141 エンドウの色
一言で言えば、殲滅だった。
悲鳴が飛び交い、血しぶきが舞う。
心優しい人々ならこの世の地獄。しかしサバイバルを生き抜く魔物にとってはごく普通の日常風景。
屠られているのは蟻。しかし屠っているのもまた、蟻。蟻同士の戦争。だが力の差は誰が判断するまでもなく、一方的だった。
片方は武器を持たずにただ噛みつき、しかし片方は多勢であり、さらには弓矢を持ち、さらには蟻以外の魔物とも共闘しているのだから結果は当然だっただろう。
「殲滅戦はいいな。何がいいって、味方が死なないのがいい」
感覚共有越しに広がる光景をみて、ぽつりとつぶやく。きっと殲滅戦や掃討戦が好きな奴は仲間が大事に違いない。
同士討ちをしているわけじゃない。敵対的な蟻を殲滅しているだけだ。最初からこうするつもりじゃなかった。
嘘をついたり、マッチポンプをしてみたけど、どうにもうまくいかなかった。明らかにこちらを攻撃する意図を捨てないと判断したために、巣の場所を捜索させ、包囲殲滅に持ち込んだ。
一匹たりとも逃がすつもりはない。以前の経験から蟻に時間を与えるとどんどんこちらの戦法や武器を学んで、強くなってしまう。
だから一撃で決める。
幸い敵の規模は大きくなかったので、それほど苦労はしなかった。それでも百匹以上の敵はいたので、苦戦するかと思ったけど、こちらの被害は少なく、敵をきちんと殺すことができた。
戦いってのはやっぱり一方的なくらいでちょうどいいよ。強敵とのぎりぎりの戦いを楽しむのはスポーツかゲームの中で十分だ。
実は蟻を取り込むことに失敗したのは初めてじゃない。オレの出生地から離れるほど失敗することが増えた。
地球の蟻はフェロモンなどの臭いによって敵味方を識別しているらしいけど、魔物であるこの世界の蟻はそれらに加えて敵味方をテレパシーによって識別しているらしい。方言や訛りに香りや色がついているようなもんだ。
同じ巣で育った蟻と別の巣で育った蟻が会話するとかなり喧嘩腰になるのはこの性質が関わっている。不愉快というかイライラするというか、本能的に相容れない。これは出身地や血縁によって変わるみたいだ。
つまりオレが移動すればするほど、他の蟻と戦わなければならなくなる危険は増える。
そういうわけで現在絶賛掃討中。でもまだ孵化していない卵は回収できたからそいつらを教育すれば労働力ゲットだ。恐ろしいことに同じようなことする蟻、地球にもいるんだよな。
これで血縁が遠くても部下にできるかどうかの実験にもなって一石二鳥。無理だったらさくっとやるしかないかな。
個人的には生まれよりも育ちの方が人格の形成には大事だと思うがさて。だからこそオレたちの子供の教育も忘れてはいない。
それでは明日の為に我らが子供の教育を開始しよう。久しぶりに学校の開催だ。
千尋と誠也は卒業したので新しく、女王蜘蛛と女王蟻の子供を教育開始だ。
ま、今回は実地研修っていうか、仕事の手伝いをしてもらうからアルバイトみたいなもんかな。その前に、一応こいつらにも名前つけるか。
学校の参加者には名前つけた方が管理しやすいし。
「蜘蛛のお前は、紗香。三号は寧々」
「紗香。どういう意味~?」
「香り高いとかそんな感じ。寧々は丁寧の寧から。細やかとか雑じゃないとかそういうイメージ」
「わかりました」
寧々はなぜか敬語で話すんだよな。なんでだろ。
二人ともこの春生まれたばっかで、女王蜘蛛は今のところ千尋とこいつだけ。蜘蛛のリーダーを代行できる人材が必要だから、こいつは消去法的に教育しなくちゃいけない。
三号は前に鉱山探索を命令していた奴。こいつは他の女王蟻に比べて、地味な作業を率先して行う。他の奴は命令されなければなかなか作業しないけど、こまごまとした作業を気に入っているふしがある。これからやる作業にはぴったりだ。……蟻に個性があるなんて去年じゃ思いつきすらしなかったかもな。注意すれば、見えてくることもある。
今からやるのは渋リンの品種改良だ。ジャガオも並行して実行するけど、メインは渋リン。遺伝子組み換えみたいにハイテクな方法じゃなくて歴史ある地道な方法だけど。
ひとまず渋くない渋リンを作る、つまり渋リンをリンゴにするのがひとまずの目標かな。
リンゴの品種改良は主に二種類。
一つは枝変わり。
リンゴに限らず植物は枝などが一部分だけ突然変異することがある。その変異が有用な性質だった場合、変異した部分を接ぎ木などで増やす。
前に説明したようにリンゴは接ぎ木しやすい作物だから、枝変わりによって生まれた品種は結構多い。ただしこれはかなり運に左右されるので今回はやらない、というか人為的に行うのは難しい。魔物の成長速度の速さを考えれば突然変異が起こりうる可能性は決して低くないと思うけどね。
で、二つ目はかけ合わせ。交配ともいう。要はおしべの花粉をめしべにつける。
似たような作業は去年もやったけど、今年は狙った株を交配させる。そのため母親にしたい樹の花のめしべを取らないといけない。
で、この作業がさあ、めちゃくちゃしんどい、あーんどやっっっったら地道。農業って大体地道だけどさ。
花から花粉をお箸みたいなもので取ってめしべにくっつける。精密な作業な上に一個一個時間がかかる。精密作業なのでガラスを使って虫メガネを作れてよかったよ。
寧々が指揮する一団は地道な作業をコツコツ黙々と行っている。
紗香は糸を器用に扱って道具無しで作業している。多分効率はこいつらの方がいい。問題なのは……蜘蛛がこの作業に向いてないこと。
「紗香さん。早く働いてください」
「え~。もうちょっと休もうよ~。もぐもぐ」
「時間がありません。さあ今日中にノルマを達成しますよ」
「も~、寧々ちゃんそんなに急がなくても大丈夫だよ~」
だいたいこんな感じ。蜘蛛はどうも狩り以外の行動において集中力が持続しない。特にこの紗香はマイペースだ。時間にルーズ、社会人としては致命的な欠陥でもある。
でも反対に寧々は時間に厳しく、まじめ。……つーかまじめすぎ。
では正反対の二人を一緒にすることでお互いを反面教師にならないだろうか。素人の浅知恵だけどな。
蟻も蜘蛛も真社会性の生物だ。人間に比べれば個性はあるものの薄い。それとも自我が確固としていないのか? 確かな個性と呼べる何かを獲得したのは多分、小春と千尋だけだ。嘘を操る能力を理解しつつあったのは多分小春だけ。
あの二人の共通点はやはり学校だろう。
知識を増やすこと、そして他種族との交流。それこそが個性、あるいはエゴを獲得するきっかけになるんじゃないだろうか。日本じゃ協調性を身に着ける場である学校でエゴを獲得するっていうのも皮肉かもね。
これからのことを考えるとオレ以外にも嘘をつける蟻は必要だ。そのための実験でもある。
ただそれはやっぱり諸刃の剣でもある。嘘を吐けるなら、オレを裏切る可能性もきっとゼロではない。それが怖い。前から飛んで来る矢は防げても、後ろから突き刺さる槍は防げない。
自我を持たせつつ、オレに服従させる。矛盾してるよなあ。
オレを好くようにするっていう基本方針は変わらないけどさ。
とと、話題が逸れたな。
ちゃんと交配できてからが本番。ここからは育種学のお話で、みんな大好きメンデルさんのお話だ。
優性の法則、分離の法則、独立の法則だ。
おっと今は顕性の法則だったな。
メンデルさんのdominanceを優性と訳した奴は一度エンドウ豆に埋もれて窒息したほうがいい。言葉は正しく用いなければ誤解される、あるいはわざと誤用する奴が出てくる。これはまさにその典型例。
しかし、現在ではこの言葉は使われていない。
顕性、潜性という言葉に置き換えるように日本遺伝学会が推奨しているとか。やるじゃん遺伝学会。
詳しく解説するとガチで本が書けるので結果だけ説明すると交配させた植物を三代目まで育てて望ましい性質が出たものを更に掛け合わせる。
これの繰り返し。まあわかるだろうけど、これアホほど時間がかかるし、膨大なデータがいる。
データについては海老とカミキリスのおかげでちゃんと紙ができたし、筆なども作れたから記録は取れる。去年みたいに石板でやってたら重みだけで巣がつぶれただろうな。まじ感謝。
地球では一つ新しい品種を作るには少なく見積もっても十年。野生種に近いとすれば千年かかったとしても何一つ不思議じゃない。
だが、それはあくまでも地球の植物の話。ここは異世界、魔物がいる。しかも途轍もなく成長が早い魔物だ。
今までの経験上、魔物の成長速度は地球の生物の数倍から十倍以上。
数百年分ショートカットできる可能性はある。上手くやればとんでもハイパー農作物とかができるかもしれない。後は間に合うかどうかだ。
何にか。あの銀髪に子供ができるまで、だ。
遺伝子は絶対ではないけど、確実に引き継がれる。もしもあの銀髪の力が子供に受け継がれたとしたら? あれと同じ強さのヒトモドキが十人いれば、それこそ戦闘機か戦車が大量にないと勝てない。
十年やそこらでそこまでの戦力を整えられる自信はない。だから、殺すなら今の内だ。食い物を増やして味方を増やして武器を整える。それが一番確実だ。
あれが生きているうちはおちおち安心して隠遁生活もできない。魔物殺し大好きのヒトモドキだからな。向こうは絶対に放っておいてはくれないだろう。銀髪本人はどういうやつかは知らんけど世の中には個人の性格なんぞ関係なしに進行する必然がある。ま、いやいややっているようには見えなかったけどな。
というか別にオレはそんな大それたことを願ってるつもりはないんだけどなあ。
命の危険がない、そこそこいい暮らしができればそれでいい。
……いや、それは過ぎた願いかな。誰もが生き残るために必死で戦っている。だから、殺し合うのはしょうがないし、安全に暮らすためには持てる力の全てを出さなければならない。それを非難する権利はきっと誰にもない。
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