30 嵐の前に
季節は夏。じりじりと照りつける太陽はトゥーハ村の人々の意気を奪っただろう。例年ならば。
村人の顔に疲労はなく、厳しい農作業も笑顔を湛えたままこなすことができる。銀髪の赤子は村人の心を夏の太陽よりも明るく照らしていたのだ。そしてそれは精神だけでなく実利の面においても村を豊かにすることとなった。
「ああ、トラム、アグル。ファティの様子はいかがです?」
村長宅に呼ばれた二人を待っていたのは満面の笑みを浮かべた母だった。
「おかげさまで何の問題もありません」
実の親子であるにも拘わらず固い返答はお互いの心の距離を雄弁に語っており、そしてトラムとアグルは十分すぎるほど知っている。彼女がこういう表情を浮かべている時こそ気を配るべきなのだと。
「それはよかった。こちらにも良い知らせがあります」
「何でしょうか」
「教皇の御子に奉ずる土地の開墾は我々の村で行うことが決定しました」
やはりか。先日教皇に御子が産まれたことと、都から巡察使などが派遣されたことは何か関わりがあるのではないかと思っていた。
高い身分の家に子が産まれた時、その子に贈り物を贈ることがある。大抵装飾品や絵画の類だが、教皇の御子ともなると土地や森を贈ることもあるらしい。もっとも土地を贈られた当人は一度としてその場所を訪れないだろうが。
あるいは最近都で流行っていた病が治まったという噂と関りがあるのかもしれない。
とはいえ貴人の土地を開墾するともなればこの村はかなり優遇されることは疑いようがなく、この村の誰にとっても悪い話ではない。問題は何故この村が選ばれたのかだ。
母がファティの銀髪がどれほどの奇跡かを熱心に巡察使へ説いていたかを考えれば今回の開墾も相当な無理を通して奪い取ったことは容易に想像がつく。
「開墾に際し、騎士団の護衛はつきますか?」
「もちろんです」
森を開けば魔物に襲われることになる。セイノス教徒にとって魔物との闘いは名誉だが無謀な戦いは行えない。その辺りは抜け目がないか。
「あなたには森の調査を行ってもらいます。聞き間違いでしょうがアレの遠吠えを聞いたという話も聞きます。調査隊を結成し――」
「いえ、調査には私とアグルで赴きます」
下手に大勢で森に入るよりも二人の方が動きやすい。この村で生まれ育った彼らにとってこの森は庭のようなものだ。
だが庭に蟻や蜘蛛の巣ができたとしても気に留めないのが人間という生き物でもあるが。
「わかりました。では準備を進めなさい」
村長の家から出たトラムは最も信頼する弟と声を潜めて相談する。
「母さんはまだ都に戻るつもりだと思うか?」
「そうじゃないかな。過去の栄光に縋ってる人だから」
「思えば哀れな人だな」
母は昔将来を嘱望されていたが些細な失敗がきっかけで出世の道が閉ざされ、田舎村の村長へと左遷させられた。……らしい。真相はわからない。
それゆえ自分の子供を厳しくしつけ、出世させることで都へ戻る足掛かりにさせる算段だった。だが彼らはもはや出世など望めない。だからこそ孫を利用するつもりなのだ。
母の境遇には同情する。だがそのために子どころか孫まで道具のように扱うことなど許されるはずがない。
「何としてもファティを母に渡すわけにはいかない」
「もちろんだよ兄さん」
おお神よ。我が母を疑うことしかできない私をお許しください。けれどもファティだけは母に渡すわけにはいかないのです。
薄暗い部屋の中でコンソールに指を踊らせる人物こそ、誰あろう百舌鳥である。部下は信用できない……のではなく多忙であるため連日連夜たった一人で五人目の転生者を探していた。
裁定を行っていない転生者を見つけるなどまさしく大海に落ちた針を探すが如く難行だったが、つい先ほど正確な所在を掴んだ。
「ちっ、五人目の奴虫に転生したのか。しかも順調に勢力を拡大しているようだな」
強力な生命体に転生しなかったことは喜ばしいが未だ生きているとは驚きだ。
「よっぽど運がいいらしいな。あの世界で生きていくにはかなりの能力が必要だと思ったが……」
それはすなわち何の能力も与えられなかった転生者がどうなるのかおおよそ見当がついての
例えば棚に並べてある商品のすべての行く末を知るものがいるだろうか。道端に根付いた雑草がどこから来たか知るものがいるだろうか。百舌鳥にとって転生者とはその程度の存在である。
故にそんなものが自分自身の機嫌を損ねるなどあってはならないし、ましてやキャリアに傷をつけるなど想像すらしていなかった。
残念ながら直接五人目の転生者を害することはできない。直接は。
「いざという時はあれをぶつければいいがまだ時間がかかる。他に何か使えそうなものは……いいものがあるな」
あれの住む森に面白いものを発見した。上手くいけば転生者たちに力を与えずにすむ。貴重な自分の財産――ではなく天界の資源を使う必要はなくなる。
一人暗い部屋で笑みまぐ百舌鳥は自分の地位が揺らがぬことを確信していた。
嵐は彼らのすぐ近くまで迫っていた。
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