285 五年前の君へ

「まず五年前に争乱があったことはご存じですか?」

「知っています」

「ああ。直接参加していた人たちから話を聞いたよ」

 タストは知識から、ウェングは伝聞系で五年前の戦いについて知っていた。

「はい。私は直接参加したわけではありませんが、私どもの母は戦闘の事後処理に加わったそうです。何度か話を聞きました。かなり凄惨な戦いだったようです」

 五年前。

 魔物が群れを成し、数多の都市を蹂躙したという。

「敬虔な信徒たちは懸命に自らの居場所を守るために立ち上がりましたが、やがて力尽き倒れました」

「そこに現れたのがトゥッチェの民、だよな?」

「はい。窮地に陥っていた戦場を駆け抜けたと伝えられています」

 ウェングは見てわかるほど誇らしげだ。例え良い扱いをされていなかったとしても、自分の一族の活躍は喜ばしいようだ。

「ですがトゥッチェの民の戦い方は中央から派遣された騎士団からは著しく不評でした」

「な! どうして!?」

「ウェング、落ち着いて」

 思わず激発したウェングをなだめる。どうやら話の中心に近づいているらしい。

「トゥッチェの民の戦い方は攻撃を当ててすぐに騎馬の足で敵を振り切ったり、機動力を活かして横合いから射撃するものです。その戦い方が魔物を倒すには効率的だったのでしょう。ですが、騎士団の幹部からは戦場で逃げ回っている。あるいは中央の騎士団たちを囮にして自分は安全な位置から攻撃している……そう報告したようです」

「はあ!? 戦術ってそういうもんだろ!? 何考えてるんだ!?」

 タストは戦術や指揮に詳しいわけではないし、前世でもそういう知識は乏しいが、一撃離脱戦法や敵の横から攻撃した方がいいということくらいは感覚でわかる。それさえも理解していない連中が騎士団を率いていたのか?


 実のところ、戦場において一兵卒の視野はとても狭く、たとえ指揮官でも戦場全体を見渡すのは至難の業だ。

 だからこそ、戦術とはなるべく単純な隊列などで戦わなければ連携を行うのは難しい。クワイの歩兵はその傾向が顕著に表れており、複雑な陣形戦術などはめったに行われない。これはクワイの兵隊は概ね徴発された農民であることにも由来する。徹底的に鍛えられた千人が複雑な戦術を使うよりもそれなりに動ける素人一万人を適当に突撃させた方が効率的なのだ。

 が、トゥッチェの民は産まれた時から角馬に乗り、複雑な戦術を大軍で行使できるほどに鍛えられてしまった。

 故に、クワイにおいて突出した騎乗技術などの軍事技術を獲得した。それらの技術は素人を率いるクワイの戦にとって革命的な技術だったが、同時に理解困難な技術でもあったのだ。先駆者が理解されづらいのは世の常でもあるのだが。


「流石に全てトゥッチェの民を貶める報告がなされたわけではありません。正当な評価を与えた指揮官もいます。それでも末端の信徒たちにさえトゥッチェの民を惰弱で卑劣だとみなす風潮は広まり、魔物に乗ることを下賤だとのたまう輩は増える一方でした」

 ウェングの顔を横目で見ると、怒りのあまり真っ赤になっていた。無理もないだろう。

 仲間が必死で戦い、勝利を勝ち取っても評価されない。そんな状況はどう考えてもおかしい。

「最後の戦いではほぼトゥッチェの民だけが戦ったと聞きます。あるいは、自分たちだけで戦えると証明したかったのかもしれません。その戦いで勝利したことと、今までの戦いぶりからトゥッチェの民は褒賞を得ることになりました。ですが……」

 ようやく報われる時が来た……のはずが逆接の接続詞で文を締めているのは不吉な予感しかない。

「彼女らの要求した褒賞はもたらされませんでした」

 言葉がなくなったウェングの代わりにタストが尋ねる。

「その要求とは一体何だったんですか?」

「当時の族長に司祭の地位を与える、ないしは司祭にふさわしいかを審査する機会を設けてほしい、というものでした」

「司祭? 司教ならともかく……司祭ですか?」

 司教は貴族……つまりは高位の聖職者に代々選ばれるような家系でなければそう簡単にはなれない。しかし司祭ならば平民だとしてもその働きを認められれば十分に成り上がれる役職でもある。

 地球で考えれば戦働きで爵位を与えられるようなものだ。

 むしろこのトゥッチェという万を超える集団の族長でさえ司祭になっていないというのは違和感しかない。

「ええ。ですがその要求は却下されました。トゥッチェの民は司祭になれない、それどころかふさわしいかどうかを審査する機会さえ与えられませんでした」

「それはおかしい。せめて審査する機会はあってもいいでしょう」

 いくらトゥッチェの民が嫌われていると言っても限度がある。

 合格するかどうかはともかくとしてそれを望む者に試験を受ける機会はあってもいいはずだ。試験というものに思うところがあるタストとしてはその不条理は看過できない。

「審査には絶対に通らない。そう断言されたからです」

「何故……?」

 アグルはゆっくりと瞼を閉じ、すぐに目を開いて致命的な言葉を口にした。

「司祭にはがあるからです」

「……! そうか、確かに……トゥッチェの暮らしでは、拝礼義務は果たせない……でも、それはいくら何でも……」

 タストは巡察師になる過程で規則に関わる知識は十分すぎるほど学んでいる。だがウェングはそれを知らなかった。

「拝礼義務……なんだそれ……」

 ようやくウェングが口に出した言葉は弱弱しかった。

 苦い表情でタストもその疑問に答える。

「司祭以上の役職には七日に一回、で拝礼を行う義務があるんだ。例外はあるけれど……その義務を怠った場合、罷免されることもあり得る」

「……? どうしてトゥッチェじゃそれが果たせないんだ? うちにも教会はあるぞ?」

 ちらりともっとも大きな天幕、いつも教会として扱っている天幕を視界に入れる。

 だがタストとアグルの表情は明るくならない。

「ダメなんだ。あれは正確には教会じゃない。そう認められないんだ」

「ど、どうしてだよ! みんないつもあそこで祈ってるぞ!?」

「ウェング様。失礼ですが、正式な教会と普段祈っている場所はまた違うのです。正式に中央から認められなければそれは教会とは認められません」

 アグルの言葉によって、今までしっかりと地面に足をつけていたはずのウェングは底なしの穴に落ちる気分を味わった。

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