191 カタコンベ

 樹海蟻の国を乗っ取って数週間。予想通りだろうな。何も問題なく国の運営はうまくいっていた。蟻はこういうところで融通が利く。一度味方と認識してくれれば絶対に裏切らない。逆を言うときちんとした手順さえ踏まれると裏切られるかもしれないってことだけどね! いや笑えんて。

 ひとまず畑の状況を調べて耕したり、肥料をやったりする。そしてここには水量が豊富な川が多いらしく水車が存分に使える。そこで今までやりたかった動力水車を作ってみた。

 主な使用用途は製粉。あとは木材の切り出しとか。強化ガラス繊維で作ったのこぎりを、水車と歯車を利用して縦に動かすなどの方法で運用している。

 例によって何度か失敗したけどひとまず形になる程度には上手くいった。最終目標はダムの建設だけど、何年かかるやら。

 その前に鉄を見つけないとなあ。以前硫化鉄を見つけた海岸を徹底的に探索したんだけど一向に見つからない。ただの偶然なわけないと思うんだけどなあ。

 しかし新発見もやっぱりある。


「千尋。例の物はできたか?」

「紫水。これでいいの~?」

 文句のないできだ。日本においてはニートからアスリートにまで幅広く愛される万能服、ジャージだ!

「よくやった! さあではこのジャージを思いっきり引っ張ります!」

 綱引きよろしくジャージを複数人で引っ張る! しかしそれでもちぎれません!

「次に矢を撃ちます!」

 ジャージを着こんだ蟻に矢じりがついていない矢を撃ちこむ。

「痛いか?」

「痛い」

 あ、やっぱり痛いんだ。衝撃そのものは殺せないからな。それでもちょっとした防弾服なみの強度だ。

「ごめん。ちょっと無茶させた。けがはあるか?」

「ない」

「ん、よかった」

 もうわかっていると思うけどこの服は普通の糸によって作られていない。遂に蜘蛛糸による服の作成に成功した! 足掛け二年弱かな。いやあ長かった。蜘蛛糸を普通に服に使おうとすると接着して服にならない。しかし絹のように蚕の糸を化学処理すると強度が落ちる。

 ではどうやって? 答えはアメーバだ。あいつのプラスチックを利用した。や、マジで便利だよあいつら。文句ひとつ言わないし。

 基本はガラス繊維を作った時と同様だ。蜘蛛糸をぶつ切りにしたり、束そのものにプラスチックを混入させる。これで強化蜘蛛糸繊維の完成。

 意外に思うかもしれないけどプラスチックにゴムを混ぜてその靭性を強化する方法はある。知ってる人は知ってるけどゴムとプラスチックは両方とも石油から作れる高分子材料だ。石油ではなく生物から採れる高分子材料のこの二つの相性がいいのは不思議でもない。

 だから蜘蛛糸とアメーバプラスチックは混合できるのかと思ったけど予想以上に面白い素材だった。糸としての強度はもちろんとても高い。衝撃や引っ張りにとても強いが、切断にはそこまで強くない。酸やアルカリにもそこそこ強いけど、耐熱性は低く、割とよく燃える。流石にそこまで求めるのは無茶か。服にした場合はやや吸湿性が低いから肌着としては使いづらい。上着としてはなかなか優秀。

 が、ここまでは前座。この強化蜘蛛糸は蜘蛛の魔法が使える。それもほぼ蜘蛛糸とそん色がないほどに。正直びっくりだ。明らかにプラスチックの比重が多くても何の問題もない。推測だけどアメーバの<プラスティ>には混ぜ込んだ物質と親和性を持つようになる性質があるんじゃないだろうか。

 土なら土になじみ、樹なら樹になじむ。他の物質を強化するにはもってこいの魔法だ。しかも対応する魔法を使えば補修や修理も簡単にできる。

 上手く加熱したり、蜘蛛に性質を変えさせると硬いゴムや柔らかく伸縮しやすいゴムにもなる。こいつを上手く使えば今までできなかった馬車などの車が作れるはずだ。

 軽さと丈夫さが必要なら強化炭素繊維。硬さと頑丈さが必要なら強化ガラス繊維。振動の抑制が必要なら強化蜘蛛糸ゴム。さらにタイヤなんかも蜘蛛糸ゴムで作れる。……ま、動力をどうするかって問題はあるけどな。今のところ馬力が一番強いのは豚羊だ。もしも内燃機関を作れたらそれが一番いいけど……オレエンジンとかそんなに詳しくないからなあ。そもそも燃料がないっつう話だよ。化石燃料のかの字もないし、油とかが今のところの精いっぱいだな。

 一応トウモロコシがあるからバイオエタノールを作ってもいいけど……最終手段だな。


 で、次に発見したのは鉱石。オレが火計で女王蟻たちを殺しつくした巣で、一番西より、つまり今までいた場所から一番近い女王蟻たちの巣だった場所付近の山で天青石と呼ばれる硫酸ストロンチウム(SrSO4)を主成分とする鉱石だ。きれいな空色をしている。

 ただどうもこの石……埋められた跡がある。エルフが埋めたのかそれとも何か利用方法があるのか……よくわからん。実はまだ未発見の文明がありましたとか嫌だなあ。

 正直ストロンチウム自体はそれほど有用じゃない。ただストロンチウム化合物は花火とかに使われていたし、何より硫酸が欲しい。それが無理でも硫黄は絶対に必要だ。

 というわけで頑張って硫酸ストロンチウムから種々の化合物をゲットしよう。


 さてまずは硫酸ストロンチウムを分解する。このままだと何の役にも立たないし。

 重曹から作ったソーダ水。これで炭酸ストロンチウムと硫酸ナトリウムにする。

 炭酸ストロンチウムを加熱するとさらに酸化ストロンチウムになる。めっちゃ高温が必要だけどな。これに水を加えると水酸化ストロンチウムができる。まあ正直今すぐ必要ってわけでもないけどこの辺りは作っておいて別に損はしない。ただし割と危険物だから注意して保管しなきゃだめだけど。

 できれば硫酸ナトリウムから硫酸を取り出せればよかったんだけど……上手くいきませんでした。正直に言うとオレは教科書に載っていることしかできない、応用とかが苦手なタイプだ。はっきり言ってテストでいい点を取るのは得意だけど実践になると約に立たないタイプだ。硫酸塩から硫酸を取り出す方法……あったと思うけどなあ。覚えてねえ。硫黄だけでもそれなりに使い道があるから何とかしたいなあ。

 ま、そのうちできるようにするさ。


 とはいえここまでくればもはや文明と呼べる規模だ。というわけでそろそろ決めないといけない物がある。そう、国の名前だ。


 今までは蟻の国とかオレの国とか言っていたけどいい加減きちっとした名前が欲しい。

 ただまあ相談相手がいない。基本的に個に頓着しないせいなのか魔物はみんな固有名詞というものにピンとくることが少ない。だからネーミングセンスは基本的にゼロ。……どうしよっかなあ。

 一応紫水王国とかも考えたけどさあ、自分の名前を国名にできるほど自己顕示欲強くねえよ。恥ずかしいだろ普通。

 ……もうちょっと考えてからでいっか。何かそのうち思いつくだろ、多分。

 それより最近西から魔物がやってくることが増えた。以前にも報告があったけど、どうも偶然じゃない。何かから逃げるように、追われるように、追いつめられるように。

 ……結果から言えば、それを前兆だとはっきりと自覚するべきだったのだろう。




 おおよそあらゆる物事がそうであるが、事件は唐突に起こる。

 地震にせよ、雷にせよ、火事にせよ。

 今日蟻を襲ったのは最大の災厄。そしてそれを知らせるために発せられた、けたたましいまでの警告の叫びである。

 声でない声の叫びはまどろんでいた、すべてのこの国の住人を呼び起こすには十分だった。


 がばっと飛び起きる。この声はあらかじめ決められていた警告音の一つ。あれが来た。

「状況報告!」

 今まさに警告を発した女王蟻に連絡を取る。念のためにオレの側近にも聞こえるようにテレパシーを繋ぐ。

「見てもらった方がいい」

 その通りだ。女王蟻から別の蟻の視覚を受け取る。


 懐かしいけど見たくなかった顔がいた。

 黒い巨体、しかしながら暴風のように速く、ありとあらゆるものを飲み込み破壊、いや、分解していく。

「久しぶりじゃねえか、ラーテル」

 二年前に初めての完敗を喫した相手がまた再び現れた。

 ……情けないことに見ただけでがたがたと体が震える始末。悪夢に出てきたこともあるからな。いやいや全く人の記憶なんてあてにならない。悪夢に出てくるあいつの方がよっぽど可愛いぞ。

 感想と恐怖をできるだけ打ち切って被害を確認する……いや確認するまでもなかった。現在襲われている巣はほぼ壊滅状態だ。単純にラーテルが強いということもあるけどそれよりも危険すぎるのはラーテルが一体ではないという事実。二頭の子ラーテルと親らしき大型のラーテル。全部で三頭。

「子連れの熊が一番怖いっていうけどなあ! いくら何でもそりゃオーバーキルだろう!」

 一頭でも手ごわすぎる奴が三頭? ふざけんな。神様というやつがいるなら舌を引き抜いて墓穴に埋めたくなる。

「もうその巣は無理だ! 全員避難した方がいいぞ」

「しかしせっかく紫水が作った巣を放棄するわけには……!」

 あー、ちょっとこれはよろしくない。善意で頑張りすぎちゃうブラック企業の社畜思考に陥りかけている。蟻はみんな忠実だからこそそういう失敗をしやすいのかもしれない。

「それは違うぞ。ここはあえて放棄した方が結果的に得になる。食料はあえて見えやすい所においておけ」

 ラーテルは食料が欲しいだけだ。ヒトモドキみたいに穢れだの救いだの言わない分わかりやすい。食料をさっさと渡せば一旦引くだろう。もちろんここに巣を構えてじっくり子育てされても困るからいずれ倒さなきゃならないけど。

「わかりました」

 蟻たちはいっせいに散っていく。後には食料や畑などだけが残された。がつがつと食べ始めるラーテル親子。ご相伴に預かる鳥がたくさん。以前もラーテルと一緒に行動していたミツオシエだろう。

 さてこの間に次の作戦を……しかし偵察させていた魔物から連絡が入った。

「紫水。ラーテルがこっちに向かってくる」

「はあ!?」

 食事もそこそこに切り上げて進軍を開始するラーテル。

 何故? これは今までの奴の行動パターンと合わない。まさかオレたちを殺すためだけにここに来たのか?

「進行方向はわかるか?」

「あのラーテルは西から来た。そして一直線に火で攻め落とした巣に向かっている」

 ……むう。かなり粗い推測だけど以前に何らかの形で樹海蟻と戦ったことがあるんじゃないのか? そこでできた因縁のようなもので恨み、ないしは警戒するべき相手だとラーテルに認識されたんじゃないだろうか。

 つまりオレは樹海蟻とラーテルとの関係を引き継いでしまったと。……自業自得って言われたら否定できないな。ラーテルとは宝石が違うせいで全く会話できないから一度争いが始まると止めどころが見つけられない。

「ラーテルの進路上に巣はあるか?」

「うん」

「そこにいる奴らにできる限り対ラーテル用の装備をさせろ。足止めさせるぞ」

 さっきとは違いそこにいる奴らに死守を命じる。少しでも本隊が陣容を整える時間が必要だ。


 ずらりと並べられた弓隊から矢が放たれる。もちろん傷一つつくはずはない。ラーテルの魔法、<分解>は文字通りありとあらゆる物質を砂のように分解する。矢の運動エネルギーは消せないものの、そのごわついた皮は生半可な攻撃では傷一つつかない。

 矢を無視しながら走りくるラーテルはその爪を振るうとあっさり弓隊を壊滅させた。死体すらまともに残らないそれもまた<分解>の能力。最強の盾にして矛。それがラーテルの魔法。

 しかし弱点はある。その弱点を突くための対策はしてある!

 ラーテルの腕は血以外の液体によって濡れていた。酒や油などの引火性の液体をあらかじめ持たせておいた。炎は奴の魔法じゃ防げない! それは前回の敗戦で学んである。まずはその腕を火傷で使いものにならなくさせてもらう!

 伏せていた火矢を装備させた弓兵が顔を出す! 矢を放とうとすると、

 甲高い声が響く。それを合図に一斉にラーテルたちは退却する。


「……へ?」

 鮮やかすぎる逃走。さっきまでの猛進は何だったんだ?

「追いますか?」

「いらん。……そもそも無理だろ」

 ラーテルの一歩は巨体に見合いでかい。到底走っても追いつけない。

 あいつら、火の脅威を知っている? いやそれにしたっていくら何でも判断が早すぎる。そう、まるで一度負けたから慎重になっているような……あー、そういうことか。

 うん、あいつ多分何らかの理由で本来の生息地を追い出されたんだ。そしてラーテルを追い出すほどの戦闘力を持ちなおかつラーテルと戦った可能性が高い奴。

「銀髪の奴ラーテルを仕留めそこなったなあ!?」

 何だって銀髪の失態のしりぬぐいなんてしなきゃならない! おとなしく殺されといてくれ! 中途半端な真似するな! ますます強敵になってるじゃないか!

 というか西のスーサンからここまでかなり距離があるぞ!? この分だとヒトモドキの村とかも被害が出ててもおかしくないぞ! オレはどうでもいいけどお前らは困らないのか!?

 でもそれならラプトルのように交渉の余地があるか? 会話できればいいけど……どうもあいつら体内の宝石にケイ素が含まれていないせいなのか女王蟻でも会話できない。カッコウならあるいはと思ったけどカッコウが近づこうとするたびにミツオシエに邪魔されている。

 あんだけ強いのに空軍まで編成しているとかずるい。

 今のところ様子を見るしかないみたいだ。




 そして数日程。ラーテルは動く様子がなかった。

 見た限りでは何かを待っている気がする。そして明らかにオレたちに攻め込もうとする意志を残したままだ。時折こちらを窺う様子を見せている。というか腰巾着のミツオシエに偵察させている。やはりラーテルとミツオシエは行動を共にする蜜月の関係らしい。


「待っているとするなら、雨でしょうね」

 翼や千尋たちと意見を交わす。全くの同意見だ。

「雨が降れば火は使えないからのう」

 当たり前だけど火は水で消える。ラーテルが必勝を期するなら唯一の武器である火を封じるための行動をするのは当然だ。

「……お前ら天気予報はできるか?」

「……なんとなく空気が変わる瞬間はわかります。一日前ならそれなりに確度の高い予想ができるでしょう。……ただ、どうも最近天気が崩れやすい気がします」

「十分だ。それまでに準備を整える」

 相手が待ってくれているのはむしろ僥倖だ。確かに雨を待つのは理に適っている。しかし時間はむしろ道具を使えるこっちに有利に働く。慎重になりすぎると好機を逃すことにもなる。

 雨でも戦う方法を考えればいいだけだ。

「全員戦闘準備――――」

「質問してもいいかのう?」

「ん、何?」

「いっそ無視してもいいのでは?」

 む。たしかにそれもありか。

「ですな。わざわざ戦わずとも巣のいくつかくれてやってもよいでしょう」

 翼も同意する。

 確かにあいつと戦わないデメリットはあるけどメリットの方が多いかもしれない。しかし。

「二つ理由がある。一つにはあいつの目的がわからない。もしもオレたちの全滅が目的なら戦うしかなくなる。その場合後手に回るのはまずい」

「もう一つは何か?」

「聞いてるだろうけど昔あいつと戦って負けてるんだ」

「知っておる」

「ええ」

 だからまあ、これはある意味オレの意地だ。論理的じゃないかもしれないけど、言っておかないと。この巣の、この国の全員に向けて。


「負けてばっかじゃいられないだろ?」


「御意に」

「確かにな」

 誰からも反論はない。

「別に逃げても文句は言わないぞ?」

「逃げんさ。ここは居心地が良いからのう」

 誰もかれも似たような思いらしい。つまりこいつらが命を懸けるに足ると思える場所を作ることはできたらしい。

 ならオレはどうだ?

 部下たちに命を懸けさせて自分は安全な後方にいることは卑劣だろうか。臆病だろうか。それはその通りだ。でも生き延びるためならば卑劣にでもなると割り切ってきた。しかし、今回はわりと私情が混じっている。それにつき合わせていいものか。

「別に構いませんよ紫水」

「しれっと思考を読むのやめてくれ寧々」

「失礼いたしました。ですが我々はわかっていますよ。紫水がいなければここまでこれませんでしたし、これ以上を進むにはあなたが必要です」

 そうか。なら。

「じゃあ準備だ。今までとは違う兵器を作らないといけないからな。突貫工事だけど焦るなよ」

 全員気力は十分。もちろんそんなもんであっさり勝てる相手でもないけどやる気がないよりはいい。

 そう、だからこそ見落としてしまう。足元をすくう奴はどこにでもいる。オレの国にさえ。


「皆の者! 今こそ反旗を翻す時! 我らの神、シイネルを取り戻すのだ!」

 今までひっそりと影を潜めていた、かつて取り込まれた蜘蛛の一団が水面下で動き始めていた。

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