361 疾風のように

 騎士団壊滅。その報を受けた教都チャンガンの動きは素早かった。新たに銀の聖女を核とした騎士団の編成を急ぎ、非常時に備えてチャンガンに備蓄されている食料庫さえ解放し、騎士団の糧秣とした。村々では伝染病が流行っているために徴発が行えないという報告を受けての対応だった。

 その早さはまるでこうなることを予見していたかのようだった。

 騎士団の規模は先の騎士団よりも小さくなっていたが、銀の聖女がいるという事実が意気軒昂な姿を遍く民に見せていた。

 人数の少なさを逆手に取り、極めて迅速な行軍を行った結果、前回の騎士団の倍近い速度でトゥッチェにほど近い町までたどり着いた。

 そしてファティは再会した。アグルと、ウェング――――そして未だに眠り続けるタストと。




 町にたどり着いたファティが真っ先に向かったのは教会だった。その道すがら、再会したウェングとタストの近況について話し合っていた。

「タストさんは……まだ眠っているんですか……?」

「ああ。運がよかったのか悪かったのはわからないけど……冬眠したらしい」

「冬眠……? まだ冬じゃないですよね?」

「司祭さんが言うには重傷を負った人はまれに一時的に冬眠するらしい。ケガの治りは遅くなるけど……命の危険から回復することも多いらしい」

「そうなんだ……よかった……」

 もっともあと数日以内に目覚めなければもう永遠に目が覚めないだろうと言われているがそれを伝えることははばかられた。


「タストさん……」

 消えそうなか細い呼吸音。寝台に横たわり、包帯を巻きつけているその姿は今にも消えてしまいそうだった。

 ファティはタストの手を握り、ぽそりとつぶやく。

「ちゃんとします。……私、ちゃんとしますから……タストさんも頑張ってください」

 その背中は年相応、いやそれよりも幼い少女の姿だった。少なくともウェングにはクワイ中の声望を一身に集める銀の聖女とは思えなかった。

「ファティちゃん。すまないけどもう時間が……」

 この行軍は時間を切り詰めて行われている。特にファティは自由など無きに等しい。

「はい……」

 ちらちらと眠り続けるタストを振り返りながらもしっかりとした足取りで駕籠に戻っていった。




「おーっす。久しぶり」

「ん、ああ。ティキーか」

 ファティを見送ったウェングの前に現れたのはティキーだった。

「ちょっとお。扱い雑じゃない?」

「いきなりそんな口調であいさつされたら気が抜けるだろ。ていうかあんたもここにいるのか?」

「まーね。うちの領主が殺されたのに参加しなくちゃまずいでしょ」

「あ……悪い。無神経だった」

「気にしなくていいわよ。顔を合わせたことはほとんどなかったし。でっかい家だから一族全員の名前を覚えるのには苦労したわよ」

 ソメル家はクワイ中を探しても五指に入るほどの名家であり、その一族はそれこそ数百人、いやそれ以上かもしれない。そんな人数の人間の名前をわざわざ覚えるあたり、彼女の人間性をうかがい知ることができる。

「あんたも気をつけてくれよ。もう顔見知りが死ぬのは嫌だ」

 チャーロの行方はわからない。死体さえ残っていない。生きた痕跡が全く残っていないのだ。

「そうね。あんたもね。――――ねえ、一応聞いておきたいんだけど……」

「ん、なんだ?」

 珍しく歯切れの悪いティキーの様子をいぶかしむ。

「その……転生者……バスに乗っていた転生者って本当に四人だけなの?」

「……確かそうだった気がするけど……もしかして他の転生者に心当たりがあるのか?」

「まあ……あるっていうか……もしそうだったらいいなって思ってるっていうか……」

 ますます言いよどむティキーに詰め寄るようにウェングは語気を強めていく。

「あんたも気付いてるのかもしれないけど、多分あの蟻は転生者だ。もし正体を知っているなら――――」

「やめて!」

 予想以上に強い剣幕のティキーにたじろぐ。

「そんなんじゃないわよ……私は……ここに来る前に……妊娠していたの。だから……まだ産まれてないあの子がこっちに転生していたらって……そう思っただけよ」

「……あんた……子供が……?」

「まあね。でも神様に産まれてない子供は転生できないって言われたから……もうあきらめたけど……こっちはなかなか割り切れないわ」

 こっち、とはラクリの件に関しては割り切ったということだろう。

 ……それを薄情だと責めるつもりはない。

「……こんなこと聞いたら失礼かもしれないけど……もしも……蟻に転生したのがあんたの子供だったらどうする……?」

「そうね……まず叱らないといけないんでしょうね。でも、もしも何もわからないままこんな世界に放り出されてしまったのなら……私が抱きしめてあげないと……そう思うわ。前世ではあんまり上手じゃなかった子守唄、今はうまくなったしね。無駄な妄想だけどね」

 その横顔は……確かに母親だった。例え魔王だろうが悪魔だろうが穢してはならないものだった。

「無駄じゃないだろ。少なくとも、そうやって思われてることは子供にとっていいことだろ」

 親に幸福を願われていることは不幸なことではないはずだ。

 そしてティキーにとって良いことかどうかはともかくとして、蟻が彼女の子供ではないはずだ。もしも地球の知識で何かの道具を作っているならそれなりの年齢になってから転生したはずだ。

「そう。ありがと。じゃ、そろそろ行くわよ。明日は砦攻めなんでしょ?」

「そうだな。ま、ファティちゃんならすぐに勝負はつくだろうな」

 会話の内容を振り切るようにお互いに軽い口調で話しを打ち切った。


 その数日後。前回の騎士団があれほど攻め立ててもびくともしなかった砦は砂の城のようにあっさりと崩れ去っていた。

 銀の剣が数回煌いただけで勝負はついた。誰もが口々に銀の聖女を称えていた。






「はーい。戦闘終了お疲れ様」

 銀髪の前に脆くも崩れさった砦に対して感謝の念を送る。意味があるかどうかはわからんけどな。

 もちろん重要な施設や道具は撤去し、七海をはじめとした替えの利かない人材も避難済み。頑張って作ったものを壊されるのは気分がよくないけど、これで敵の目標は別に向かうはず。

 後は去年みたいにマラソンしつつ被害をどう抑えるか。近隣の街を襲ってそこに銀髪を誘導するのもありだ。去年に比べると余裕のある今年はそういう選択肢も取れる。せっかく確保できた硝酸を使う機会がないのは残念だが兵器なんぞ使わない方がいいに決まってる。そもそも硝酸には平和利用する方法がいくらでもあるのだ。

 ひとまずは……あれ? なんだ? 銀髪の取り巻きがなんだか祈りだしたぞ? なんだろう、怪しげな集会というか……一斉に跪いたりするのは見ていてあまり愉快じゃないんだがなあ。何したいんだあれ?

『うおおおおおお!!!!』

 ファッ!? 何叫んでんだあいつら!? 銀髪に対して感極まりでもしたのか? これだから狂信者は行動が読めん。そんなことを考えていると通信が入った。


「ね~ね~?」

「千尋? どうかしたのか?」

「う~ん。意味がよくわからないんだけど……美月ちゃんと久斗君が何か聞こえたみたいだよ~?」

「聞こえた? 何が?」

「直接聞いてみた方がいいと思うよ~? もしも二人の言ってることが本当なら一大事だよ~?」

 千尋のやたら不穏な言葉に途轍もなく嫌な予感がする。

 美月と久斗の言い分はこうだ。

 曰く、神からの託宣があったと。






 邪悪な魔物の醜悪な砦を破壊し、歓喜の声をあげる騎士団の耳に届いたのはこの世にないはずの声だった。

『告げる』

 一言目で誰もが空を見上げた。

『私は汝らの主である』

 二言目には祈りを捧げた。

『魔物を討つ大命、大儀である』

 三言目にはもはやそれが誰であるかなどわかりきっていた。

『しかしながら真の大命は果たされていない』

 四言目は恐れ、震えあがった。自分たちはまだ使命を果たしていない。ならば裁きがあるのではないかと。しかし違った。

『真の悪魔はその場所にはいない。真の敵はここにいる』

 驚くことにそこがどこなのか、どうやっていけばいいのか、それらすべての情報が頭の中に入ってきた。これこそまさに神の奇跡。

『銀の聖女と共にそこで邪悪なる蟻の頭目を討て。さすればありとあらゆる魔物は討滅され、救いへの道が開かれるであろう』

 その言葉を聞いたセイノス教徒の感情は言葉では表せない。

 感動。歓喜。高揚。

 どれでもあり、どれでもない。セイノス教徒にとって救いとは全てだ。人生であり、目標であり、夢である。しかしながら誰もが行きつく場所でもある。

 涙を流し、抱擁し、それでも自らの感情をコップからあふれた水のようにほとばしらせる。

 驚くべきことに、この現象はクワイ全土で起こっていた。時間も距離も関係ない。すべての人々に全く同じ言葉が聞こえていた。

 この騎士団だけだはない。

 南のラオも、西のスーサンでも、教都チャンガンでもすべての人々が同じ意思を抱いたのだ。今ここに人々の心は一つになった。

 あの蟻を討てと。


 すべての人々の意志が統一されていたが、しかし例外はいた。ファティである。この場の誰一人として想像していなかったが、彼女は困惑していた。

 彼女はこれで戦いが終わったと思っていた。みんなが安らげる日々が戻ってくるのだと。だがしかしまた戦いが始まるということに困惑していたがそれよりも……これではまるで――――。

「聖女様!」

 思考を遮るように人々が群がってくる。その陶酔しきった瞳に、かすかに恐怖を感じてしまった。

「ああ聖女様! もうすぐ救いが訪れるのですね!」

「まさか神にお声をかけていただけるほどの御方だったとは!」

「救いがもたらせるのであれば我々の命などどうなっても構いません!」

 戸惑い、何も言葉を返せなくなるファティだったが、最後の言葉だけは聞き逃せなかった。

「だ、ダメです! そんな、命を捨てるようなことを、言わないでください!」

 珍しいファティの叫びにまたしても群衆は感涙にむせび泣く。

「聖女様は生きて救いを迎えろと仰るのですね!」

「わかりました! 我々は、必ず生きてあの蟻を討ち滅ぼし、救いを目の当たりにします!」

 群衆の興奮は留まるところを知らない。皆が戦おう、滅ぼそうと口にする。

 これではまるで――――人々が戦争を望んでいるようではないか。そんな疑問がファティの胸中にわだかまっていた。




 そしてここにも神の言葉を聞いた男がいた。タストである。

 まどろみの中で神の言葉を聞いており、それがきっかけかはわからないが遂に目が覚めた。

「おお! タスト様! これぞ神の奇跡なのですね! よくお目覚めくださいました!」

 寝台の横で司祭が喜びの涙を流す。それとは反対にタストはある疑念が渦巻いていた。

(本当に、さっきの言葉は神の言葉なんだろうか。あんな、戦いを煽るような言葉を……? でも、もしもそうだったとしたら……神を信用していいのか……?)

 蟻は邪悪でもなければ人類を絶滅させようという意図が……少なくとも最初はなかったはずだ。そんな蟻を殺してもいいのだろうか。

 救いというエサを使って蟻を殺せと命じているかのようだ。いや、かのよう、ではなくその通りではないのか? いやそもそも今回の『神』、とタストたちを転生させた『神』が同じ神なのかどうか判断する方法がない。

 結局のところ、何かを判断できる材料が全くない。

 ボードゲームの駒のようだ、と自嘲する。何も考えず、ただ命令に従うだけの駒。もうそれでいいのではないかという諦念とそんなものは嫌だという反骨心。今回は後者が打ち勝ち、軋む体を動かし始めた。




 …………。

 美月と久斗から話を聞き、何が起こったのかを把握した。どうやら何者かがヒトモドキだけにテレパシーを送ったようだ。ご丁寧にもオレたちの本拠地の場所までばらしやがった。

「美月、久斗。体調に変わったところはあるか? あるいは声が聞こえる前に何か妙なことはあったか?」

「「いいえ、ありません」」

 双子らしく、息があった返答だ。……これがただの幻聴である可能性……ないな。この二人が神からの託宣とやらを受けた時刻とヒトモドキが興奮した時間はほぼ一致している。

 十中八九転生管理局の差し金だろう。やつらにとって計算外だったのは双子がすでにオレたちの手に落ちていることか。もしもこの二人がいなければ訳も分からないまま銀髪に攻め込まれていたかもしれない。

 知らなかったのか、知っていてもテレパシーの対象から除外できなかったのは確信ができないけど。

「よく教えてくれた。二人とも後で何か褒美をやるよ」

 表面上は春の風のように穏やかに。内面は燃え滾るマグマのような怒りを堪えて。

「ありがとうございます!」

「あ、ありがとうございます。……あの、質問していいですか?」

「ちょっと久斗! 失礼でしょ!」

 久斗を嗜めようとした美月を制する。

「いいよ。何が聞きたい?」

 もじもじと弱気な瞳をさまよわせながら質問してくる。

「あの……あれが神様なんですか?」

 久斗はきっと心配なんだろう。いきなり神様からお前を殺す宣言されたら不安にもなる。でも直接蟻を殺せと言っていたけどそれに従わなくていいのか? なんて聞けるはずもない。だから婉曲的な質問になったらしい。

 ちゃんと答えてあげないとな。

「もちろん違う。あんなものはただのまがい物だ。あれがもしも本当に神様で、万能であるというならば、オレたちなんかすぐに消されるだろうさ。それどころかわざわざお願いしなければならないようなやつだ。偽物で、小物だ」

「そ、そうですよね」

 二人とも……どうやら美月も心の中では心配だったらしく、ほっとした様子を見せる。

 不安が取り除かれた二人とのテレパシーを打ち切り、だれもいないことを確認してから大きくため息をつく。

 溜めていた感情が一気に爆発した。


「ああああんの翡翠かわせみの野郎おおおお!!!! 転生管理局の神モドキがああああ!!!!」

 怒りに任せて手近な筆をぶん投げる。乾いた音をたてて床を転がる。どう考えてもこの『神の声』は転生管理局の差し金だ。こうも露骨に干渉してくるとは思っていなかった。

 そうか。そんなに戦争がお望みか。神がそう望んでおられるのだ。

 遠慮など敵はしないだろう。オレもしない。この大地を血で染めてやる。ならまずあいつに連絡だ。

「樹里! 船は!?」

「すでに試験は終わらせています。出発ですか? そうですよね!」

 どうやら秘密兵器の開発は終わっているらしい。やたらテンションの高い樹里がワクテカしている。

「そうだな。風次第だけど……できるだけ急いで出発させてくれ」

「はい!」

 ここ数か月待ち望んでいたであろう言葉を聞いてどこかへすっ飛んでいく。

 本拠地の場所がばれた以上、持久戦は困難だ。銀髪に対してだけは守りを固めるという戦法が通用しない。この一戦で銀髪との決着をつける気概で戦わなければならない。

「やってやろうじゃねえか。何もかも、オレを殺そうとするなら、全部ねじ伏せてやる」

 幸い硫酸と硝酸の貯蔵は着々と進んでいるし、今ならアンティ同盟も協力してくれるだろう。

 それ以外の味方になってくれそうなのは……間に合わないか。現在の騎士団の位置からすると最短距離なら半月くらいだ。ただ……連中の食料や装備で山越えができるかどうかはわからない。強引にでも山越えしてくるなら二十日かからずにエミシの本拠地に突っ込んでくるだろう。

 それまでに何かできること……。

 やっぱり情報だ。こっちの位置はばれている。道のりまで頭の中に入っているらしい。……さっきも言ったけどどうやってここまで来るのかはわからない。それを知りたい。

 ……時期尚早だけど……あの双子を早めに仕上げないといけないかもしれない。

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