139 失われた世界

 都を出発してから数日。騎士団の一行はある村に宿泊していた。

 家屋が足りていないため、大部分の団員は野宿していたが、ファティや聖職者は家屋に泊まっていた。彼女自身は野宿で構わないと言ったのだが、トゥーハ村の村人はもちろん、この騎士団の団長からもそれは止められた、より正確には禁止された。

 こんなことはこれが初めてではない。この進軍を始めた時も最初にファティは徒歩、ないしは騎馬で同行するつもりだったが、懇願に近い形で駕籠に乗ることになった。

 クワイでは穢れた魔物を貴人に近づける、それどころか姿を見せることさえあってはならないのだ。例えマディールを受けた魔物であっても神聖な人物であればあるほど穢れには触れさせてはならないとされる。それが駕籠を使う主な理由であり、彼女が町中、村の中でほとんど魔物を見かけない理由でもある。

 本人は何一つそれらの事実に気づいてはいなかったが。

 しかし、進軍が駕籠の速度に合わせているため、自分のせいで進軍が遅れているくらいはおおよそ予想できていた。それは焦りとなり、不安が口を衝いて出るのは止むを得ないことだっただろう。


「アグルさん。このままの速度で間に合うんでしょうか?」

 部屋にはファティのほかにサリとアグルの二人がいた。サリは表情を固く、アグルは沈痛な面持ちで俯いていた。

「わかりません。ですが聖女様や都の司祭であらせられるカンツ様に駕籠から降りて頂くわけにはまいりません」

 カンツとはこの騎士団の団長であり、ルファイ家ではないものの、ルファイ家に近い家系ではあるようだった。

 この討伐はアグルらの信仰心を試す機会でもある。それゆえに都の司祭を駕籠から引きずり下ろしたと判断されてもおかしくない行動をするわけにはいかない。もしそんなことをすれば悪魔の首をとったかのようにアグルは再び糾弾されだろう。

「それじゃあ竜に襲われている人たちが、どうなるのかわからないじゃないですか!」

 声を荒げるファティに今度はサリから制止の声がかかった。

「聖女様。アグル様の御立場もお考え下さい。進軍を誰よりも急がれているのはアグル様です。アグル様は最善の行動をしておられます」

「そうですよね……ごめんなさいアグルさん。私、勝手なことばかり言って」

「いえ、すべては私の力の無さが原因です。聖女様に余計な心配をさせてしまって申し訳ありません」

 謝罪の言葉を述べ、明日への準備のためにアグルは部屋を去っていった。


「またアグルさんを困らせてしまったんでしょうか」

「そんなことはないわよファティ。あなたの人々を思う気持ちならアグルさんはもちろん他の方々にも伝わっているわ」

 サリはファティの銀髪を櫛で梳きながら話しかける。ここ最近の日課になっているファティとの時間だ。

 もしもこの光景を敬虔なセイノス教徒が見れば万金を払ってでもサリと立場を交代したいと希っただろう。

「そうだといいんですけど」

「ええ。もちろんよ。私たちはみんなあなたを信じているもの」

 聖母のような笑みを浮かべ、緩やかにファティを肯定するサリ。身を預けるファティ。

 その様はお互い気心のしれた姉妹のようだった。




 ようやく村についた騎士団を待ち受けていたのは予想を上回る凄惨な事実だった。

 御簾越しでさえ血と腐臭に混じって肉の焼ける臭いが漂っている。もちろん楽しく料理を行っているわけではない。

 ちらりと駕籠から外を覗いて確信した。この匂いは死体を焼く臭いだ。あまりにも多すぎる死者であるがゆえに一度に焼ききれず、いつまでたっても、煙とにおいが消えないのだ。その臭いにわずかに食欲をそそられたことに生理的な嫌悪感を抱き、吐き気すら感じたファティだったがかろうじて唾を飲み込んで動揺を鎮めた。

(こんなひどいことを……)

 彼女は心の底から誰も傷ついてほしくないと思っている。しかしながら現実は甘くない。

 傷つけられるものがいて、傷つける魔物がいる。だから、守るために剣を振るう。矛盾してはいることは自覚している。しかし他に替わりはいない。

 自分一人だけで戦うつもりはないとはいえ、自分が一番戦えることも事実だ。

(せめて……話だけでもできたら。私にただの力だけじゃなくて、魔物とも会話できる力があれば……こんなことを止めさせられるかもしれないのに)

「ファティ様」

 外から声をかけられてハッとする。

「何でしょうか」

「竜の痕跡を発見いたしました。そこまで駕籠をお運びいたします」

「駕籠に乗ったままで大丈夫ですか」

「もちろんです。聖女様を歩かせるくらいならば我らの足など折れてしまった方が良いでしょう」

「そんなことを言わないでください。皆さんの足は大事な宝物です」

「その御言葉だけで救われます」

 駕籠は再び動き出す。戦場へと向かって。


 森の奥に踏み入れる。

 トゥーハ村の森とそう変わらないはずの木々はしかし、拒絶に満ちていた。

 耳が痛くなるほどの静寂と時折茂みに紛れる赤はここが穏やかではない場所であることを確信させるのに十分だった。

 さらに灰色の鳥が上空で耳障りな声で鳴き、騎士団員の不安を煽っていた。

 その不安といつまでも敵が見えない焦燥を感じたのだろうか。団長であるカンツはこの場で演説を行うと宣言した。


 この時ばかりはカンツも駕籠から出た。御簾越しではいかな司祭と言えども声は届かない。

 彼女は声を張り上げ聖旗を振りかざした。無辜の民を弑した竜の蛮行を非難し、神の威光が偉大であるかを騎士団の隅々にまで浸透させた。その声は森の隅々にまで届いただろう。

 そして大声であるがゆえに、樹に潜む陰には全く気付くことがなかった。


 異変は外周部で起こった。

 祈りを捧げながらカンツの演説を拝聴していた騎士団員にどよめきが広がった。

 そのどよめきはカンツにとって不愉快だったらしく、呑気にも咎める声を発した。

「何事です! 騒がずに私の演説を聞き――」

「竜が現れたぞ!」

 ようやく現状を正しく認識した騎士団員の一人が警戒の声を上げた。

 その声に応じてカンツも鬨の声を上げ応戦を命じたが、いかに神の加護を受けてはいても、卑劣な奇襲を受けた騎士団は反撃の態勢が整っておらず甚大な損害を受けていた。


「聖女様! ご健在ですか!?」

 ファティの乗る駕籠に真っ先に駆け付けたのはやはりサリだった。駕籠は軍団の中央に配置されていたために幸運にも魔物に襲われてはいなかった。

「平気! でも、何が起こっているの!?」

「竜です! 奴らが奇襲を仕掛けてきました!」

 サリの言葉が終わるのを待たずに駕籠を飛び出す。しかし、もはや戦場は彼女でさえ一刀のもとに切り伏せられる状況ではなかった。

 混沌。

 その言葉が似つかわしいほどぐちゃぐちゃに見えた。

 <光剣>が煌めき、<光弾>が飛び散る。

 隊列など( 隊列も何も)あったものじゃない。

「これは、どうしたら……」

 ファティの魔法は強力だが、それゆえに乱戦では味方を巻き込む危険性から使いづらい。

「聖女様! 以前のように敵と我らを隔てることはできませんか!?」

「動いている人の間に<光盾>を張るのは、難しいの! どうしたら……」

 去年蟻と戦った時は自分が何をすべきかが理解できた。しかし今は何をすればいいのかわからず戸惑うばかりだ。

「ファティ! 無理に全ての敵と信徒を隔てる必要はありません! あなたの銀の神秘は必ずや皆を勇気づけ、敵の邪悪な意思を砕くでしょう!」

「……うん、やってみる!」

 自分自身にそんな力があるとは思えない。しかし――――

(私を信じてくれる人が、いるなら――――!)

 銀色の盾、いや壁が騎士団を囲むように現出する。それは確かに騎士団の士気を高めたが、竜はわずかに戸惑ったものの攻勢は衰えなかった。

 しかしすでに竜を分断する壁はそそり立っている。それゆえに後続が続かなくなった竜は徐々に押し返され始めた。

 だが何もせずに終わらせるつもりはなかったのだろう。ファティの元へと竜が殺到し始めた。

「っ!」

 思わず息を呑む。迫る竜は話に聞くよりも凶暴な姿をしていた。きちんとした古代生物を知っている人間から見ればいわゆる羽毛恐竜に似ていたが、彼女の知識とは一致しなかった。

「聖女様をお守りするのだ!」

 アグルが指揮を執り、ファティの前に人の壁を築く。

「アグルさん! 私なら大丈夫ですから――――」

「いえ、聖女様は壁の外を彷徨う竜を討伐してください!」

 一瞬躊躇する。もしも外にいる敵がこちらを攻撃していなければ――

 しかしそんな甘い期待は裏切られた。竜は先ほどよりも激しく壁に向かってその爪を打ち付けている。

 ここでもしあの敵を倒さなければ次は騎士団の面々を攻撃するだろう。いや、取り逃すだけでもアグルやトゥーハ村の村人の立場は怪しくなるかもしれない。

 ぐっと力を籠める。躊躇うことはできない。覚悟を決める。

 しかし乱戦の戦場を飛び越えて壁の外にいる敵を攻撃することは彼女には難しい。何故か彼女は<光弾>を撃てないので攻撃は全て<光剣>で行うことになり、位置取りの関係上、味方を巻き込まないのは難しい。

(ううん、私なら大丈夫!)

 今までとは違う方法で、剣を使う。外に張り続けている盾に意識を集中させる。

 何が起こったのか理解できたのは彼女ただ一人だ。まさか、銀色の盾から光の剣が飛び出すとは誰一人として予想できてはいなかっただろう。

 突如として針山のように飛び出した剣に、大部分の竜は考えるまでもなく絶命した。

 それからしばしの間竜はたむろしていたが、やがて森の奥に消えていき、残されたのは壁の内側に残っている竜だけになったがそれも数の力の前にやがて力尽きた。


「銀の聖女、ファティ殿。貴女は素晴らしい御方でした」

 都の司祭であるカンツがそこらの田舎娘であるファティに祈りを捧げる。クワイにおいてまっとうな神経の持ち主であれば卒倒しかねない奇妙な光景だったがこの場においてその行為を咎めようとする者はいない。

「いえ、私はみんなを守ろうとしただけです」

「何という慈愛に満ちた御心でしょうか! 祈りを捧げましょう。この戦いで楽園に旅立った勇敢な信徒の為に!」

「……はい」

 ファティは辺りを見回す。そこには死体、死体、死体。

 竜と彼女が守りたかった人たちの死体で埋まっていた。

(こんなはずじゃ、なかったのに……)

 今までにも死体を見たことがないわけではない。しかし、彼女が居合わせているにも拘らず味方が殺されたのはこれが初めてだった。改めて無力を痛感する。

 魔物との会話どころか味方さえ守れず、結局敵を殺しただけ。

(このままじゃダメなのはわかっているけど、どうすれば……)

 高らかに祈りを捧げるカンツの傍らでひそかに沈んだ顔をうかべ続けていた。


 戦闘が終わり、すでにファティやカンツが近くの村に戻ってから死体の火葬や、後片付けをしているアグルは覚悟を新たにしていた。

(やはり都の連中は民草をなんとも思っていない。あんな無能が司祭になれるのがいい証拠だ)

 まず駕籠によって進軍の速度が下がること。なによりもこんな森の中で演説をぶち上げるなど頭がおかしいとしか思えない。

 あんな大声で叫べば魔物が寄って来るに決まっているし、見張りさえ置かないのはもはや狂気の沙汰としか思えない。

 ただしティマチに比べるとましな部分もある。食料などの手配や村人への折衝はそつがないと感じていた。それはアグルを始めとする部下の管理ができていることの証拠だ。

(要は前線に立つべきではないのだあの女は。魔物と戦うことを他に任せて後方で差配するべき能力だ)

 それはつまり戦術と戦略の違いに近い。カンツは大局を動かす能力には不足していなかったが戦場での指揮能力には欠けていた。このクワイでは前近代の地球と比べて戦術や戦略を構築する能力が不足しており、戦場での得手不得手をきちんと認識した役職や効率的な人材の配置について体系だった知識がなかった。あるいは意図的に発達させなかったのか。

 それを誰に教えられたわけでもなくおおよそ理解しているアグルは稀有な才能を有しているのかもしれない。

(あの銀髪も助けたい気持ちだけでどうやって助けるのか、手段を考える頭がない。だからこそ御しやすいとも言えるが)

 アグルは今回も糧食の管理という大役を担っていたが、その苦労を理解している人間がどれほどいたか不安を感じている。

 少なくともファティは理解できていないと考えてはいるが。

(奴らからの提案……受けるべきか否か……悩ましいな)

 夕焼けは高い木の陰から零れ落ちただけだった。

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