238 五十歩百歩

 獅子が吼え猛り、迫る爪牙。迎え撃つのは蜘蛛と恐竜。

 地球では何年たっても見られない光景が月下で繰り広げられる。


 千尋のフレイルが疾走するライガーに唸りを上げる。しかし猫がそのまま巨大になったと思えるほどの俊敏な身のこなしを見せつける。その速さを保ったままで閃光を炸裂させ、敵の視界を奪う。本来ならこれでまともに動けなくなるだろうが、視覚に頼らない千尋と翼には意味がない。

 そのライガーに対して激突するほどの速度で翼もまた走る。今にもお互いの間合いに入るその瞬間、ライガーは大きく後ろに飛ぶ。

「ち、気付かれたか」

 千尋はフレイルを投げると同時に見えにくい位置に蜘蛛糸を張っており、そのまま走ればライガーに糸をつけられるはずだった。しかし先ほどの閃光をわずかに反射した糸を見逃さなかったようだ。

 しかし千尋にはそれさえも織り込み済みだったのか、次の策をぶん投げる。

 フレイルが再びライガーに迫るが当たり前のように躱し、そのフレイルは地面に激突し、中身の液体でライガーの体をしとどに濡らした。

「いようし! いったん離れろよ! アメーバが来るぞ!」

 フレイルの中身の液体はアメーバが好む匂いを放つ液体。あれに濡れたライガーは放っておいてもアメーバに襲われ続ける。アメーバに囲まれたこの状況では有刺鉄線の檻に囚われるよりも過酷だろう。

 磁石に吸い寄せられるようにアメーバがライガーに向かう。しかしその進行はピタリと止まった。

 戸惑うかのようにアメーバはその体をくねらせている。なんだ? 何が起こったんだ?


「王。奴の口元をご覧ください」

「口……? 何かぶら下がって……? あれは……香袋?」

 オレたちはアメーバになるべく襲われないように香袋を持っている。同じものをライガーが持っているはずもない。とすると……。

「恐らく奴が倒した蟻から奪ったのだろうな」

「それよりも問題なのはいつ気付いたってことかだ」

 死んだライガーかフェネックが最期に伝えたのか? それにしたって臭いを放つものがアメーバを制御するカギだと気づく洞察力、それを活かす器用さ、どれをとっても驚異的な知能だ。

 戦いが上手いとか生来の才能とかそんなんじゃない。色々な種族と暮らし、戦い抜いて培われた力。

 ……どうにもやりにくいような、それでいてよく知っているような奇妙な既視感があったけど……なるほど何故そんなものを感じるのかがわかった。


 こいつらはきっとオレたちと似ている。

 国の在り方が、戦い方が。だからこそ、負けたくないとも思うのだろうか。


「見事。見事だ我が宿敵」

「あなたの宿敵になった覚えはありませんが」

 奇妙にねじれた態勢のままライガーが話しかけてくる。こんな時までかっこつけようとする。その根性は一体どこから来るのか。

「その糸は天にかかる虹が如し。指揮もまさしく星の導きが如し。侮りがたし」

「ふ、褒めても何も出ぬわ」

「そうだな、お前が出すのは糸くらいだな」

 多分結構喜んでいるぞこの蜘蛛。

 まあそんなことをわざわざ言う――――?

 なんだ? 何か来る――――

「千尋! 翼! 攻撃開始! そいつ時間稼ぎを――――」

 オレの言葉が終わるよりも先に行動に移す二人。フレイルと凶刃が煌めく。

 しかしそれに割り込むように白い光が瞬いた。


「ガアアアアア!」

「っ! 白鹿ぁ! しぶとすぎるだろてめえ!」

 白い毛皮のあちこちは鮮血と土にまみれ、片方の角は折れ、左前足の関節はあらぬ方向に曲がっている。

 蜘蛛糸の拘束から逃げ出し、アメーバの体の上を走りぬいた代償は小さくない。しかしそれでも最後の最後の場面に間に合った。

 千尋には白鹿が、ライガーには翼が相対する形になる。

「会話して時間稼ぎとかやることが姑息すぎないか!?」

 オレも似たようなことやったこと結構あるけどさあ!

「否。これは友誼に基づく必然。時が満つることもまた我が定めなり!」

「わりと意味が分からんぞ!?」

 くそ! これで数的有利も消えたか。敵に香袋があるならアメーバもあまり役に立たない。ただ敵の方が明らかに負傷や出血は激しい。こっちも時間を稼げれば状況が好転するかもしれない。問題はどうやって……ん?

 いや何も難しいことを考える必要はないか? 普通に逃げればいい。

 ライガーは右肩を負傷してるし、白鹿に至ってはここにたどり着いたことが奇跡みたいな重傷だ。平地での移動速度ならもうラプトルには追い付けない。もう探知能力の妨害はないから敵を見失うこともない。

 決闘が終わる日の出まで時間はまだある。時間いっぱいまで弱るのを待つのがここは得策なんじゃないか?


「翼、千尋。一旦距離をとろう。今なら翼に千尋が乗っても相手に走り負けないだろ」

 きちんと指示を聞いた翼は千尋を乗せ走り出すために身をかがめる。しかし千尋は――――微動だにしない。

「千尋? どうし――――!?」

 千尋の反応がない。テレパシーに応えないし、探知能力でも確認できない。

 これは――――まさか?

 まさか!

 まさか!?


 意識を倒れ伏す一匹の獣に向ける。死んでいたはずのフェネックに集中する。

「……我……らに……勝利……を」

 死体が、そんなことを言っている気がした。

 フェネック――――――! こいつ、死んでなかった!? いや探知能力には反応が……擬死? それとも自分にだけ魔法を使っていた!?

 それよりも、こいつ、いやこいつら何故死なない!? 何故何度でも立ち上がる!?

 その答えはきっと、彼自身も知っていることだ。誰もが自らの信じるものの為に戦っている。自身の命よりも大事なものの為に戦っている。少なくとも決闘に臨んでいる戦士たちは。


 わずかに生じた二人の意識のずれ。そしてそのわずかな間隙を敵が逃すはずもない。

 フェネックの遺した機会を逃すまいとぼろぼろの体に鞭打ってひた走る。

 一瞬だけ翼と千尋の目が合う。その一瞬で現状を把握する。一瞬よりも短い刹那で千尋が選択した行動は一つの球を取り出すことだった。

 うなずきさえしない。その球を使った戦術はすでに打ち合わせ済みだ。言葉が通じなくとも、体が覚えている。


 今までと同じように球に糸を括りつけて投げる。オレたちの敵を散々苦しめてきたその蜘蛛糸はとてつもなく警戒されているがゆえに注目を集めやすい。その糸をわずかに引くと球からピンが外れ、目を灼く光があふれだした。

 以前ラプトルたちとの戦いで作ったマグネシウム閃光弾の改良型。まさしく閃光弾と呼ぶべきそれはライガーの魔法よりも激しい光で視界を奪った。あえて温存しておいたライガー戦の切り札。まさか自分たちが最も信頼する光を敵が使うとは思うまい。

 しかし侮るなかれ。たかが目が見えないだけで気力を失うはずもない。

 ネコ科動物の多くは人間よりもはるかに鋭い聴覚や嗅覚を持ち、決して獲物を逃さない。この世界のライガーは光の魔法を使っていたとしてもその感覚を鈍らせることはない。

 だから、また一つ感覚を封じる。

 今度は翼が大きく口を開け、全く聞こえない大声を出す。つまり超音波だ。人や蟻の耳には聞こえないが、鋭敏な聴力をもつライガーには聞き取ることができてしまう。エコーロケーションを使った飛び道具。

 シャチなどの超音波を発することができる生物の中には強力な超音波で獲物を気絶させる種類がいるという。

 それほどの効果はないものの一時的に耳を麻痺させられる。これで視覚と聴覚は封じた。さらにいまライガーは香袋を持っている。あれだけ強烈な匂いを放つものが近くにあれば、鼻もあまり利かないはずだ。

 つまり嗅覚、聴覚、視覚の三つを封じている。フェネックの魔法は敵味方無差別なのか未だにライガーたちも探知できない。テレパシーが使えないのは敵も同じはず。

 今奴らは触覚と味覚しか外界を認識するすべはない。それでも立ち止まらない。勝ちを掴むためにはここで前に出るしかないということか。


 あくまでも前に出る敵に対して千尋は新たな糸を繰り出す。

 目も耳も利かない白鹿では避けようもなく、左足に糸が絡まる。しかし触覚だけを頼りに白鹿は折れ曲がっている左足を強引に引っ張る。激痛の上に更なる苦痛を重ねる辛苦はどれほどのものか想像さえできない。しかし蜘蛛を自由にさせることがどれほど危険かは白鹿自身がよくわかっているはずだ。強引にでも千尋を殺りに来た。

 しかし。

 引き寄せたのは千尋ではなく翼だった。

 トリックは難しくない。白鹿に絡ませた糸を翼に繋いだだけ。これまでの戦いから糸を使うのは蜘蛛だと思い込んでいた敵はまんまと騙されてくれた。

 白鹿の力、自信の脚力、そのすべてを利用した翼は一気に距離を詰め――――

「ガア!」

 最後の力を振り絞り繰り出された角さえも掻い潜り、白鹿の体に爪を突き立てる。

 布に通された針のように隙間を潜り抜けたように放たれた一撃は確かに心臓を貫いていた。


 そしてライガーにも千尋の糸が迫る。

 四方八方から迫るそれらは万全の状態ならば余裕さえ持って避けられていただろう。だがライガーはあまりにも傷を負いすぎていた。

 なおも進み続けわずかに回復した視力を頼りに千尋を捉えようというところでがくっと速度を落とした。糸と石がライガーの足に絡みついている。

「時間切れだライガー」

 千尋が糸を繰り、白鹿を制し、千尋と合流した翼が走る。

 余力がないのかライガーは強引に直進し、迎え撃つ翼とライガーが交錯する。

 右に避けるか左に避けるか。正面からぶつかれば体重差のあるライガーが有利になる。だからどちらかにヤマを張って攻撃を当てるしかない。

 翼は一度左に体を振るような動きを見せた後、緩急をつけた動きで右から抜き去った。獣の動きとは違う、人間が球技で用いるようなフェイントに反応できず、その爪はライガーの左胸を抉った。


 崩れる体。ライガーはゆっくりと――――

「よし! これで――――」

「いえ、まだです」

 踏ん張った。胸から血が滴り落ちるというのにまだこらえている。

「どうやら少し浅かったようですな」

「だな。オッケー。じゃあお前ら、逃げまわれ」

 ようやくさっきの指示を伝えることができた。今の攻防でライガーはまた負傷した。このまま時間がたてば失血死か、肺が傷ついたせいで呼吸困難に陥るだろう。

「うむ、ではその背中を借りるぞ」

「どうぞ、千尋殿」

 翼に千尋がまたがると脱兎の如く逃げ出した。

 ライガーには追う以外の選択肢はない。


 この状況ならもう降参してもおかしくない気がするけど……意味がないか。あの重傷ならライガーはここで決闘をやめたとしても死ぬ。なら最期まで好きにさせた方がいいのかもしれない。

 ひび割れたツボから流れる水のように血を流している。絡みついた糸に括りつけられた石からは死刑台へ向かう罪人を連想させる。

「不満か? 翼?」

「……本音を言えば堂々と討ち果たしたい気持ちはあります。ですがあの方はあれほど傷を負っていたとしても私を弑すことはできるでしょう」

 その口調からはライガーに対する敬意を感じさせる。

「だな」

「であれば最も確実に勝つ戦術はこのまま息絶えるまで逃げ回ることでしょう」

「卑怯ではあるがのう」

「それも同感」

「しかし、妾たちはだからこそ負けぬ。ありとあらゆる手段を尽くすからこそ弱くとも勝てるのだ」

「そうか。だったら最期まで徹底的にやろうぜ」


 傷つき、重荷を背負いながらも、恨み言もなく、振り返ることも止まることもせず追走を続けること五十と百歩。

 糸が切れるように倒れたライガーはすでにこと切れていた。

 勝敗に何ら関りがなかったその追走はこの決闘を見ていた全ての眼に焼き付いたという。

「これにて決闘を終了する! 勝者、エミシ!」

 白みがかった空にマーモットの宣言が響いた。

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