164 可逆性生命体

 プラスチック。

 現代地球人が目にしない日はまずないであろうごくごくありふれた物質であるもののその定義は実に曖昧だ。

 ペットボトルやプラモデルなど明らかに形状や材質が違うものでさえプラスチックだと判断されている。厳密な定義としては高分子材料を人為的に成型、加工した物質だったはずだ。

 主に石油を精製したナフサを加熱してプラスチックの原料であるエチレンやプロピレンが生成される。

 つまり大体のプラスチックは石油から作られている。しかしそうでないプラスチックも存在する。それがバイオプラスチック。

 近年では石油資源の枯渇や環境への配慮から研究が進んでいる。

 が、実はこのバイオプラスチック、20世紀前半にはその前身となる物質は発明されており、意外に歴史は古い。

 しかしバイオプラスチックが商業的に利用され始めるにはそれから百年近くの時間が必要だった。これはバイオプラスチックの利用が難しいというよりも石油という資源があまりにも魅力的すぎたということだろう。

 わざわざ巨費を投じて地下から石油を採掘するほどに。石油を持つ国が巨万の富を築くほどに。

 しかし今この世界では石油どころか石炭さえろくに見つかっていない。そしてこのバイオプラスチックは石炭や石油と違いそこら辺に転がっているわけでも埋まっているわけでもない。きちんと人為的に処理しなければ、原料のままではプラスチックにはならない。

 自然界で石油や石炭を偶然見つけることはあってもプラスチックがたまたま見つかることは絶対にない。

 そう、それこそプラスチックを操る魔物でもいない限りは。




「な、ん、じゃ、そりゃ――――!」

 思わず叫んでしまったけど無理はない。まさか プラスチックが見つかるなんて思わないだろ? つーかそもそもどうやって作ってんの?

 もっとも有名なバイオプラスチックと言えばポリ乳酸だけど……あれは厳密には微生物から作られるバイオプラスチックじゃない。植物の糖を発酵させてできた乳酸を重合した物質だ。生物単体では作れな……いや、例えばアメーバが乳酸を操る魔法を持っていれば乳酸を重合させてポリ乳酸を作れるかもしれない。

 魔法は分子の配列を操作することについては現代科学技術すら凌駕しうる側面もある。何せただの砂からガラスを作れるくらいだ。乳酸からポリ乳酸を作ることはできるかもしれない。

 ただ材質なんかを変えていることから見ると単純なポリ乳酸などではなく、組成そのものを何らかの魔法でいじっているはずだ。

 つまりどんな物質なのかを完全に特定するのは困難極まりない。


「紫水。みんな集まり始めてるよ」

 あ、まずい。また自分の世界に没頭していた。くそ、とにかく弱点を探さないと。

 が、プラスチックは意外にも弱点が少ない。そこそこ軽くて丈夫だし、わりと耐食性も強い。熱には強くないけど森が近い味方陣地内で火を使うわけにもいかない。

 なら、辛生姜はどうだ? <硬化解除>が有効ではなさそうな気もするけど……あ、駄目だ。ここでは土地の都合上で辛生姜を育ててない。この巣はまだ新造だから投石機みたいな大掛かりな武器もまだ用意していない。

 結論としてプラスチックに有効な攻撃方法はひたすら物理で殴るのみ。ひとまず戦力を確認しないとな。

「ここにいるのは茜率いる豚羊。翼率いるラプトル。蜘蛛は少し。他は蟻だけ」

「あれ? 千尋は?」

「今別のところに移動してる」

 あ、そっか。あいつ最近色々忙しいから時間ないんだった。おかしいな。楽をするために偉くなったはずなのに偉くなればなるほど責任が増えるのに時間がどんどん無くなっているような。

 ……あまり深く考えてはいけない気がする。千尋がいないのは痛いけどたまにはそういうこともあるか。

「茜。お前は戦う気はあるか?」

「我々は殺し合ってはいけません」

 迷いないなあ。これについては少し改善したいんだがなあ。ふむ。

「茜。お前と何人かで戦いを見届けろ。それならできるよな?」

「はい」

 見るだけでも意識とかが変わるかもしれない。幸いアメーバは足が遅いし、飛び道具もない。見てるだけなら安全なはずだ。

「翼。お前にも戦ってもらうぞ?」

「願ってもありません。いまこそ戦士の本懐を遂げるとき」

 よしよしこっちは戦闘意欲旺盛だ。厄介な相手だけど倒せない敵じゃない。やるか。


 さてこいつの魔法はプラスチックを操る魔法、<プラスティ>とでも呼ぶか。迅速に変形し、こっちの攻撃に対処してくる。

 しかしその対処はあくまで自動的。恐らくこいつの行動自体意思や知性があるわけじゃない。あくまでも巨大化した微生物だ。ではどうやってその守りを突破するか。

 それはそんなに難しくない。さっきやったように波状攻撃を仕掛ければアメーバは対処できない。あるいはフェイントのように攻撃するふりでも効果はあるはず。しかし問題はこいつをどうやって倒すか。

 こいつの再生速度を上回る攻撃をできれば一番だけどそんなもんは銀髪かラーテルくらいしかできない。

 毒とかは効くかな? 多分効果はあるはずだけど……そもそも毒物がない。

 どうもこの世界の生物はあんまり強力な毒を持った生物がいない。今までで致死性のある毒は魔物の蛇くらいしか持っていなかった。

 普通の蛇もいるけどなぜか毒を持った蛇が少ない。あってもそんなたいして強力じゃない。

 ジャガオとかを除けば植物もトリカブトのような猛毒じゃなく、げ、これ食べられねえ! と思わせるくらいの毒がほとんどだ。したがって毒は無理。

 燃やせば楽だけど森火事が……いや、単純に斬ったり殴るよりも熱による攻撃の方が有効かもな。あ、物凄い単純なやり方を思いついた。

 自分が思わずいたずらっ子のような笑顔を浮かべたことに全く気付いていなかった。


 さっきと同じように矢を打たせながら味方を接近させる。やっぱりアメーバはさっきと同じようにしか行動しない。こんなもんどっかの死にゲーの方が難易度がよっぽど高い。

「突撃後に反転、開始!」

 ラプトルなら本来ならわざわざ言葉を発する必要はない。しかし他種族と連携をとるためには自分の行動を伝える必要があるというラプトルの気づかいだ。サッカーの成果が出てるかもな。

 その言葉通り壁に一撃加えると味方の邪魔にならないように離れる。ラプトルの<恐爪>はタメを作ると威力が上がるタイプらしく一撃離脱戦法と相性がいい。分厚い壁すら切り崩すラプトルの連携は見惚れるほどだ。

「穴が開いたぞ! 投げこめ!」

 スリングの要領で蜘蛛に壺を投げ込ませる。中身は熱湯だ! 普通に火を使えば森火事が避けられないけどこれなら絶対に燃え広がらない。

 まっとうな動物には使えないけど動きが異常に襲いアメーバなら準備する時間はいくらでもある。

 熱湯を浴びた部分は鍋に焦げ付いた目玉焼きみたいに地面にへばりついている。よし! やっぱり熱は効果がある! 最悪の場合でも火で燃やせば殺せる! 流石にこれだけの質量に有効な熱湯は用意できないけどひとまず――――

 ?

 負傷した周囲のアメーバが盛り上がって……徐々に熱湯を浴びた部分を上書きするようにもぞもぞと這いまわる。……こいつ、まさか自分を食っている? 

 自食作用みたいに使えなくなった部分を食べるのか!? なんでもありかよ! ファンタジーを通り越してホラーだなおい!

 くそ、これじゃあやっぱり一気に大ダメージを与えるかこの手のファンタジー生物定番の弱点、核みたいな部分を破壊するしかない。

 手掛かりはある。魔物にはいくつか体内に宝石がある。そいつを破壊すれば少なくとも魔法は使えなくなるはず。もしも神経のような働きをするとすれば動きを停止してもおかしくない。問題なのはこいつの宝石がいくつあるのか、どこにあるのか全くわからないこと。

 探知能力でも……いや、それはあくまでもオレが一人だけだったらの話だ。手の空いてる女王蟻全員で探知すればいけるか?

「翼! ひとまず攻撃は続行しておいてくれ! 単純にダメージを与えるよりも敵の陣形を寸断するように切り離せ」

「承知いたしました」

 だんだんわかってきたけどアメーバは単体の魔物と戦っているというよりは軍隊、あるいは陣にこもっている敵と戦っている方が考えやすい。

 翼は命令通り敵の体を削ぐように攻撃していく。しかし全体から見ればそれも一部。焼け石に水。アメーバの体力がどれほどあるのかわからないけど長期戦に持ち込みたくはない。

 ここからはオレたちの仕事だ。


「全員傾聴! 手の空いている女王蟻! 樹海付近の巣にいる魔物にピントを合わせて敵の宝石の位置を暴け!」

 お? おお! なんか探知する奴の数が多くなるとはっきりしてきた。あれだ、少年漫画の王道的展開のみんなで力を合わせるって奴だ。

 よし! 宝石発見! やっぱりど真ん中にあるな。幸いにも一個しかない。

 さてどうするか。強引に突破するしかないかな。流石に投石機で狙うには的が小さすぎる。

 とはいえプラスチックの防備をかいくぐって敵のど真ん中に突入するのは簡単じゃない。


「翼。鏃を丸めてから矢を撃たせる。お前らにも多分当たるけど耐えられるか?」

 作戦は単純。ラプトルをアメーバに体内に突入させる。ラプトルを阻ませないために威力を落とした矢で<プラスティ>を壁に固定させて他の形態には変化させない。

 近距離なら味方に当てないようにもできるけど遠間から撃つためそんな器用な真似はできない。それに長時間戦っているせいで矢の残数が心もとない。多分やり直しは難しい。

「なんの。王の御命令とあらば、いかな無理も通しましょう」

「それじゃあ頼むぞ」

 謹厳実直。そういえばラプトルにとってオレたちの仲間に加わってから初めての実戦か。気合も入るはずだ。


 ラプトルが列をなして走る。

 泥沼を渡るように。

 アメーバの体にはもはや一面に鎧のようにプラスチックが纏わりついているが、それも走りづらい一因になっている。プラスチックはきっちり固定されておらずビート版くらいの大きさに分かれているが、アメーバの体があまり固くないせいで足場としては不安定すぎる。

 ラプトルの負傷要因の大部分は転倒だ。矢でのけん制が効いているおかげで棘は作られていないけどプラスチックに激突すれば痛いに決まってる。

「倒れた者は捨ておけ! ただ目的を果たすために走るのみ!」

 そしてこちらも今回初共闘のカッコウがその仕事を果たす!

 上空から熱湯の入った壺を宝石付近に投げ入れる! やっぱ上空爆撃強いなおい! 鷲と比べると重い物は運べないけど陽動ならこれで十分。

 壺が割れ、熱湯が飛び散るととエアバッグのようにプラスチックが膨らんだ。なるほど間に空気を挟めば熱は伝わりにくい。しかし、空気の入った袋なんかじゃ<恐爪>は防げない!

 突き刺さる魔法。ぱんっと破裂した袋もろともアメーバの宝石は砕かれた。

 アメーバの体は蠢きこそすれ、<プラスティ>は使わなくなった。


「ふう、これで勝ったな。翼、よくやった」

「もったいない御言葉」

 はー、やれやれ。強くないけどめんどくさい奴だったなあ。いやまああっさり倒せる魔物なんてなかなかいないけどね。


 油断していたせいだろうか。

 ほんの少し、ほんの少しだけ、探知能力に反応があったことに気付かなかった。

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