163 這いよる混沌

 ゴクリと生姜茶で喉を潤す。意外にも病みつきになる味だ。ちなみに栄養たっぷりで育てたおかげで辛くない辛生姜だ。流石に辛いもんを飲み物として飲む気にはなれない。

 こうやって嗜好品に手を出せる程度には余裕がある。

 現在発酵食品の製造方法を工夫中。発酵食品の製造には温度管理が大事なのでどうしても暑い部屋に長時間いることがある。だから飲み物を部屋の外に置いたりして適宜休息をとらないと。こんなことで体調を崩すわけにはいかない。

 で、そんなときに今は新たに作った巣の女王蟻である七号改め七海から連絡が来た。


「紫水。未知の魔物が樹海付近の巣に接近している」

 樹海というのは例のカブトやクワガタがいる森のことだ。あまりにも広いのでそう呼ぶことにした。最近は放っておいてもその巣の責任者が迎撃してくれるけど目撃例のない魔物が現れた場合連絡を取るようにしてある。最近はそんなこともまずなかったけどやはり樹海は広いな。まだまだオレの知らない魔物がいる。

「被害はあるか? 強そうか?」

「被害はない。多分これからも出ない」

 あ、なんだ。そんなに強くないんだ。なら任せておけばいいか。

「わかった。今オレは忙しいからその魔物を対処してからデータだけはまとめておいてくれ。後で見るよ」

「わかった」

 この時点での対処としては間違えていなかったと思う。被害が無いならそう強い魔物でもない。それは実際にそうだった。しかし、強くないということが必ずしも厄介な魔物ではないということをすっかり失念していた。


 数時間たって実験もひと段落したころ、さっきの会話を思い出した。連絡がなかったのならもう倒せたんだろう。

 しかし予想外の返答が返ってきた。

「へ? まだ倒せてないのか?」

「うん」

 ありえない。殺し合いというものはスポーツと違い一撃でけりがつくことも珍しくない。生き物とは死ぬときはすぐに死ぬ。よっぽどの実力がない限り。

 戦いが数時間以上続くということはかなりの強敵であるはずだ。

「被害は? 無事なのか?」

「うん、誰も怪我してない」

 ますます困惑する。戦いがこれだけ長引いて全員無傷とはどういうことか。

「わかったひとまず敵を見てみる」


 敵に一番近いらしい蟻に感覚共有を行う。敵はすぐに見つかった。アレが敵なら、だけど。

 目の前にいた……いや、あったのは黒っぽい緑を基調として周辺部は透明になっている動く塊。とりあえず魔物なのは間違いない。

「あれとずっと戦ってるのか?」

「うん。会話はできないみたい」

「スライム……? 違う、アメーバか?」

 恐らく最も有名なモンスターの名前を思い浮かべたけどあれは架空の魔物だ。間違えた、架空の生物だ。モデルなのかどうかは知らないけど不定形の微生物は一般的にアメーバと呼ばれる。もっともあれを微生物と呼ぶには大いに誤解を生じるかな。

 でかいな。縦に長い長方形で500平方mくらい? わかりやすく言うと50mプールを縦につなげたくらいか? 生物の大きさに面積を使っている辺りにそのでたらめさがよくわかる。

 しかもこれはあくまでも見えている範囲内の話。木々に隠れて全容が掴めない。最悪の場合この巨体でさえも全体の一部という可能性さえある。さながら蠢く底なし沼か。

 ただ、その、こいつ……めっちゃ遅い。まあアメーバだからな。

 そんなに俊敏に動けるわけはないか。ナメクジが這うような速度でしかない。動物ならまず追い付かれないはずだ。

 だんだん何故こんな状況になったのかわかってきた。こいつ自身の戦闘力は多分さほどでもない。しかし魔法が厄介だったり防御向きなせいでダメージが与えられないと見た。

 厄介なのは微生物が巨大化した生物だった場合、その魔法の予想が全くつかないことだ。地球のアメーバとはかけ離れすぎていて生態がかなり違う可能性が高い。ならまず聞いてみよう。


「こいつの魔法は?」

「色々。固い壁みたいなものを出したり、それに棘をつけたり、柔らかくして衝撃を吸収したりする」

 なんじゃそりゃ。万能じゃないか。

 話を聞く限りだと物質を合成したり動かしたりするタイプの魔法かな。この手の魔法はあまり優先順位が高くないからその物質が何かを特定できれば突破口が見つかるかもしれない。

「一度攻撃してくれるか?」

 それに頷くと七海は停止させていた攻撃を再開した。

 いつも通り矢の雨が降る。

 それを半透明の灰色の壁が現れて防ぐ。白黒斑の光を纏わせていることからも魔法を使っているのは疑いようがない。

 壁そのものは鉄壁というわけでもない。矢が貫通することもある。何の物質かはわからないけど、どうもひびが入りにくい。木材……でもなさそうだけど……石のように割れやすい素材じゃないのは確かだ。

 そして何より、本体にダメージが入っていない。というか傷ついているのか判断できない。たまにアメーバの体に穴が開くこともある。そこからどろりとした血のような体液が流れることもある。しかし一瞬で傷がふさがる。傷が治るというよりは体を変形させて無理矢理傷口を閉じているようだ。

 しかし魔物の成長が早いのと同様に傷の治りもまた早い。アメーバなら局所的な傷を数分で完治させるかもしれない。

 近づこうとした蟻も確かにエアバッグのようなもので勢いを殺されるか棘付きの壁に行く手を遮られる。

 確かにこいつは厄介だ。防戦向きの魔法、しかも今まで戦ったことがない陣取りゲームのように進行してくる敵。

 その割に動きが遅いし積極的に攻撃を仕掛けるわけでもないから被害が出ない。連絡が遅れるのもしょうがない。

 極めつけはどこが急所なのかさっぱりわからないこと。頭どこだよ、心臓あるのか? 

 微生物が巨大化したこいつには生物に共通しているはずの常識的な弱点というものがわからない。

 闇雲に攻撃して相手を阻むくらいしか対処が思いつかなかったようだ。

 この辺も蟻の弱点だな。一度対策を思いついて浸透させれば的確に対処できるけどオレも含めてとにかく初見の敵に弱い。柔軟な対応が苦手だ。

 じっくり考えれば思いつく対処法もあるにはあるけどそれが有効かどうかは試してみないと。

 そしてこのまま放置することもできない。アメーバが何を食べるのかはわからないけどこんな奴に居座られたら農作業の邪魔すぎる。もしかしたらこの巣の食料に惹かれてここにきた可能性もなくはないしな。


「とりあえずそこの巣で今戦える奴を集めろ。こいつは強敵じゃないかもしれないけど難敵だ」

「了解」

 ひとまず人員配置は七海に任せるとしてこいつの魔法の正体を突き止めないと。何かわかれば弱点だってわかるはずだ。

「壁を一部でいいから破壊して持って帰ってくれ」

 壁に阻まれている蟻がその壁に食いつく、あるいはナイフを作って切り取ろうとするが、壁は急に形を変える。

 厄介だな。というかこの魔法便利すぎないか? 魔法は便利になればなるほど弱点が増える。

 いやそもそもこいつ知能があるのか? 地球のアメーバに大した知能はない。こいつはどうかわからないけど目もなければ耳もないはずだ。

 ならどうやってこっちの攻撃に対処している? ……試してみるか。

「まず弓を撃て。そしてすぐに接近して壁を破壊。その間もできるだけ味方に矢を当てないように撃ち続けろ」

 弓には壁を張る。それはさっきからアメーバがずっとやっていることだ。

 そして弓を撃ち続けると壁を張り続けたまま変形させなかったため苦労せずに壁の一部を切り取ることができた。

 なるほど。こいつがどうやってこっちをのかはわからない。けどこいつの反撃はあくまでも自動的だ。的確な対処はしてこない。

 半自動発動型の魔法ってところか。多分こいつはそんなに頭が良くない。ただ暴れるだけの獣なら対処は難しくない。よしよしやはり情報こそ戦いの要だな。

 それでこの物質はなんだ?

「それほど硬くはないけどもろくはない。力を入れると曲がる。匂いはない。味もしない」

 以上蟻さんのレポート。

 まじでナニコレ。見たことないぞ。これが膨らんでスーパーのレジ袋みたいにもなったりするんだよな? 魔法は魔物につき一種類の法則だから別の物質じゃないはず。何だこれ。

 硬くも柔らかくもなる物……あれ? レジ袋?

 いやもしかしてオレはこれを知っている。いや正確にはよく見ていた。ごく当たり前のように触れていた。地球では。

 この世界に来てからは見たことも触ったこともない物質。自然には原則として存在しない物質。

「これ……プラスチックか!?」

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