140 真の味方

 銀の聖女が竜を討伐した。その噂は音よりも早く都に届き、詩人は聖女を称える歌を唄い、絵師はこぞって彼女の絵を描いた。……ちなみに彼女と会話どころか顔さえ知らない人間が大多数なのでその大半が想像である。そのため銀の聖女の顔立ちは驚くほど多様になってしまい、一般の民衆にはどれが本物の聖女の顔なのかさっぱりわからなくなってしまった。もっともわからないからこそ想像を働かせたがるのも性だろう。

 その好奇心を爆発させたため、例え御簾越しであっても彼女の姿を一目見ようと押し掛ける観衆で都の門はごった返していた。


「凄い人だかりですね」

 もちろん駕籠の中にいるファティには観衆の顔は見えていない。だがその空気だけでどれほどの人間がいるのかはおおよそわかる。

「そうね。この人たちはみんなあなたの為に集まった人よ」

「私、大したことはしてないのに……」

 ぴくりとサリは眉根を寄せたが、ファティがそれに気付くことはなかった。

「そんなことないわ。貴女は立派に戦ったもの」

「でも、結局たくさんの人が死んでしまったから……」

「彼らは勇敢に戦ったのだから楽園に旅立ったわ。悲しむ必要はないわよ」

 ファティが違和感を覚えるのはこんな時だ。正しいセイノス教徒にとって死は必ずしも恐れることではないようで、セイノス教徒は例え隣人が死んでしまったとしてもまるで悲しんでいないかのように振る舞う。

 地球とここでは死生観が違う。それはよく理解しているつもりだが……

「あなたがこんなにもたくさんの人たちに慕われているんだもの。同じ村の住人として誇らしいわ」

「ありがとう、サリ」

 少なくともここに喜んでくれている人はいる。それはとても心強い。些細な違和感など無視できる程度には。




 栄えある騎士団の凱旋とはいえ派手なパレードがあるわけではない。セイノス教の教義には清貧を心掛けるべきとの教えも存在するため行事は地味になりがちである。それにたかが村の一つが壊滅しかかった程度の些事にわざわざ反応している暇もないのだ。ファティに関する騒ぎも一日たてばそれ相応に落ち着いた。それでも都の話題の中心ではあったが。

 そのため拍子抜けするほど何もなく時は過ぎ、アグルたちは無罪を勝ち取り、トゥーハ村の人々は晴れて自由の身となった。

 しかしファティの今後についてだけは容易く決められはしなかった。


 聖白宮の一室においてファティとアグルだけが向き合っていた。アグルの表情は固く、あまり和やかな話ではないことは容易に察せられた。

「先日、ルファイ家の家令から打診があった。貴女を養子に迎えたいと仰っている」

「私を、ですか? どうして?」

「銀色はこの世で最も貴い色だ。その髪を持つ君はルファイ家に入ることが皆に救いをもたらす最も良い方法だとその家令は仰った」

 予想外の言葉にファティは戸惑い、アグルの顔を覗き込む。しかし、その表情からは未だ感情の色はなく、そのまま事務説明のような言葉が続けられる。

「貴女が誰よりも神を愛し、また愛されていることは私が一番よくわかっている。君の信仰が最も高められるのはルファイ家だろう」

「アグルさん。アグルさんは、サリは、村のみんなはどう思っているんですか」

 その言葉に一瞬だけ沈痛な面持ちになったがすぐにまた無表情に戻った。

「聖女様はルファイ家に入ることが何より、貴女の、そしてクワイの為になると皆確信している」

「そうじゃなくて!」

 血相を変え、おもわず立ち上がる。言葉を荒げたことに彼女自身が驚きつつ、しかし、すぐにまた同じように座りなおす。

「私が知りたいのは私の為になるとか、そんなんじゃなくて私のことをどう思っているかです。その、みんなは私がトゥーハ村の一員じゃなくてもいいんですか?」

 アグルは目を閉じ、しばし沈黙していたが、やがて口を開いた。

「私の本音を言えば、貴女が、いや君が村から離れるのは苦しい。私の兄に君を託されたし、姉もまたそれを望んでくれていると信じる。皆も、本音はそうだろう。君の隣にいることが救いを願う我らにとっての光だ」

 彼女自身が心の底では望んでいた言葉を聞いて顔をほころばせる。彼女にとって誰かに必要とされていると実感することは空気よりも水よりも彼女の心を潤すのだ。

「だったら、私はルファイ家には入れません。トゥーハ村の一員でいたいです」

「そうか。なら私から――――」

「いえ、私から話します。それなら角が立ちませんよね」

「それはそうだが……」

「大丈夫です! ちゃんとできます」

 買い物を頼まれた子供のように、相貌を崩し、ぱたぱたと喜びの足音を立てながら、部屋を出る。

 一人だけ残されたアグルは座りながら目元を隠すように手で顔を覆う。大きなため息を吐き――――その顔を思う存分笑み曲げた。

(全くもってくだらないな)

 彼としてはどちらでも問題はなかった。

 銀髪がルファイ家に入りたければ好きにさせてそれを恩に着せるつもりでいた。

 まさかあの田舎村の一員でいたいなどと言い出すとは思っていなかったが、それならそれで問題ない。

(いずれはルファイ家に売るつもりだが、まだ待てばいい。どうもルファイ家の連中もまだまだ余裕があるようだしな)

 今しばし銀髪を制御下に置いておき、あれの値段を吊り上げる。ルファイ家だけではなく、他の家も銀髪を求めるようになれば、ルファイ家もなりふり構わずファティを取り入れようとするだろう。その時こそが彼の要求を呑ませる最大の好機だ。

 獲物を狙う狼のようにぎらついた瞳は誰にも心を許してなどいなかった。


 家令に提案を固辞した後、ファティはばったりとタストに出くわした。

「藤……御子様。こんにちは」

 人目のつく場所であるため日本語は使えない。慌てて言い直す。

「こんにちは。具合は大丈夫? ファティさん」

「はい。それと、すみません。せっかくルファイ家にお誘いして頂いたのに断ってしまって」

「それは構わないよ。でもこれから君はどうするんだい?」

「家令の方が言うにはできる限り都にはいて欲しいみたいです」

「都に、か。ならすぐに会えるね。また何かあったら頼ってくれていいよ」

「ありがとうございます。御子様」

 ふわりと綿毛のような笑顔。いつまでもこういう顔をして欲しいと切に願う。

 だからこそ気になる。その気になれば教皇はいくらでも彼女を手中に収める術があったはずだ。それをしないのは何故なのか。もし何かしかの策謀を巡らされたとして、そこから彼女を救い出すことはできるか

 わからないことも、できないことも多すぎる。

(僕は彼女を守りたい。だから、力がいる)

 単純な暴力ではない。権謀術数を乗り切る知恵が必要だ。幸いにもそれに適した能力はすでに持っている。嘘を見抜き、一度記憶したことを決して忘れない力。それは間違いなく強力な武器になってくれるはずだ。

(まずは僕と、彼女の力になってくれる人。そして教皇に対抗とまではいかなくても意見ができる程度の権力だ)

 しかし、この国において男が上にのし上がるのははなはだ困難だ。

 勉学に励むとき、あるいは一度読んだだけの聖典をそらんじた時、妬みとさげすみの視線はいつも突き刺さっていた。

 いざという時に味方になってくれそうなのはトゥーハ村の住人くらいしかいない。その住人でさえ信用できると確信はできない。

 ティキーなら味方になってくれるだろうが、彼女は自分の領から離れられない。

(トゥッチェか……)

 四人目の転生者がいる場所。彼か彼女かわからないが、もしも力になってくれるなら……

(いや、今はそれよりももっと具体的な手段で何か力がないといけない。この場にいるのはぼくなんだ)

 彼は差し出されているのが藁であっても掴み続けるしかなかった。

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