20 森のしじま

 次の日。見事なまでに晴れ。感覚共有で外の様子を確認すると、暑い! 蒸し暑い! これぞ日本の夏! ……日本じゃないはずだよな?いやここが1000年後の日本である可能性はゼロじゃないか。そんなことを言い出すときりがないのでこの話題は一旦保留。どっちみちオレ自身は地下にいるからかなり涼しい。

 蟻の巣万歳!

 落ち着いたところで集落に行ってみよう。その前にこの辺りの地理を確認するべきだな。


 まずオレたちの巣から見て東には巨大な山がある。南に向かえば川にぶつかり、川沿いに西へ行けば橋が架かっている。そのままさらに西へ行けば海にたどり着く可能性もあるが、今、そんな余裕はない。集落があるなら多分橋から南か南西だろう。

山の奥深くに入っていくのは村造りとして不自然だし、西にまっすぐ進むと、魔物に襲われやすい気がする。やっぱり川、正確には水があるところに生物は集まるはずだ。もちろん魔物に襲われても問題ないほどの戦力があれば話は別だが。

 偵察に向かわせるのは3人の蟻だ。最悪全滅しても被害が少ないように、よぼよぼのじいさん蟻、若蟻、ベテラン蟻を1チームとした。当然ながらベテラン蟻を生きて帰らせることが最優先。他二人は囮になることも視野に入れている。えっひどい?卑劣?ははは何を仰る。蟻にとってはたいして珍しくない行為だ。地球でも老いた蟻は危険な役割に就くことが多いらしい。年金をはじめとする老後保障など蟻にはないのだ。




 多くの人が御存知だろうが、蟻の生態の一つに列を作って行進する、というものがある。規律すら感じられる黒い行進は人々に「蟻は勤勉な動物である」という認識をもたらした一因だろう。

ではどのようにして蟻たちは列を作っているのか。その解答の一つはフェロモンだ。エサを見つけると蟻はフェロモンを出しながら巣に戻る。そのフェロモンは時間がたてば揮発するが、完全に消える前に別の蟻がフェロモンを辿ってエサを見つければフェロモンは上塗りされる。

後はこの繰り返しだ。そんな単純なルールで、いや単純だからこそ整然とした行動を行うことができるのだろう。当然知性を持った蟻であるこいつらにもその能力は複雑化した状態で備わっている。その気になれば目を閉じたまま橋の手前に辿り着くことすらできただろう。

 本来なら。


 雨の影響なのか時間がたったからなのか、フェロモンが消えてしまったようだ。しかし! それでも道案内は可能だ。

 こいつらは人間からすると異常なほど距離を把握する能力が高い。例えば駅まで徒歩5分、車で20分など、現代人は距離を時間に換算しなければ実感できない。しかし蟻たちは脳内で距離を把握できる。

 一説によると蟻は地形や道のりを体が覚えているらしい。この世界の蟻は目的地を思い描けばそこへ行くまで体が勝手に動き出すように歩くことができる。

 そして紫外線を感知する能力でもあるのか太陽の位置を暗い森の中であっても容易に把握できる。いわゆる太陽コンパスと言うやつだ。

 さらにオレは既に蟻たちに数字と言う概念を教えてある。これによりどの方角へ何歩歩けばいいかすでに判明している。

 フェロモンや太陽コンパスそして距離の把握。機械で例えるなら方位磁石カメラつき自動マッピング歩行型ドローンってところか。超優秀じゃないか。

 この探知能力と蟻たちの地形把握能力は本当に使える。最大射程がどの程度かはわからないとはいえ地図の作成もできるだろう。日本中を歩き回った伊能忠敬さんに申し訳ない。

 そして女王蟻の通信能力があればこれらの情報をすぐに他の個体へと伝達できる。今なら複数の個体と感覚共有することすらできる。

 人間だったころのオレにそんな並列処理能力はなかったからこれは多分女王蟻の能力だろうな。





「そっちに反応がある。何かいるか?」

 順調に進んでいた蟻たちの先に魔物がいるのを探知能力で発見した。いわゆるRPGのランダムエンカウントと現実の戦いの違いは、魔物を先に発見すれば避ける、奇襲する等の選択肢が豊富だということ。というか不意打ちが成功すれば多少実力差のある相手でも十分に勝利できる。蟷螂がトカゲをあっさり倒したのがいい例だ。その意味でもこの探知能力は「強い」と言える。魔物によって探知のしやすさに差があるのが弱点だけど今回は割と探知しやすい魔物だったらしい。

「動物はいないよ」

 動物はいない。なら植物か? 少し先にあるのは巨大な草。推定5メートル弱。青々とした茎と葉、てっぺんにいくつか白い花が咲いており小さな蝶が蜜を求めていた。擬態した蟷螂でもない限り植物の魔物だろう。……巨大化しているが、これの正体は予想がつく。ただ根本を掘らなければ意味がない。今は偵察を優先するべきだ。


「ん? またか。魔物がいるぞ」

 恐らく蟻から100m近く離れた場所でも探知できた。流石に相手がどんな魔物かはわからない。

「紫水。これ見て」

 蟻が指差したのは木と木の間に張られた1本の糸。普通に考えればそこにいる魔物が設置した可能性が高い。

「その糸を回収してくれ。ただし今から言う方角には絶対に近づくな」

 十中八九この糸を張ったのはあの生物だろう。もちろん今喧嘩を売るわけにはいかない。だが糸は今最も欲しいものの一つ。調べなくてはならない。糸の性能が良ければまた色々と「対応策」を練らないと。


 ただ橋まで行くのに結構苦労しているな。前回はかなり運がよかったんだろう。少しの油断が命取りだ。でもやっぱりこう……違和感がある。なんだこれ。暑さのせいなのか?それとも感覚共有でしか外の世界を見ていないせいか?変な音や匂いがするわけじゃない。音?

「違う。逆だ。音がしないんだ」

 気づいてみればなんてことはない。ここには音がない。日本の夏、それもこんな森の中には必ずあるはずの音がない。

「蝉がいないんだ。この世界には」

 日本では夏になればあのやかましい音を必ず耳にする。漫画でもミーンミーンという擬音だけで季節を演出する小道具になる。日本人にとって蝉はいて役に立つわけではないけど、当然のようにいるものだ。尋ねてみるか。

「蝉、ミンミン鳴く虫って知ってるか?」

「わからない」

 少なくとも蟻は知らないらしい。絶滅したのかもしれないし、そもそも存在すらしなかったのかもしれない。もちろんこの世界のどこにも蝉がいないわけじゃないかもしれないし、ただ単に時期を外しているだけかもしれない。けど、今ここに蝉はいない。こんなことで今更ここが別世界だと感じるなんて。前世の感覚や常識は思った以上にこの体に残っているな。


 ちょっと手間取ったけど前回の橋付近に到着。おもったより川の水が増えてるな。まあ橋があるからそんなものは関係ない。

「紫水。橋ないよ」

 ワッツ?

「すまん。もう一度言ってくれるか?」

「橋が見当たらない」

 え、なんでないの。まさか増水したせいで流された? いやそこまで急な流れじゃないぞ。なら魔物に壊された? ありえるな。ヤシガニなら「なんやこのうっとおしい木ぃは」とか言ってぶっ壊しそうな気がする。やばいどうしよう。この展開は全く予想してなかった。その気になれば魔法で土の橋くらい作れる。だが時間が足りない、そして何より近くに蟻が住んでいますと言っているようなものだ。友好的かどうかわからない以上それは避けたい。なら手段は一つだけだ。

「お前ら泳げるか?」

「うん」

 あっさりと肯定された。ちなみに蟻の中には蟻同士の体を繋げて筏のように川を渡る種類もいるとか。そう考えれば蟻が泳げることはそれほどおかしくはない。増水した川だと足がつかないかもしれない以上泳ぐしかないだろう。はっきり言って危険だ。

「じゃあ。一番若い奴がまず泳げ。それを見てから判断する」

 まず一人泳がせて、だめならさっさと撤退しよう。土の鎧を脱いでから、若いのがゆっくりと川に入り、水底を歩いていく。人間だと膝のあたりまで川に浸かればまともに動けなくなるという話を聞いたことがある。かなり苦労するのでは?そう思っていたが杞憂だったらしい。蟻の脚力がすごいのか見た目ほど流れが急ではないのかすいすい進んでいく。そろそろ足がつかなくなる。おお、泳ぎだした。犬かきに近い泳ぎ方で危なげなく……あれ?

 探知できないぞ?感覚共有もできない?集中してみたがやはりだめ。

「おい! 返事しろ! 他の魔物に襲われたのか!?」

「なに? 紫水」

「あ、いやお前たちじゃなくてだな。それより若いのは今どうなってる?」

「泳いでるよ」

「へ? あ、ホントだ」

 よく見れば若い蟻は何事もなく泳いでいる。

 ??? なんで探知能力が使えなくなったんだ? あれこれ考えているうちにいつの間にかまた若いのは探知できるようになっていた。あくまでも一時的なトラブルだったらしい。

 2人目,3人目の蟻も川を泳ぎ始めると探知もテレパシーもできなくなった。これは単なる偶然とは考えられない。仮説だが……オレの魔法は対象が地面に触れていない時は作用しないんじゃないか? ジャンプするだけならほとんど一瞬だから気にならないかもしれないが、泳ぐ場合数秒間は地面から足が離れる。そのせいで探知できなかったのか?


 木の上にいる魔物は探知できていたはずだけど……。水に触れるのがダメなのか? いや多分違う。前に襲ってきた鳥も探知できなかった気がする。急な出来事だったから気付かなかっただけだと思っていたけど。空中の敵も探知できないのかもしれない。

 ううむ。オレの魔法の弱点が意外なところで見つかったな。でも蟻の魔法が土を動かす魔法だと考えるとオレの魔法も何らかの形で土と関りがあるのはおかしくない。気に留めておこう。




 蒸し暑い、けれど静かな森を3人の蟻がゆっくりと歩く。道と呼べるほど確かではないけれど、わずかに通りやすい木々の隙間がある。つまりここを通っている生物が確かにいる。ぽつりぽつりと整備されていると思わしき木が増え始め、遂に、木々が途切れた。

「到着したか」

 目の前に広がっていたのはごくごくのどかな――とは言い難い柵や香り袋に囲まれた物騒な村だった。

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