154 かごめかごめ

 ひとまず作戦は命を大事に、という方向性にしたい。多分ラプトルだって狩りをしているわけでオレたちが憎くはないはず。……妙な宗教を信仰していない限り。

 最高の展開は完膚なきまでに叩き潰し奴らを手中に収めることだけど、無理ならひとまず退散させるだけで及第点。そのために必要なのは防衛設備だ。理想は城、最低でも壁。

 平面での戦闘では不利なのは前回の戦いでよくわかった。用意できたのはせいぜい五百ちょい。合流できれば前回の戦力を上回るけど、個々の戦力は下。なのでやっぱり敵の機動力を殺して高さの有利を作る設備がいる。が、当然ラプトルが壁の建設を放っておくわけがない。つまり奴らが邪魔できないほど遠くに味方が逃げ込めるほど近くにラプトルの攻撃をしのげるほどの設備を作る。

 雑でいいなら半日あればそれなりの壁を作れる。一夜城くらい簡単だ。魔法最高。

 ただしここで面倒なのは鳥だ。上空監視があれば城なんぞ作れば一発でバレる。安全に遠くに拠点を作るか、リスクを承知で洞窟の近くに作るか。

 そこでちょっとばかり秘密兵器をいくつか作りたい。

 戦局を一変させるもんじゃないけど多少攪乱させて逃げる時間を稼ぐ。そういう兵器を作る。閃光弾だ。


 避難している洞窟には苦土カンラン石がある。

 これの化学式はMg2SiO4。そして現代でも閃光弾にはMg、マグネシウムが含まれていることが多い。このカンラン石からマグネシウムを取り出せば簡易的な閃光弾を作ることが可能なはず。

 ではどうやってマグネシウムを取り出すか? 前にちょこっと話した熱還元法の応用を行う。名付けて、魔法還元法!


 そもそも還元とは何か。ざっくり言うと物質から酸素を取り除くことだ。酸素じゃなくて水素だったり、電子をやり取りする反応であることもあるけど、ここでは酸素が重要なのであくまで酸素を取り除くという定義にさせてもらう。

 熱還元法でマグネシウムを取り出す場合、真空かつ高温で還元剤になるケイ素や炭素を加える。大雑把にはこんな感じ。無理です。

 こんな洞窟で高温を出せるわけがないし、そもそも真空状態なんて簡単にはできねえよ。

 しかし、蟻は以前ガラスをごく普通のクオーツから作った実績がある。高温と同じような状態にしてカンラン石からマグネシウムを取り出せるのではないか? そう思って試した結果は……できました。

 まずケイ素の塊であるシリコンを<練土>で作ってから。酸素分子をケイ素に移す感じか? 化学式としてはこうなる。たぶんだけど。

 Mg2SiO4 + Si → 2Mg + 2SiO2

 思い付きだったんだけどなあ。まあできてしまったものはしょうがないね! あと一つ、道具を作れば……ひとまずこれで敵を攪乱させるくらいはできるはず。

 準備は万全じゃないけどこれで何とかするしかない。




 蟻の進軍は恐らく察知されていただろう。空を飛ぶ鳥は今日も地べたを這う虫けらを見下ろしている。

 それでも攻撃を仕掛けなかったのは戦力分散の愚を恐れたからか、単に自信があるからか。そのおかげで壁を順調に作れている。

 しかし、洞窟までは結構距離があるから、ここまで逃げ込む間に十回は全滅させられる。そう思ってくれているとありがたい。

 夜になる。こいつらはどちらかというと夜より昼に警戒が厳重になっている。それほど夜戦に自信があるってことだろう。

 だからこそ夜に脱出させる。相手はそれを警戒していないはずだ。


 ふう。あー、緊張してきた。

 一度負けた相手だからなあ。また負けたらどうしよう、とか、これでだめならどうにもならないとかネガティブなことばっかり考えてしまう。

 こういう時にビシッと言える指導者だったら良かったんだけどなあ。

 よし、無駄思考終了!

「七号。脱出作戦開始だ!」

 号令と共に一斉に洞窟から這い出る蟻、豚羊、蜘蛛。実はこっそり洞窟内部にいた海老は残してある。足が遅すぎるので同行すると足手まといになる。洞窟の内部に隠れておいた方が安全だろう。

 いきなり飛び出してきた蟻達に驚いたようだったけど、そこはラプトル。すぐに真正面からぶつからずに群れに並走するかのように走り出す。前のように削るつもりだろう。

 しかし無策じゃねえよ!

「マグネシウム、点火!」

 豚羊の上に乗って御馬の稽古をしている蟻に指示を出す。

 カンテラにあらかじめ火を点けておき、操作すればマグネシウムを着火できるようにしておく。さらに信号カンテラのように一つの方向に対して光を向けることができるように工夫する。

 これで即席閃光弾の完成だ!

 こんな方法になったのはこちら側の目を眩ませないためと、山火事ならぬ草原火事を防ぐためだ。マグネシウムの引火性と発光は強く、そう簡単には消えない。それゆえに暗闇に慣れた目にはよく効くだろう? しかもこれでこっちの道も照らすことができる。一石二鳥!

 ラプトルたちはわずかにひるんだものの一切立ち止まる様子はない。当然だ。エコーロケーションは視力には関係がない。つまりこれは全く意味のない行為。

 でも、だ。だからこそひっかかる。

 きっとラプトルは警戒していた。夜戦なら不利なのに何故わざわざ夜に打って出たのか、疑問に思っていたはずだ。

 でも、このマグネシウム閃光弾を見てこう思ったはずだ。

『なんだこの程度か』

 閃光弾は本命から目を逸らす囮。ラプトルたちを油断させるために作った道具。

 その策が上手くいっている証拠に今までよりもラプトルたちは距離を詰めてきている。

 間違いなくラプトルはエコーロケーションを使える。

 エコーロケーションといえばやはりコウモリだろう。

 コウモリは恐らく陸上において最もエコーロケーションを使いこなしている生物だ。音波を巧みに操り、敵の速度、位置、ありとあらゆる情報を取得する。

 しかし、そのエコーロケーションを聞き取っているのは人間と大きく変わらない耳という器官だ。例えばいきなり大声で叫んでみるといい。当然ながら耳が痛くなるほどキンキンするだろう。あるいはヘッドホンの大音量を聞きすぎたせいで聴力が悪化したという話も聞く。

 ましてや、動物界最大の音の一つとさえ言われるコウモリのエコーロケーションを何度も行っていてコウモリの耳は無事なのか?

 実はコウモリは音を発生させる能力と同じくらい自分が発生させた音を聞かない能力を発達させている。

 例えば耳の内部にある筋肉で耳を保護するコウモリ。

 ドップラー効果を利用するコウモリ。わざと自分には聞こえない音を発生させ、獲物から音が跳ね返ってくる頃に聞こえる周波数かつ耳を傷めない大きさになる音になるように調整しているらしい。

 ラプトルにも耳を保護する機構はあるはずだ。逆を言えば大音量の超音波を奴らに聞かせれば奴らの耳に相応のダメージを当てられるはずだ。

 ましてや目に頼らず耳に全神経を集中させていたならば! 敵の策が的外れであると笑いながら近づいていたなら!

 そう、油断と慢心こそが死に至らしめる猛毒だと思い知れ! ……めっちゃブーメランな気がするけどそこは目をつぶってくれ。


「一斉に犬笛を吹け!」

 夜の草原に人の耳には、蟻の耳でさえも聞こえない音が鳴り響いた――――はずだ。聞こえないから今一つ臨場感に欠ける。

 しかしラプトルの群れは目に見えて隊列を乱した。それどころかバランスを失って地面に倒れ込んだラプトルさえいる。

 犬笛は人間の可聴域外の高音、つまり超音波を出す道具だ。当然ながら犬以外にも聞こえる。イルカや一部の蛾、当然このラプトルも。

 ドッグショーやイルカショーで犬笛を吹いてみるといい。きっと飼育員のお兄さんお姉さんはとても困るはずだ。それやるとまじで営業妨害とかで捕まる可能性があるからまっとうに生きたいならお勧めしないけどな!

 この犬笛のえげつない所はオレたちの耳には聞こえないほどの高音であることだ。つまりこっちの耳には何ひとつ影響を与えずに敵のエコーロケーションを妨害できる。……以前小春にオカリナを作ってやったことがあったけど、その経験がここで活きたな。何が役に立つかはわからんもんだ。

 原理のよくわかっていない蜘蛛や豚羊は苦しむラプトルを不思議そうに一瞥したが、すぐに視線を外し、逃亡マラソンを再開した。


 動揺したラプトルも隊列を立てなおすとまた追跡を開始した。ただしその走り方はさっきよりも明らかに慎重だ。

 どうやらラプトルの後方に全体の指示を出している奴がいるらしい。恐らくこの群れのリーダーだろう。もうちょっと動揺させられるかと思ったけどやはりリーダーも優秀なようだ。

 しかしわずかでも敵の速度が遅くなったのはありがたい。

 それでもまだ壁までは遠い。エコーロケーションを封じて目を眩ませても追走をやめはしない。じわじわと距離を詰めてくる。

 ……あんまりやりたくなかったけど仕方ない。

「殿、敵を止めろ」

 数人の蟻が離脱して弓ではなく投石機でラプトルを狙う。当たろうが当たるまいが先頭のラプトルの足に食らいつく。完全に足止めを狙うだけの捨て駒。風車に向かうドンキホーテの如き無謀。すぐに波に呑まれて消えた。稼いだ時間はほんのわずか。

 しかしそれでもいい。たった数人の犠牲で味方全員が百メートル進めるなら駒得だ。これが蟻。蟻の戦術。全てを全体に捧げる、躊躇なくそうできてしまう。

 地球人類で真似できそうなのはさつじんマシーンかスパの国の三百人くらいかな。……奴らならやりそうじゃなくてからな。

 いい加減諦めればいいのにラプトルはまだ追撃を続ける。しかしあと少し。ここからなら――――

「蟻ジャドラム」

 一言呟いただけで大岩がラプトルめがけて転がる。この珍兵器だけでもドードーを養う価値があると断言できる。ほぼ毎回使ってるけど未だに有効な対策をしてきた魔物はいない途轍もなく厄介な兵器。ラプトルも流石に面食らったようだ。

 これでもうあと百メートルもない。

 それでもまだラプトルは諦めない。何が彼、ないしは彼女らをそうさせるのか、食い物か、縄張りか、はたまた別のなにかか……ここで引かないならこっちも強引な手段をとることになるな。

 壁が迫るとさっきまでの慎重さをかなぐり捨ててこちらの隊列に割り込もうとするラプトルさえ現れ始めた。その度に蟻が体を張ることになったがそれでもラプトルは豚羊に食いつこうとする。

 今までとは違い一撃離脱ではなくもみ合いにあえて持ち込もうとしている。ライオンとバッファローの狩りは決して一方的ではないように、例え爪と牙、何よりも<毛舞>さえも貫通する魔法を持っていたとしても豚羊とラプトルには埋めがたいほど体重差がある。基本的にでかい方が強い。

 だから真正面から戦えば豚羊の方が強い。それを覆すために巧みな戦術を駆使していたはずのラプトルが何故力業に訴えたのか。多分門を閉じさせないためだ。

 壁には出入り口を二つ設置して観音開きの扉をつけているけど、それだけだと今回のように急を要する場合すぐには扉を閉じれない。だから内側に落とし格子のような扉をもう一つつけているわけだけど、鳥の上空偵察のおかげでそれに気付いている。

 だからあえて守護対象である豚羊ともつれ合うことで門を閉じられなくさせるつもりだ。それに乗じて自分たちも壁の内側に入るのも計算の内か。さらに前回同様敵味方が入り乱れていれば弓矢を撃てなくなる。蟻だけならともかく豚羊を撃てない、そう踏んでいるようだ。

 どうもこいつらは身を切るような戦い方をするな。リスクを恐れないというか……ジャイアントキリングを起こすためにはそういう捨て身が必要なこともあるか。

 ラプトルも鳥もきっと気付いている。壁の内側には荷物が大量に積んであることを。きっとそれを奪うために手間と犠牲をかけている。宝箱があれば開けたくなるよな? きっとそう思ってくれているはずだ。

 血で切り開いた門をくぐる。ラプトルは味方と共に壁の内側へ入り込んだ。でもな、ラプトル――――


「オレは豚羊を切り捨てられないなんて一度も言ってないぞ?」

 内部の蟻、蜘蛛、その他大勢の魔物が乱戦状態の豚羊ごと攻撃を仕掛ける。すでに僧侶から許可はとってある。ラプトルもあれだけ必死になって守っていた豚羊を攻撃するとは思っていなかったのか、狼狽する暇さえなく倒れていく。その隙にラプトルに攻撃されていない豚羊の群れは壁の外側へと脱出していき、それを確認するとすぐに落とし格子が重い音をたてて閉じた。……その際につぶされた味方もいる。

 そう、この壁は防衛設備ではない。ラプトルを捕まえる、鳥籠だ。

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