303 戦士の約束
高原に侵入した銀髪の進路は最悪を上回っていた。狙っているわけではないだろうけど、バッタを討伐しているアンティ同盟の部隊とちょうど鉢合わせる進路になっていた。
このまま戦えば銀髪との正面衝突は避けられない。だから、囮と
だから誰かが、銀髪と戦わなくてはならない。そしてその部隊に選ばれたのは……やはりカンガルーたちだった。その理由は今銀髪たちが進軍している場所はカンガルーが治める地域だった……それだけだ。要するに、とてつもない貧乏くじを引くしかなかったのだ。
「ヴェヴェ! それでは戦いに参ります!」
今から戦いに赴く戦士長には焦りも緊張もない。そこらを散歩するように気軽にこの高原の風のようにカラリと答えるだけだ。
「……あんまり気分は良くないな。オレの失態の尻拭いをしてもらうわけだし」
「ヴェ! お気になさらずに! 敵の戦い方も教えてもらえましたし、土産ももらいましたから!」
マーモットたちに依頼されて渡した土産。比喩抜きの冥途の土産だ。安心して死ぬための道具。それはただの風船のようなものに詰められた硫化水素だ。衝撃を受けると破裂して辺りに硫化水素をばら撒く。
手に入れた硫黄を実験に利用していて副産物として硫化水素を入手した。念の為に言っておくと自殺の道具じゃない。ヒトモドキたちにカンガルーたちが死亡した後、その死体を食べられないための工夫だ。
硫化水素はいわゆる硫黄臭いにおいである腐乱臭を発生させる。そんな臭いを嗅いだヒトモドキはどう思うだろうか。きっとカンガルーは腐っている、奴らの言い方では穢れている、そう思うはずだ。
そして恐らく奴らは腐った肉を食べない。飢えに飢えれば食うかもしれないけど、まだそこまで追い込まれてはない。
ほんの少しでも奴らに食べ物を与えないための苦肉の策、いや腐肉の策か。
つまり、この作戦は戦士長を始めとするカンガルーたちが死亡する前提で進められている。
「ヴェヴェ! 勝ち目はほぼありませんが何、それで生き延びる方々がいらっしゃるなら構いませんとも!」
戦士というやつはどいつもこいつも死への恐怖というやつをどこかに忘れて……いや、自ら進んでどこかに置いてくるようだ。オレには理解できないし、その必要もないだろう。
「戦士長。そろそろ敵が来る」
「ヴェー! ではおさらば!」
大きく飛び跳ね、砂塵を巻き上げる。何も後悔などないというように。
「ヴェー!!」
「ヴェ、ヴェー!」
ヒトモドキたちに発見されてしまったことを装ったカンガルーたちは慌てて逃げるふりをする。カンガルーの脚力は驚異的で、駕籠に乗っている銀髪では決して追い付けない。しかし角馬に乗っている遊牧民ならかろうじて追いすがることはできる。
銀髪とはなるべく戦わない方がいい。戦うよりも戦わない方が上策だ。しかしそれでも戦わなければならないのなら、まずは銀髪が攻撃をできない状況に持ち込むことに心を砕くべきだ。
例えば、攻撃すれば味方を巻き添えにしてしまうようにするとか。
突如として舞い降りた鷲が銀髪の一団に襲いかかる。上空を警戒していた遊牧民たちが警戒の声をあげる。
それよりも早くその鉤爪を振るうが――――銀色の壁に遮られた。
最初の奇襲は防がれた。しかしこれで銀髪の注意は上に向いた。
「ヴェッヴェッヴェッ!」
カンガルーは百八十度旋回し、一斉に追ってきていた遊牧民たちに肉薄する。
遊牧民たちと乱戦状態に突入してしまえばもう銀髪は攻撃できない。遊牧民たちも射撃するが、魔法の相性差は覆せず、そのまま衝突する――――そう思われた刹那、遊牧民たちの隙間を縫うように銀の剣が一直線に現出する。
(まさか遊牧民ごと薙ぎ払うつもりか!?)
合理的に考えればありの戦術とはいえ――――。
しかし銀髪はいつでも予想を超える。銀の剣はカンガルーの鼻先に迫ると扇状に枝分かれし、カンガルーたちは切り裂かれた。
巨人の腕がカンガルーたちを引き裂き、赤い濁流を作ったように見えた。事実、カンガルーたちが流した血は乾いた大地でさえ飲み干せなかった。
しかしそのままでは終わらない。偶然にも銀髪の剣が迫った時に大きく跳躍していたカンガルーたちは生き延びていた。
戦士長を始めとするわずかなカンガルーは遊牧民たちの懐に飛び込んだ。
「ヴェヴェ!」
「ヴェ、ヴェー!」
遊牧民たちのど真ん中で大暴れする。剣で突かれても、弾を撃たれても決して止まらずに動き続けるさまは戦士にふさわしい。
とはいえいかんせん数が少ない。どれほど強かろうと数十倍という数の差は埋められない。いずれ必ず朽ち果てる。
だから狙うべきは一点。この一団の要。銀色の髪を持つ少女のみ。
遊牧民との乱戦を続けていれば、いずれ近づいてくる。だからそれまで持ちこたえる。前進している軍隊はそう簡単に止まれない。
カンガルーたちは多勢に無勢をものともせず戦い続け、しかし魔法で防御できない背中や、防御できる限界を超える攻撃を受け、また一人と倒れていく。だが諦めない。銀髪が近づくその時まで。
そして、根勝ちしたのは戦士長たちだった。ただ目線と最小限の体のポーズでお互いの意志を伝えあう。
もしかするとカンガルーたちの肉体言語はこういう時の為にあるのかもしれない。
「ヴェ――――!!!!」
一人のカンガルーが大声と行動で気を引く。
一瞬だけ外れた視線を利用して戦士長は走り出し、他のカンガルーたちは銀髪に向けてヒトモドキを蹴り飛ばす。
カンガルーの豪脚に蹴り飛ばされた敵は宙を舞い、戦士長はそれに隠れるように銀髪に襲いかかる。
「!?」
銀髪は驚きながらも魔法を繊細に操作して吹き飛んだ味方の兵士を受け止める。
それこそが戦士長の狙い。銀髪がどれだけ強かろうが、たった一人。味方の救助と敵の攻撃を防御することは同時にできない。
はずだった。
瞬時に銀髪から突き出た刃は戦士長の胸を切り裂き、朱色が舞う。驚くべきことに一瞬で攻撃と防御をしてみせた。奴の限界はどこにあるのか。
しかし、その攻撃があまりにも鋭すぎたためだろうか。
飛び跳ねた勢いが失われずに、一直線に上半身だけになった戦士長が銀髪に向かう。
「――――!」
叫ぼうとした戦士長が口から出したものは真っ赤な血だった。その命が途絶える寸前の力を振り絞り、右手に込めた力を銀髪に振り下ろす。
……しかし、銀髪の皮一枚、銀色の鎧のような壁が、攻撃を阻んでいた。
勢いを失った戦士長の上半身は力なく地面に横たわり、その血とともに命が失われる前に、銀髪の周囲にいたヒトモドキたちになます切りにされた。
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