298 ジェミニ

 石造りの小屋に入った育児係の男二人は涙を流していた。

 その理由は悲しみではない。感動、あるいは喜びによるものだ。

「ラクリ様……あれほどまでに神々しいお姿と信仰心をお持ちだったとは……」

 悪魔の虚偽を暴き、夢で神から託宣を受けたことを語る様子は彼らにとって涙を流さずにはいられなかった。

「その散りざまも……あれこそまさに神の御意思に従う信徒のお姿だった。あのような御方に毎日お声をかけていただき、楽園へ旅立つ啓示を授けていただけるとは……これほどの幸福はあるまい」

 彼らにとってあの自殺は神と、王族と、聖女の啓示を受け取った偉大なる献身に他ならない。羨ましいと思うことさえはばかるほどに、ラクリはこの関の住人の心を動かしていた。セイノス教徒全般に言えることだが、彼女、彼らにとって上位の存在から命令を受け取ることは無上の喜びなのだろう。

「それでは、早くラクリ様の御子息も楽園に旅立たせなくては」

「うむ。しかし……」

 すやすやと眠る幼児たちは恐れも、悪も知らぬようだ。

 そんな幼児たちを見てこれから行うべきことにためらいを感じていた。ただしそれは汚れなき幼児を殺すことへの抵抗感、ではない。

「我らごときが気高きラクリ様の御子息を救うことが許されるのだろうか?」

「だが、ラクリ様は我が子のことを何もおっしゃられなかった。これは我々に後事を任せるとの信頼の表れだろう」

 その推測は大いに間違っている。ラクリが我が子のことを何一つ話さなかったのは単純に忘れていたからだ。

 彼女は夢での言葉とその解釈を伝えることに必死で自分の子供のことなどすっかり頭の端からも抜け落ちていた。もっと露骨な言い方をすれば、もう興味を失っていた、どうでもよかった。

 もちろんそんなラクリの心情を把握するすべなどあるはずもない。

「その通りだ。さあ、いと気高き御子を我らの手で楽園へと旅立たせよう」

 ゆっくりと眠る幼児に歩を進める。その手には煌めく魔法の刃が輝いている。

 彼らの失敗は、わずかな間とはいえ躊躇ってしまったこと。そして何よりもむせび泣いていたせいで、注意力が散漫になっていたために、扉を閉め忘れてしまったこと。


 だから、それが飛び込む隙を与えてしまった。


 青みがかった翼をはためかせ、鳥たちが二人の男に襲いかかる。狭い室内でカッコウに許される最大限の機動力を発揮し、二人の男を翻弄する。

「ぐ、おのれ! 穢れた魔物が!」

 くちばしと爪で顔を抉ろうとする鳥に刃を向ける。

「よせ! そいつらの狙いはラクリ様の御子だ! 穢れた魔物は清い赤子を穢そうとしているに違いない!」

 男の言葉は偏見と視野狭窄にあふれていたが、あながち間違いではなかった。カッコウの和香の目的は赤子で、それを自らの陣営に取り込むことだ。

 もう一人の男が鳥を無視し、赤子に救いの刃を振り下ろそうとするが――――。

 この作戦の目的、敵の習性、それらを全て理解していたカッコウ、和香が身を呈して立ちはだかった。

「邪魔をするな魔物! 我らは御子を救わねばならんのだ!」

 刃が和香に振るわれ、その羽が切り裂かれた。ぱっと赤い血が飛ぶ。

 もしも何一つ事情を知らない赤の他人がこの光景を見れば誰が誰を救おうとしているか判断に悩むところだっただろうが、少なくともこの場にいる全員が赤子を救うために行動していたのは確かだ。

 その結果が、赤子を血に染めるかどうかという違いしかない。

 力なく室内に墜落した和香はそれでも無理矢理羽と足を動かし、懸命に男にとびかかる。

「く、この、しつこ――――」

 男の言葉は最期まで終わらなかった。

 扉をこじ開けたラプトル、翼がその魔法を一閃させた。首に大穴が開いた男は鮮血を噴水のように奔出させ、天井に夥しい血痕を残した。

 翼に気付いたもう一人の男が斬りかかるが、尻尾を鞭のように振るうと男は壁に激突した。

 立ち上がろうとした男が最期に見たのは怒気を漲らせる翼だった。


「誰か。和香の治療を」

「コッコー、申し訳ありません」

「謝るな。お前は任務を果たした。何の落ち度もない」

 和香の傷は深い。再生能力の高い魔物なら適切な治療、時間と食事があればそのうち治るはずだけど、当分の間戦闘や飛行は無理だ。ここで和香が戦線を離脱するのは後々尾を引くかもしれない。しかし和香が体を張らなければ恐らくこの赤ん坊は殺されていた。つまりこの戦いで得るものが何もなかったという状況になりかけていた。

 逆を言えばこの双子?以外の収穫はないってことだけどな。ラクリの最大にして唯一のミスはこの双子を真っ先に殺さなかったことだ。こいつらを自分自身の手で殺していればオレたちの収穫は何もなかっただろう。

 オレは奴の失敗を最大限に利用しないといけない。そのために、この双子にきちんとした教育を施し、スパイなどに活用するべきだ。

 ひとまず茜にこの双子をあやすように命令しておいた。


「王。お尋ねしてもよろしいですか?」

「ん、何だ翼?」

「この二人は何を言っていたのですか?」

 さっき翼が殺した男のことか。

「……穢れた魔物からこの赤子を救おうとしていたよ。多分、こいつらはラクリとか言うやつの子供だな。状況的に考えてあの真っ先に自殺した奴がラクリだろう」

 何というか、救うという言葉がゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。

「……そうですか」

 翼は二人の男の死体をにらみつけている。子殺しというのは翼にとって受け入れられないらしく、そうとう腹に据えかねているようだ。もっとも子供を積極的に殺すような社会を受け入れる方がどうかと思うけど。

「ひとまずこの砦内の捜索だ。どんなものも見逃すな。ああ、それと死体はきちんと始末しろ。もったいないからな」

 やってることは完全に強盗だけど、孫子も言っている。物資は現地調達こそ効率が良いと。

「翼、寧々、千尋。ちょっと相談だ。これからどうするか、銀髪たちがどう出るかちゃんと予想しておこう」

 作戦が上手くいかなかったのはよくあること。大事なのはその失敗をどうカバーするか。

 あまり明るい見通しがないのか三人とも深刻な様子を見せていた。

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