286 ミートゥー?
「じゃ、じゃあ、あそこが教会だって認めてもらえばいいだけじゃないか!」
必死さと切羽詰まったような叫びは痛々しささえ感じる。
「それもダメなんだ。その建物が教会だと認められるためにはきちんとした基準があって、審査と許可が必要になる。少なくともあの天幕では認められない」
教会には建築基準法ほどではないにせよ、一定のルールがある。
壁や柱に使う材質、祈りを捧げる広間の広さなど……信徒が祈り、心安らぐ場所を提供しなければならないのだから、口うるさくなるのは致し方ないかもしれない。
同時に遠方から来た旅人でもそこが一目で教会だとわかるための措置でもある。とにかくクワイでは祈りを食事以上に大切にすることも珍しくはなく、その祈りの中心とも呼ぶべき教会はしっかりとした建物でなくてはならない。実際のところは……昔教会が乱造されすぎたため管理しきれなくなったので、このようなルールができたらしい。
しかし時間と多少の資金さえあれば末端の民草でも決して建築することは不可能ではなく、決して非情なルールではない。ただしそれはあくまでも定住民から見た場合である。
「教会は頑丈な建物じゃないといけない。一か所に留まる暮らしに適した建物じゃないと正式に教会とは認められないんだ。……トゥッチェの人たちは、それで暮らしていける?」
手をだらりと力なくおろし、頭を地面に向ける。答えなど聞かなくてもわかりきっている。どうにかウェングは答えを口にする。
「無理だ。……魔物がいつ襲ってくるかわからない。俺だって魔物が目と鼻の先にいたこともある。すべての魔物と戦ってたら、こっちの身が持たない。俺たちは逃げながら、移動しながら生活するしかない。……以前チャーロさんが司祭になれないって言ってたのはこういうことか」
トゥッチェの民は決して司祭以上の聖職者にはなれない。その残酷な事実はトゥッチェの人々を打ちのめすのに十分だっただろう。
このクワイにおいてより高位の聖職者を目指すのは国民にとっての義務に等しい。誰もがセイノス教に従い、ほんの少しでも神や救世主に
一族郎党、司祭にさえなれないというのは栄達へと繋がる門が漆喰で固く閉ざされているようなものだ。厳しい戦いを繰り返している民にこの仕打ちはあまりにもむごい。
恐らくはこれこそがトゥッチェが抱えている問題の一つなのだろう。絶対に高位の聖職者を輩出できないということはどこにも後ろ盾や支援者を得ることができず、同時に蔑まれる一因にもなっているはずだ。
「タスト様。ウェング様。話を続けてよろしいでしょうか」
「お願いします」
ウェングは言葉を発さずにただうなずいた。
「トゥッチェの方々は司祭になることが不可能でしたが、だからと言って褒賞をもらいたくないわけではないですし、そもそも十分な働きを見せたトゥッチェに対して何の報酬も支払わないわけにはいきません。様々な提案と議論が交わされたようです」
信賞必罰は世の理であるし、トゥッチェを評価する重臣もいたのかもしれない。問題はその報酬が何かということだが。
「具体的に上とどのような話があったのかは定かではありませんが……王族の子供を養子として迎えないか、という話が持ち上がったようです」
王族。
その言葉で思い当たるのは二人。目の前にいるウェング。そして転生者にしてラオの後継者である田中紅葉の今世の名前であるティキー。
王族の子を養子に迎えるというのはまれにある話だ。大きな功績を成し遂げた者や、名のある貴族が王族の子供を育てることもある。何にせよ、貴き一族である王族を迎え入れるのは大変な名誉なのだ。
徐々にピースが埋まってくるのを感じる。そのパズルが完成しても心が晴れることはないと薄々感づいてもいたが。
「どうやらトゥッチェの方々は歓喜したようです。これで貴族になれる、と」
「貴族に……? いや、それは……」
再びウェングに視線を移す。タストはアグルの言葉には現状を鑑みれば致命的な矛盾があることに気付いていた。
「……俺に関わる話か? ここまで来たなら今更だ。どんな話でも受け入れるよ」
わずかに逡巡するがここで話さなくともそのうち気付くことだ。ましてもう一人の当人に違いないティキーがここを訪れようとしているかもしれないのなら。
「貴族になる方法はいくつかあるけど……そのうちの一つに王族の子供を養子に迎える方法がある。王族の
田中紅葉の現在の名前のティキーのフルネームは、ティキー・アースル・リシャオ・リシャン・ソメル。ティキーの場合、アースルが養子に送られた家に与えられるミドルネームになる。ソメル家はすでにミドルネームを得ているのでその場合はどちらかを選択することになったはずだ。
ここで問題なのは――――。
「俺が男だからおかしいのか。男子を養子に迎え入れてもミドルネームはない。つまり貴族にはなれない。……族長やチャーロさんは迎える養子が男だって知らなかったのか?」
「わかりません。私もその場に居合わせたわけではありませんし、母もすべての内情を知りうる立場ではなかったでしょうから。確かなのは別の家で王族の女児を迎えたということだけです」
その王族の女児はほぼ間違いなくティキーだろう。他にそんな話は聞かない。
ラオもその時の争乱か、はたまた別の場所で何らかの働きを行い、王族を養子に迎える権利を得た。
クワイの上層部はそこで難問に突き当たった。さてではどちらによい褒美を取らせようか?
結果として選ばれたのはラオだった。
貴族になれる。司祭にはなれなくてもこれでセイノス教徒として恥ずかしくない立場になれる。そう思っていた当時のトゥッチェの人々の憤激と失望は推し量れない。
しばし呆然としていたウェングはやがてかすれる声を出した。
「何かおかしいとは思ってたんだ。俺は大事にされてないわけじゃない。でも、年かさの大人たちは腫れ物に触るみたいに俺を扱っていた。王族だから大事にしなければいけないけど、でも女じゃないからトゥッチェの立場は全く変えられない。俺は……ハズレだったってわけだ」
彼の境遇は彼に責任があるわけでもない。周囲の大人たちの失望もタストには理解できる。巡察使としての立場を得た後と、得る前とでは周囲の扱いの差ははっきりとしていた。
役職や立場はその人の在り方を一変させるのだ。ましてやそれが組織全体ならば。
ではウェングをトゥッチェに送り出した王族が悪いのだろうか。このクワイで王族に対してそんな意見を口に出すことは不可能だ。そもそも王族がどんな暮らしをしていて、どんな人物であるかを知っている人などほぼいない。タストの母親である教皇でさえ王族と会ったことはほとんどないらしい。
王族とは彼方にいる神と救世主と違い、地上に権威を持ち、崇拝と畏敬の念を一身に浴びる存在だが、同時にその身は俗世から隔絶された王宮にある。だからトゥッチェは何も言えない。
だがもしも、仮に、ウェングが女だったならどうなったのだろうか。万事丸く収まっていたのだ。
彼の境遇は彼の才能や努力には関係がなく、しかしながら血筋にさえ問題はなかった。
ただ、性別。男か、女か。
生まれる前に二分の一の確率で決定する性別という変えようのない事象によって定まっていた。
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