155 下剋上
透明のガラスでできたコップで水を一杯煽る。
どっかのホテルに宿泊している大富豪ならこんな時高級ワインでも口にするんだろうけどあいにくオレには酒の美味さがわからぬ。
勝利の美酒……とまではいかないけど作戦成功の水を飲む権利くらいあるはずだ。
ふう。
「あー、上手くいって良かったあ!」
やっべえ、めっちゃ緊張した。一度負けた相手と戦うってこんなに緊張するんだな。この調子ならラーテルや銀髪と戦う時はいったいどうなるやら。
吐く? オレ吐いちゃいませんか?
まあそれくらい緊張してたんだよね。この作戦ある程度相手任せなところがあるからなあ。
ラプトルがあっさり退却したり、突撃せずに壁の外でうろうろされたりだとか結構色々なパターンを想定してたけどラプトルを壁に閉じ込めたのは最高の結果だ。最後尾にいた指揮官らしきラプトルはあえて壁の外に分断させた。今頃千尋と辛生姜付きの毒矢を持った蟻達が捕獲しに向かっているはずだ。これが上手くいけばラプトルを改心させる芽が出てくる。
上手くいくといいな。ま、その前に内側の騒動を何とかしないといけないかな。
壁の中はまさに修羅の巷だった。ラプトルが爪を、牙を、<恐爪>を煌めかせ血しぶきが舞う。
血を這う蟻は敵の足を狙い噛みつき、壁の上にいる蟻は味方もろとも弓矢で撃ち殺す。
混乱の極致に達した豚羊は赤いマントに煽られた闘牛より激しく走り回り、味方や壁に頭から激突し、血を流す者も珍しくない。
その隙間を縫うように蜘蛛は次々に敵を絡めとっていく。
ここまでくれば陣形も戦術もあったもんじゃない。生き残るのは強い奴と運のいい奴。すでに空が白みつつあるが、日が昇り切るころにはこの壁の中に生きている命は一つもなくなるのではないかというありさまだ。
はっはー。これ収拾つくのかなあ。つけないといけないよなあ。自分がやったこととはいえ、エライ騒ぎだ。
「千尋、捕らえたか?」
「うむ。こやつは身動き一つできまい。何匹か他にも捕らえたが、逃げ延びた輩もおるぞ。それでよいのだな?」
「満点だ。ご褒美は期待していいぞ」
千尋の足元には糸でぐるぐる巻きにされたラプトルが何匹か転がっている。そういえばラプトルの数詞って匹? 頭? 鳥の祖先らしいから羽? 今更っちゃあ今更だけどな。
よく見るとリーダー格らしきラプトルの首に木のわっかのようなものを通した紐がかけてある。何らかの身分を示すのか?
こいつとの交渉が上手くいけば一番だけど……失敗したら例の作戦に移行するだけだ。
ドンっと腹の底に響く音が戦場に轟く。太鼓のようなものをいくつか作っておいてそれを一斉に叩いた。ただし太鼓の音はラプトルには低音すぎて聞こえない可能性があるので犬笛も同時に吹いておく。
一斉に味方が固まり始めると徐々にラプトルも統率を取り戻し始めた。
さっきの乱戦が嘘のように静まる。もっともこれは仮の静けさ。少しでも天秤が傾けばまた争いは再開されるだろう。ひとまず場は整った。
「もしもし。オレは紫水。この群れのリーダーだ」
今までは完全に無反応だったけど、この状況ならテレパシーでの会話に乗って来るか?
「……何故あなた方は言葉を使えるのです?」
恭しい、家令や秘書のような丁寧な口調だ。こちらも何か首に何かかけている。奴がナンバーツーかな?
んー、言葉? テレパシーじゃないのかな?
「もしかしてこれのことか?」
働き蟻の一人に犬笛を吹かせる。もちろん蟻の耳には何も聞こえないが、ラプトルには聞き取ることができたらしい。
「ええ。何度も言いますが一体なぜあなた方のような這いまわるしか能のない虫けらが我々の言葉を使うことができるのです?」
思いっきり見下されてるなあ。
魔物はテレパシーで会話することが多いからむしろ音による会話の方がレアなんだよなあ。
うーん、ひとまず犬笛については誤魔化した方がいいかな。どうもオレたちが超音波を出していると思っているみたいだし。
「研究の成果だと言っておくよ」
「研究? そんなもので我らの言葉を発せられると?」
「できるんだよなあそれが」
ラプトルはどうも疑っているようだ。
ふむ。疑う。当たり前のような心情だけど魔物にとって疑う能力は結構貴重だ。
仮説だけどテレパシー以外のコミュニケーション能力を発達させた結果嘘を見抜いたりする能力を獲得したのかな? さっきのリーダーこっちの会話の裏を探っていたようだったし。だとするとちょっと厄介だな。
とはいえあんまり考えてる暇もない。そろそろ仕掛けるか。
「一つ提案だ」
「何です?」
「オレの部下にならないか?」
「なりません」
清々しいまでの即答。脅しに乗らないとはなかなかよくしつけられてるじゃないか。
「この状況で断る意味がわかってるのか?」
「ええ、もちろん。ですが我々は王の
ん? 爪? 膝を折るのラプトル的言い換えかな? 爪が折れたら物凄い痛そうだけど。何にせよ従うつもりはないらしい。
「お前は何なんだ? 王とやらの腹心か?」
「ええ。我が名は&%#。王から将の位階を賜りました」
将なら武官よりの偉い奴のようだけど……何だこいつ。名前を持った魔物は珍しいけど……&%#? 翻訳できてない? 何で? さっきの王様は名乗らなかったからなあ。こいつだけなのかそれともラプトルはみんなそうなのかわかんない。
うーん、この疑問はひとまずおあずけ。あっちの準備も終わったみたいだし、そろそろお芝居の時間だ。
「そうかそうか。それじゃあお前にとって王様の命令は絶対なんだな?」
「ええ」
「念のために聞いておきたいんだけど、あれがお前たちの王か?」
壁の上に雄々しく立ち上がる一匹のラプトル。朝日が後光のように王の姿を照らしている。
ラプトルたちから歓声が上がり――――そして次に悲鳴と困惑が広がった。
「お、王!? な、何をしていらっしゃるのですか!?」
王の口からは赤い血が滴り落ち、その牙が貫いているのはラプトルの生首だった。
唾のように首を吐き捨てるとそのまま重力に引かれて地面に赤い染みがまた一つ形作られた。それに続くように王も壁から地面へと飛び降りた。壁は生半な高さではない。
しかし、ラプトルの王は飛び降りた勢いそのままに&%#の群れへと向かい、<恐爪>をラプトルに突き立てた。またも血しぶきが舞う。今日ここで流れた血の量を思えばこんなものは大した血ではないが、今までとはわけが違う。味方の、それも彼、ないしは彼女が崇めるべき王がその手を汚したのだ。
「王! 何をするのです!?」
「あなたはそんなことをする人では……ぐわー!?」
「そんな! あなたのことを信じていたのに!?」
「裏切った! 裏切ったな!?」
……ちなみにこのセリフは全部オレのアテレコです。いやだってこいつらテレパシーを使わずにエコロケで会話してるから、何言ってるかわからないどころか聞くことさえできないんだよ。
しかし混乱と困惑は痛いほど伝わってくる。
王から逃げまどうラプトルからは先ほどまでの統率力を微塵も感じない。ただの逃げまどう群衆だ。このままならオレが手を下さずともラプトルは全滅だ。
もちろん王が突如乱心したわけじゃない。これはジャガオの魔法<心変わり>の影響だ。今の王様ラプトルにはラプトルを攻撃せずにはいられないはずだ。
殺さずに捕らえて交渉し、しかし物別れに終わったので無理矢理ジャガオを食べさせた。今のラプトルの王は味方であるはずのラプトルを襲わずにはいられない邪智暴虐の限りを尽くす王だ。
さあ、どうする将?
そしてこれまででもっとも高く血しぶきが舞った。ラプトルの王は、一言も発さないまま物言わぬ死体になった。
ほう、そうなったか。
最初は王様に群れを襲わせてから口八丁で丸め込むつもりだったけど、こいつらは嘘に対する耐性を持っていたのでちょっと予定を変えた。
こうなったら王様に徹底的に悪者になってもらってなおかつ、それをオレが助ける、またはラプトル自身にそいつを裁いてもらう作戦。これも一種のマッチポンプかな。
残念ながらさっきの王様はオレたちに従うくらいなら全滅した方がましだという価値観の持ち主だった。だから退場してもらわなければならない。そんなわけで即興三文芝居の始まりだ。
オレがラプトルを掌握するにはまずオレ自身が奴らのトップ、ないしは奴らのトップを傀儡にしなければならない。それが無理そうならトップの首を挿げ替える。
今回の場合事前情報がないのでラプトルにとって何が大事かはわからないから最初の蜘蛛の時みたいに交渉するのは難しい。なのでもっと乱暴な方法で解決することにした。
つまり奴らのプライドを叩き折る。そこでオレが救いの手を差し伸べる。
溺れる者は藁をも掴むともいうしね。
「どうやらお前たちの王様は死んだみたいだけど一体お前たちの王様は今、誰なんだ?」
もしも今突撃すれば絶対に勝てる。断言してもいい。集団戦闘では兵隊の士気がもろに戦闘の影響を左右する。今のラプトルから戦意は一欠片も感じない。
まるで勝ち目のない戦場で立ち往生している新兵のように不安そうに視線を彷徨わせるだけだ。やはり交渉は弱みにつけ込まないとな。
「……王が亡くなられたのであれば本来なら私が王になります」
そりゃ好都合。話が通じる奴がトップならこれほどありがたいことはない。
「改めて聞くぞ? オレの部下にならないか?」
「……質問をしてもよろしいですか」
「いいよ。なんだ?」
「我らはどうなりますか?」
「そうだな。お前たちはあくまでさっきの王に従っていただけだろう? それなら罰することはないよ」
この言葉の意味はきっとこいつならわかるだろう。
つまり全責任を死者に押し付けさせる。それもラプトル自身にその選択をさせる。その言質を取る。
心理学というか詐欺とかで聞く話だけど自分で選択した事柄については責任を感じるのだとか。ラプトルを今までの体制から切り離すのならラプトル自身で選んだと思わせないといけない。
「我らに罪はないと? 王の命令とはいえあなた方を傷つけた我々を? 王の親族である私を?」
「ない。軍隊の責任は責任者がとるべきだ。それに罪人の血縁が罪人であるとは思わないよ。個人の罪は個人に帰結するべきだ」
犯罪者の親や子が犯罪者であると決まっているわけはない。極悪人の友達が極悪人とが限らない。
昔だと罪人は一族郎党皆殺しなんて珍しくないかもしれないけどオレはそういう考え方が好きじゃないし、正しくないと思う。
「それともなんだ? 面白半分でオレたちを攻撃したのか?」
「……いえ、我らも居場所が必要だっただけです。あなたのお考えはわかりました。ですがあなたの戦士が皆そうであるとは限りますまい」
やっぱりこいつら結構疑り深いな。少なくとも蟻はオレの命令に絶対服従何だけどな。それをどう証明したもんか。
「なあ、お前蟻を適当に一人指さしてみろ」
やや困惑したものの、ラプトルは一人の蟻を指さした。その蟻に命令する。したくはないけど、一番手っ取り早い証明方法はこれだ。
「お前がもしもラプトルを味方にすることに不満がないなら、腕を一本切り落とせ」
「なっ!?」
ラプトルが驚愕するよりも先に蟻が腕を噛み千切ろうとする。ラプトルは驚いているがオレの部下たちは子揺るぎさえしない。この程度は蟻にとって当然の出来事だ。
「……わかりました。確かにあなたの戦士はあなたを裏切りはしないでしょう」
うむ、証明終了。すぐに治療を開始させる。つってもせいぜい水で洗うくらいしかできないけどね。痛そう。
ただどうにもやりすぎてしまったのかラプトルたちが引いている気がする。……ここまで来たら最後の一押しとして切り札を切るべきだな。
「なあ、お前ら。こいつの顔に見覚えはないか?」
持ってきたのは石像。あの銀髪の石像だ。似顔絵じゃないのは<錬土>で作るには絵を描くよりも魔法で彫刻にした方が正確にあいつの顔を再現できたからだ。
反応は劇的だった。極寒の大地で厳しい生活を強いられている狼が獲物を見つけた時よりも獰猛なうなり声と、会話しているわけでもないのに、怒りの感情が伝わってくる。
大当たりだ。やはりラプトルもまた、銀髪の被害者だ。
「なあ、オレも以前こいつに巣を一つ潰されたんだ。お前たちはなんだ? 住処を奪われたか? 仲間を殺されたか? わかるよ、その気持ち」
今まで困惑と憔悴に浸かっていたラプトルに怒りの火が灯る。多分この瞬間初めてラプトルとオレたちは同じ方向を向いた。
「……あなたなら、あれに勝てますか?」
「無理だよ」
はっきりとした否定の言葉だけど、落胆した様子はない。むしろここで簡単に勝てるなんて言わない方が良かっただろう。
「でもな、きっとお前たちではどんなに努力しても勝てない。お前たちはどれだけ知能が高くても自分の力で戦うという発想を捨てられない。オレは違う。ありとあらゆるものを使って戦う方法を探し、変えることができる」
「……」
沈黙は肯定なのか、逡巡なのか。
「オレの部下になれ。お前らに勝ち方を教えてやる」
チリチリと緊張した空気で耳が痛くなる。それでもこれ以上付け加える言葉は思いつかない。
「……我らの忠誠をあなたに」
そうしてラプトルは一斉に恭順の意を示した。
ふ、やっぱりだ。喜びは共有するのが難しい。感覚は種族によって異なる。ある者にとっては喜びでもある者にとっては侮辱になることはままある。
しかし、傷つけられ、居場所を奪われたという怒りと恐怖は誰でも共有できる。例え個体という概念が乏しい魔物であっても、それは普遍的な感情だからだ。
感謝するぞ銀髪。お前のおかげでオレたちは強くなれる。 お前が他愛なく蹴散らした弱者を束ねていつかお前の首元に牙を突き立ててやる。
お前の存在さえ利用してオレは強くなってみせる!
ただ……うん、でもラプトル。わかってるんだ。そのポーズが服従のポーズだってのは。動物が腹を見せるのは戦う意思がないことを示しているってのはオレも知っている。
でもさあ、百を超える恐竜が一斉に腹を見せているのはちょっとシュールすぎませんかねえ!?
……相変わらずぴしっとしまらないなあ。
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