262 ユニオン

 誰かが言った。

 生き物は生きているだけで美しいと。その言葉に同調する人は多いだろう。よほどの変わり者でない限り真っ向から否定はしないはずだ。

 現代文明に囲まれた生活ではある種の回帰願望として自然や野生動物の力強さや美しさを説くエコロジストなど珍しくもない。

 だが。

 この光景を見ても、生き物は美しいと言えるだろうか。


 ヘドロの沼のように黒い大地が蠢く。見間違いようがないバッタの群れ。まだ見ぬ豊かな大地を求めて今にも飛び立たんとする群れは貪食どんしょくを繰り返していた。

 かつて緑で覆われた大地をその顎で噛み、引きちぎる。ぐちゃぐちゃと不協和音のような咀嚼音が辺りに響く。もはや痩せこけた大地を歩みながら飢えを満たそうとする。

 いや、痩せこけたという言葉では足りない。正真正銘にこの大地は汚されてしまった。暴食しか知らないバッタはその排泄量もすさまじく、その体と同じ黒い排泄物は悪臭を放ち続けている。

 しかしこの地獄そのもののような大地でさえ新しく生まれる命はある。地面を突き破るように小さなバッタが顔を出し――――飢えたバッタの成虫に一飲みにされた。

 極限の飢餓の前には親子の情など何の役にも立ちはしない。

 もう一度問おう。

 命は美しいと言えるのか?


 ただ――――この場に集った戦士にはそんなことはどうでもいいのだろう。何が正しいのか、何が間違っているのか。何が善で、何が悪か。何が美しく、何が醜いか。そんな価値観はどうでもいい。

 彼女、ないしは彼らの思いは単純だ。自らの土地を荒らす敵を駆逐する。それ以外は必要ない。それさえあれば命を懸け、戦うことができる。迷いも葛藤も、どこにもない。




 朝焼けの空を染め上げるような白い光がバッタの群れを襲う。まどろみの淵に立ち、薄闇に眼が慣れていたバッタたちは眼をやかれ、呆然とするかのように動きを止めた。予想外の事態に直面すれば逃げるよりも放心し、動けなくなるものだ。

 そうして動きを止め、眩んだ眼が慣れたバッタたちの目に飛び込んできたのは、白い牙と赤い口、つまり地獄への入り口だった。

 思考する一瞬の間さえ与えずにライガーの口が閉じられる。ライガーの爪が、牙が、バッタの群れを引き裂いていく。まず光で驚かせ、白兵戦に持ち込む。ライガーの狩りにおける常套手段だ。


「黒き悪魔よ。我らがアンティより賜りし土地を汚すなら容赦はせぬ!」

 威勢のいい言葉とはやや異なり、強引にバッタの群れに突撃するような真似はしない。あくまでも外側をなぞるように、逃げ道をふさぎ、内へ内へと追い立てていく。ライガーの優れた統率力がなければこうはできまい。

 すべては計画の通り。

 上空からは一塊の黒い球体のように見えるバッタの群れに、針が降り注ぐ。雨の隙間を縫うことなどできないようにバッタたちに避けるすべなどない。言うまでもなく、ハリネズミの群れによる針の掃射である。

 千を超えるハリネズミの針が空を埋め尽くすが、それでもバッタ自らが生き延びるための最善の方法をとる。ライガーによって一塊にされた群れをよりいっそう固めるのである。上下左右にバッタが群がり、もはや小山のような有様になっていた。

 不出来に過ぎる密集陣形だが効果的だ。もっとも外側にいるバッタは例外なく死に絶えるだろうが、その死体は内側のバッタの盾になるだろう。少数の犠牲を以て多数の利とする。魔物らしい合理性に満ちた戦術、いや、生態だろうか。ハリネズミの針は無尽蔵ではない。いずれ尽きる時が来る。それまで屍を築きながら待てばよい。

 降り注ぐ針はバッタにとっての檻だが、同時に盾にもなっていた。針の雨を掻い潜れる魔物など存在しな――――否。


 針の雨をものともしない魔物なら存在する。


 障害などなにもないと言わんばかりに大地を踏みしめ、黒くそびえるバッタの壁に自らの尻尾を、ハンマーのように叩きつける。

 死体がはじけ飛び、山さえも動かすほどの衝撃がバッタを襲う。誰であろう、鎧竜である。

 その鎧竜を今までにない強敵だと認識したバッタたちは濁流となって襲いかかる。ある者は飛び、ある者は跳ね、ある者は這うように挑みかかる。しかし、誰も傷一つつけられない。大多数のバッタは触れることさえできずに跳ね飛ばされ、幸運にも噛みつくことができたバッタは文字通り歯が立たなかった。

 それはつまりバッタが数百、数千集まったところで埋められない戦力差があることを示している。まさに無双。

 彼我の戦力差を感じたバッタたちは残された最後の手段、逃げることに全力を費やす。一匹のバッタが跳躍するとそれに続くように一斉に群れ全体が飛び立とうとする。

 もちろん針の雨がそれを逃すわけもない。しかしながらあまりにも数が膨大すぎる。叩き落とされる仲間を踏み台にし、それでも逃れるために上を目指し続ける。

 だがまだ知らない。知ることはできない。

 この高原には大空の守護者がいることを。


「我らを忘れてもらっては困るな!」

 かろうじてハリネズミの攻撃から逃れたバッタを空中で鷲が捕らえる。滑空しかできないバッタなど赤子の手をひねるよりも容易く捕獲できる。

 捕らえたバッタを空中で万力の如くねじ切り、また再び新たな獲物へと飛翔する。空を統べる狩人にふさわしい流麗な動きで次々とバッタの命を刈り取る。

 が、それでも生き延びるバッタは存在する。膨大な数の中から宝くじに当たるほどの強運に恵まれた個体だけがこの包囲網を抜け出すことができるのだ。しかし一匹でも逃せばまた再び大発生を招く遠因になりかねない。

 それほどまでにバッタの繁殖力は優れている。

 そうして幸運なバッタが滑空を終えて地に足をつけたその時、

「ヴェヴェ! 片足ドロップキック!」

 カンガルーが勢いをつけてバッタを蹴りつぶした。なお、ドロップキックは両足をそろえて繰り出す蹴りなので片足でどうやってドロップキックを繰り出すのだというツッコミはしてはいけない。

 驚くべきことにカンガルーは滑空しているバッタに走って追い付いたのだ。持久力と速度を併せ持つカンガルーは追撃にうってつけだと言えよう。

 群れの中心も、逃げようとした個体もことごとくが討ち滅ぼされる。数時間後にはここに生きているバッタはいなくなるだろう。


「ヴェヴェ! 完全勝利ですな!」

 高らかに凱歌のポーズを誰に見せつけるでもなく行うカンガルーの戦士長。そこに一人の鷲、ケーロイが舞い降りる。

「おう! 景気が良いではないか戦士長!」

「ヴェ! 黒の悪魔といえども我らの敵ではありませんな! ……ですが……」

「ふむ? 何か?」

「いささか戦力を集中させすぎではありませんか? 一つずつ潰すという神官様の御心は理解できますが……ヴェー」

 バッタの大発生はすでに高原の各所で発生しつつあるという報告は全員の耳に届いている。しかし全ての事情を説明する時間はなかったのでこうして情報量に差が出てしまっている。

「いやいや心配は無用だろう。蟻の長が何やら企んでいるようだからな! 我が息子を連れて行きおったわ!」

「ヴェーヴェ! あの方は何をなさるのか全く分かりませんからなあ!」

「いやはや問題は解決するかもしれんが余計に大きな問題を引き連れてきそうだから困ったものよ!」

 半ば罵りながらも笑いあう。そしてその何をしでかすかわからない蟻の王の手勢は高原の各所に点在するバッタの群れに向かっていた。

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