271 追走の始まり

 族長やチャーロを始めとした修道士は黒い修道服の上に白い外套を羽織り、前線へと駆け抜ける。白い外套を羽織っているのはチャーロの提案だが、何故、そう理由を問うことはなかった。

 魔物が黒い服を着た修道士を優先して狙っているのではないか。

 その疑問を口に出すことは魔物に知恵があることを認めかねないからだ。ようやく近づいた彼女らは矢の雨を防ぎながら前線へ向けて声を張り上げる。

「前進をやめよ! その太鼓は悪魔が我々を惑わしているのだ! その音に耳を傾けるのは敬虔なセイノス教徒ではないぞ!」

 この発言もかなり際どい。悪魔の存在を主張する権利は彼女に無い。だが、あくまでも惑わしているだけでそこにいるかどうか明言しないことでかろうじて修道士が許される発言の枠に収めているはずだった。

「族長!」

 傍に控えていた側近が身を呈して彼女を庇う。針のむしろになった側近は物言わぬ骸になったが、貴重な時間は稼げた。

「繰り返す! 直ちに撤退せよ! 今すぐここを離れるのだ!」

 族長の言葉は雫のようにゆっくりと、ようやく味方に染みわたっていった。


「あらら。なかなか優秀な部下がいるなあ。琴音がいれば……いや、いない奴のことを考えるのはやめよう」

 本来の予定だとここでアリツカマーゲイたちが、

『騙されるな! 我々の長がそんな臆病なことを言うはずがない!』

 みたいなことを言う予定だったんだけどな。諸般の事情で見送った。あいつらの言語学習能力は予想以上で、もうネイティブと変わらない言葉が話せるくらいになっている。

 のろのろと撤退を始めるヒトモドキ。喜び勇んで突撃したのにおめおめ逃げ出すのは恥ずかしいみたいだな。でもこの場で敵を全滅させるのは難しいか。半数近くを殺傷したけどまだまだ敵はいる。

 もちろんこのまま逃がしはしない。


「白鹿たちはゆっくりと前方から罠地帯を抜けてください。騎兵、およびチャリオットは林から抜けます。蜘蛛、林の罠を解除し、道を開けてください。王、ここは任せてもよいですか?」

「わかった。お前は追撃の指揮を。それと、予定通り野営地に向かった連中には別動隊を向かわせているぞ」

「では万事つつがなく」

 別動隊の役割は二つ。もしも逃げなければならなくなった時、敵の側面を衝いて隙を作り、その間に本隊を逃がす。もう一つは敵の撤退を阻止すること。

 遊牧民たちは馬鹿じゃない。戦闘が不利になったことを悟ると野営地を引き払わせる、あるいは救援を要請するための伝令を出していた。ただしその数は十騎ほど。別動隊の数は千。勝負の結果は見るまでもないだろう。

 まあ敵の本隊は未だに七千人以上はいるから、そいつらをいかに足止めできるかがこの追撃戦のカギになる。


 この辺りで彼我の戦力を確認しようか。

 まずは敵から。そっちの方が数えやすいし。この戦場にいたのが大体騎兵一万四千。

 この戦いで甚大な被害を受けて騎兵六千、馬を失った歩兵が千。合計で七千。

 こちら側はややこしい。騎兵に追いつける速度がある奴だけで追撃しないといけないから蟻と豚羊、蜘蛛は戦力外。

 ラプトル騎兵が千。別動隊の騎兵が千。

 白鹿が千。

 虫戦車が五百。

 合計三千五百。数だけならまだ倍以上の差がある。ただしこっちはほぼ無傷で体力も温存できているし、向こうは疲労していて撤退戦で士気も落ちているはず。それに虫戦車みたいに複数人で運用する戦力もあるから数だけで戦力を測れない。それでも実際に戦ってみるまで結果はわからないけどな。

 ちなみに追撃戦に加わらない兵隊はヒトモドキの遺体から色々な物をはいだり、加工したりする予定。生き残りがいたら捕縛するけど、どうだろうな。こいつらはめったに気絶しないみたいだから上手く捕獲できればいいけどなあ。


 で、結果から言うと生き残りゼロ。ご丁寧にもきちんととどめをさしていたようだ。

 味方にだよ? オレ何もしてないよ? 

 何を言っているのかわからないけど、ヒトモドキにとって魔物に殺されるのは恥、というかまあよくないことらしい。だから、魔物に殺される前にちゃんと自分たちで殺してあげる。それが、救い。

 一体どこに救いがあるのかわからんが、戦術としては間違いじゃない。オレは捕虜を取り損ねたのだから。




 緑の草原を駆け抜ける。爽やかな風が頬をなでるが、今は嫌な汗が風に流され消える不快感が募るだけだ。

「急ぐぞ! 何としてもこれ以上被害を増やすわけにはいかん!」

 彼女たちは野営地に撤退の準備を始めさせるための伝令だ。いかに移動しながら生活する遊牧民でも、これだけの大所帯なら、ただ移動するだけでも時間がかかる。だから敵が接近するよりも先に何としても指令を伝えなくてはいけない。

 だが、そう簡単に話は進まない。

「前方に何かが……竜です!」

 悲鳴のように凶報が伝えられる。彼女たちの鋭敏な視力はその敵の正体をはっきりと確認していた。話に聞く、凶暴極まる魔物の姿。その魔物にまたがる蟻。そして、数において劣っていることも。

「一人でも抜ければそれでいい! 半数は散れ! もう半数は私と共に敵に食らいつく!」

 祈りの言葉を口にしながら<光弾>を放つ。着弾した。だが……。

「た、倒れません!」

 間違いなく当たった。しかし何事もなかったかのように前進を続ける竜。

「馬鹿な! 不死身か!?」

 迫る竜に<光剣>を抜き放ち斬りかかる――――しかし。

 剣が届くことはなく、竜の爪から伸びた光がその喉元を突き破った。

 散り散りになった兵は必死に竜から逃れようとするが、徐々に距離が詰まっていく。

「もっと速く走れ! 何故こんなにも遅――――」

 そしてまた荒地に赤い花が咲く。全滅するまでにかかった時間はそう長くなかった。




「よし。実際に戦ってみた感想はどうだ?」

 別動隊を指揮していたラプトルに尋ねる。部下へのヒアリングを怠ってはいけない。

「防護服の防弾性は疑いようもありません。また敵の足は鈍っています」

 ラプトル騎兵は、騎手、騎竜ともにごわついた強化蜘蛛糸を基本とした繊維で作られた服に身を包んでおり、最後に頭部をヘルメットで守っている。それこそ鎧のようなもので身を守ってもよかったけどそれじゃあせっかくの機動力が鈍ってしまう。一番の仮想敵であるヒトモドキの遠隔魔法を防げるくらいの防御力を持たせておいた。それでも衝撃がなくならないので痛みは感じる。しかしラプトルも、働き蟻も痛みでは決して止まらない。

 ただしこの防護服は斬撃には弱い。ヒトモドキの場合接近戦になると防御力が落ちるはずだけど……そこはラプトルの魔法、<恐爪>でカバーする。ヒトモドキの<剣>は文字通り剣くらいの長さだけど、<恐爪>は槍くらいには伸ばせる。わずかとはいえ射程の長さが戦闘に与える影響は大きい。加えてこっちは騎竜と騎手、その両方が攻撃に参加できる。真正面から、騎兵同士の一対一の戦闘ならまず負けない。

 ま、相手が行儀よくタイマンに応じてくれるはずもないけどな。もちろんオレも応じさせないけどね。

 この結果を翼に報告して追撃戦に役立ててもらうとしよう。

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