもしれない。でもなぜかあの二人を放っておけなかった。
何故だろうか。どうしてだろうか。じっくりと考える。ふと、答えが浮かんだ。
「そっか。ラクリと似てるんだ」
あの二人はどことなくラクリと似ている。女の子の方は少しきつく見える目元の辺り。男の子の方は口元のあたりか。
ラクリの面影を見て、どうしても放っておけなかったのだ。ラクリにもあの二人にも失礼極まりない。
「諦めの悪い女」
嫌な笑みを浮かべながら自嘲する。ラクリの代わりにあの子たちの面倒を見て気を紛らわせるつもりのようだ。こういうのを代償行為と呼ぶんだったか。
「生まれ変わっても、学ばないわね」
最後の言葉は前世の記憶を思い出したせいなのか日本語だった。
侍女から押し付けられた一通りの雑用を終わらせた深夜にようやく落ち着いた二人は密かに連絡を取り合うことができた。
何度か連絡を要請するテレパシーは受け取っていたが、応えられなかった。
種族的に口を動かさないとテレパシーを行えないという性質は隠密行動には不向きだった。
「なるほど。ティキーとかいうソメル家の一員とコンタクトをとれたのか」
双子の報告はひとまず朗報だった。きちんと騎士団に入り込み、それなりに地位のありそうな奴に取りいったらしい。
「はい。それとティキーとかいう女はもともと王族だったようです」
「王族? 王宮で暮らしてるんじゃなかったっけ?」
「い、いえ。どうやら事情があって王族からソメル家に移ったようです」
王族……か。銀髪とは別の意味でクワイの中心にいる存在。そいつを引き当てる双子の運はなかなか悪くない。
元王族で前回の騎士団を率いていたソメル家の一員ともなれば入ってくる情報は過小評価できないはずだ。
「わかった。お前たちはそのティキーに張り付け。できればさりげなく銀髪や騎士団の動向についても聞いてみてくれ」
「「わかりました」」
実のところティキーが知っている情報やその周囲に転がっている情報は多くない。これは彼女がある種のお飾りで、実務にほとんど携わっていないことが原因だが、クワイの内情に詳しくないエミシ側が知る由もなかった。
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