237 死闘

 今現在ほとんどの戦闘はアメーバの体の上で行われている。不安定で攻撃を受ける全自動トラップ床の上で戦闘しているのだから動き回るだけで一苦労だ。

 が、この状況はこっちの狙い通り。だからこそ底の厚い靴を履くなどの対策を練っている。敵の足は血まみれの傷だらけなのに対してこちらは余裕があるのはそういうわけだ。

 そしてアメーバという地形を利用するための道具も準備してある。

 ムカデを追うラプトルが何かの球体を投げる。ムカデの行く手を遮るように投げられた球体は乾いた音を立てて破裂し、中の液体をばらまいた。

 地震のようにアメーバは揺れると同時に驚くほど鋭利で長大なプラスチックの棘が乱立する。

 ぶちまけられた液体はカプサイシン入りのアルコールだ。色々試したけど結局この液体が一番アメーバが劇的な反応を示す。

 地獄のような針山が次々と現れる。

 誰一人として動けはしない。

 ただ走るだけならば。


 力強く地面を蹴ったラプトルは明かり一つないはずの夜に影を残すほどに跳躍した。

 とても正気ではない。地面は棘だらけ。安全に着地することは不可能。それでも――――敵を倒すことを優先する。

 落下速度とラプトルの魔法<恐爪>によって威力が強化された一撃はムカデの背中と胸を地面に縫い付けた。

 確実に即死。まずは一人。

 しかし、着地の衝撃と全力の攻撃を繰り出した隙はわずかながら存在する。そしてそのわずかな隙を見逃してくれるほど甘い敵ではない。

 棘を押しのけ、負傷を厭わず、文字通りの剣林を潜り抜け大顎を開けたライガーがラプトルの喉に食らいついた。

 大型のネコ科は獲物を捕らえる際喉元に食らいつくことが多い。

 これは敵を窒息させる目的があるのだが、これほどの一撃ならば窒息させるまでもなく首が折れて絶命していただろう。生身であるならば。

 優秀極まりない防護服のおかげでラプトルはかろうじてその命を繋いでいた。しかしそれもほんの少しの間。いくら防護服でもその攻撃の全てを防げるわけではない。

 やがて息絶えることは間違いない。

 しかしそのわずかな時間でできることはある。

 ずぶりとライガーの腹に突き刺さるラプトルの爪。これだけ密着していれば外すはずもない。しかし意識が混濁する中でそれでも一撃を放つことを誰が予想できるだろうか。

 だがお互いに力を緩めない。例え致命傷になりうる重傷を負おうとも、肺に空気がなくなろうとも、真実相手の息が絶えるまでは離しはしない。一騎打ちの膠着状態。

 当然だが、正々堂々たる一騎打ちなどさせている余裕はない。


「よくやった。そのまま敵を捕らえたままでいろ」

 翼の冷酷すぎる指示に従い、筋肉を締め、爪を食い込ませ、敵と地面をがっちりと固定する。これでお互いに動けない。

 飛来する矢が二人の体を貫いた。


「1・2交換か。損はしてないな」

 アメーバはフィールドギミックみたいなものだから戦力としては考えられない。まああいつを殺すのは事実上不可能だからこっちの負けはないけどさ。

 ともあれこれで人数としては4対3。一人リード。白鹿の拘束が完了しているのでほぼ戦闘力を喪失していると考えればもう一人分リードだ。

 ムカデが死亡すると分身の動きは停止し、徐々に輪郭を失おうとしている。何体かはもう千尋たちの目と鼻の先にまで歩みを進めていた。何とか間に合ったみたいだ。

 千尋たちの近くにいるのは全て分身。少なくとも翼はそう判断していた。

 エコーロケーションで分身かそうでないかは判断できる。しかしそれはあくまで本体が判明していれば分身かどうかの判断ができるということ。本体がどんな生き物か知らなければ分身か本体かを見分けることはできない。

 その情報を翼は伝え損ねていた。

 しかしこの件について翼を責めることはできない。

 膨大な情報を処理しつつ、全体の指揮をとりながら自身も戦っていたのだから。むしろライガーの策が、大量の情報による精神的な圧力をかける策が功を奏した結果になる。

 もうすでに、敵は目前にいる。


 分身が動き出す。するりと滑るように走り出す。

 いや違う。

「そいつ分身じゃねえ! 気をつけ――――」

「!?」

 警告はわずかに遅かった。

 千尋の足に一匹のキツネ――――恐らくはフェネックなどの砂漠地帯にすむ動物――――がかみついた。

 千尋に限らず蜘蛛は体中の感覚毛によって空気中の振動を感知している。特にこの戦いでは視覚に頼らない戦いをしなければならないため、どうしても防具をつけることができなかった。

 がっちり食い込む牙。そのまま力任せに引っ張る。安全地帯から引きずり出すつもりか!?

 や、ヤバ!? どうにかしないとまずい!

 しかし千尋も相手の思う通りにはさせない。噛みつかれた足を自切し、難を逃れる。綱引きの綱が切れたように尻もちをつく。

 その隙をつき、働き蟻が突撃し、フェネックともみ合う形になる。ひとまずは安全圏。あらかじめ幹部連中が危機に陥った場合身を呈してでも守れと伝えておいてよかった。

「千尋! 大丈夫か!?」


「……? ……!?」

「千尋、どうし……!? 探知できない!? テレパシーが通じない!?」

 これがフェネックの魔法か!? テレパシーや探知能力を妨害する電波を流すようなものだと思っていたけど、これは違う。

 フェネックの魔法は触った魔物のテレパシー能力などを一時的に封印する能力だ。敵からも味方からも探知やテレパシーの対象ではなくなり、自分からもそれらを使えなくなる。

(くっそが! オレは馬鹿か!? 分身に紛れることも、フェネックの魔法も、予想できないことじゃなかった!)

 いくら悔やんでももう遅い。だから今できることをする。

「翼! 千尋をいったん下がらせろ! あのフェネックに触られるとテレパシーが使えなくなる!」

「御意!」

 サッカーなどの訓練を経てテレパシー抜きでも簡単なコミュニケーションはとれるようになった。翼と千尋なら会話できなくても戦える。

 すぐにあのフェネックを殺せばいいだけだ。

 フェネックと働き蟻はまだ組み合っており、お互いに仕留めきれていない。しかしその攻防は働き蟻に分がある。フェネックの力では防護服を貫けないからだ。

 蟻は隠し持っていたナイフを首筋に突き立てる。鮮血が舞う。

 しかし、フェネックはまだ離さない。自分が敵を殺せなくても、味方が倒してくれると確信するかのように。

「! もう一匹のライガー!」

「は!」

 瞬時にバリスタの照準を突進するライガーに合わせ、矢を放つ。

 ライガーの右肩に巨大な矢が突き刺さるが、それでも止まらない。前足を大きく振りかぶり、働き蟻に叩きつけた。……もちろんフェネックごと。

 剛腕を振るった後はぴくりとさえ動く生き物がいなくなる。


「これで実質2対1だのう」

「そうだな……って千尋、会話できるようになったのか?」

「む? うむ、どうやらそのようだ」

 フェネックが死んだから魔法が解除されたのか。これで厄介な魔法の使い手はいなくなった。千尋も傷口に糸を巻き付けて止血している。これで失血死することはない。まだまだ油断はできないけど、確実に数的有利な状況に持ち込むことはできた。犠牲も少なくはないけれど、決着の時間はそう遠くない。

 どれだけ策を練ろうが準備を整えようがこればかりは変わらないか。

「翼、千尋。ここからは正面からの勝負だ」

「うむ」

「決戦ですな」

 最後の最後で物をいうのは個人個人の力量だ。

「決着をつけようか、ライガー」

 不敵な笑みを湛えたライガーは猛々しい雄たけびを上げた。

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