18 晴耕雨刻

 いつも通り目を覚まして食事を摂ろうとしたが、様子がおかしい。いつもより蟻の数が多いし何人かは眠っている。


「何かあったのか?」


「雨が降ってる」


 ありゃま。地下にいるとほとんど音が聞こえないからわからなかった。どうも結構降っているらしい。嫌な天気、と思うのは無しにしよう。水は貴重な資源だ。タイミングは悪かったけどそんな日もあるさ。


 農作業の大部分は雨が降っていると難しいらしく、今働いているのは貯水池なんかを整えている蟻だけだ。言い換えれば暇な蟻が多いってこと。


「今日の偵察は中止。その代わりやりたいことがあるから5人くらいこっちにこい」


 蟻たちを連れて向かうのは空き部屋。恐らくはオレの妹弟のために用意された部屋だ。








「んー。もうちょっと薄くできるか?」


「わかった」


 並べられたのは5枚の板。何がしたいのかって? 字を書くつもりだ。オレの記憶力はそこまで良いものじゃないから農業や魔物についての情報をきちんと記録しておかなければならない。紙を作るのは、今はまだ難しい。なら石板を作るしかない。人類が最初に産み出した記録装置だ。個人的な日記みたいなものも作るつもりだから何千年か後に見つかって人類、いや昆虫最古の日記なんて呼ばれるかもな!




 さて実際にどうやって作るかだが、そう難しいことじゃない。石の板を指でひっかき、その部分を蟻の魔法で窪ませていく。これなら蟻たちが文字という概念を理解していなくても問題ない。蟻の魔法は動きが鈍いから文字を書く速度は遅いけど石に文字を彫るよりよっぽど早い。




 石板に必死で文字を彫っていた古代ウルクの人たちごめんなさい。オレめっちゃくちゃ楽してます。しかもだんだん蟻たちが慣れてきたみたいでどんどんスピードが上がっています。こういうだんだん効率が良くなっていく過程はやっていて楽しいよな。


「紫水。これ何?」


 最近は蟻たちも名前で呼んでくる。役職でも女王ではなく王と呼ぶように言っておいた。やっぱり「女」という呼び名は違和感が強い。


「これは文字だ。言葉を目に見えるようにしたものって言えばわかるか」


 やはり興味があるらしい。そのうち文字も教えてみようか。というか数字より先に文字を教えるべきだったかな?




 ではまず農業について。渋リンの収穫量や品質が著しく悪かった樹の原因について書いておくか。虫に食われたものが多く、葉に斑点ができた樹もあったな。多分斑点落葉病だと思う。知識でしか知らないから断言はできないけど。一番手っ取り早い解決方法は農薬を散布すること。ねぇよそんな上等なもん。除虫菊でも探すか?




 それと袋掛けもしてないんだよな。果樹には果実に袋を掛けることで病害虫を予防できるものがあるが、そもそも袋というものが存在しないからそんなことができるわけがない。来年以後の課題だな。ほかに必要なのは剪定かな? 不要な枝を剪定すれば日光が通りやすくなって病気になりにくくなるはず。


 これは幼木に行うことかもしれないけど、収穫しやすいように枝を低くする。錘をつけたり糸で縛ったりして枝が伸びる方向をコントロールしなければならない。


 農家さんはこんなことをあっさりこなしてるんだよな。まじでしんどいぞこれ。なにから始めれば正解なのか、そもそも正解があるのかどうかすらさっぱりわからない。少しくらい実際の農業経験も積んでおくべきだったか。異世界まで来て生産者のありがたみを実感することになるとはな。




 魔物についてはゲームっぽくステータスとか表示したいよな。ぱっと見てわかりやすくするためには数字よりアルファベット表記かな。攻撃、防御、スピードいや敏捷かな。2文字で統一したほうがわかりやすそうだ。ちょっとワクワクしてきた。数の多さや知性も書いておきたい。食性も大事だ。肉食か草食かは生物の危険性を判断するのには重要だ。


 そしてやはり魔法の性能と性質だ。魔法の主な性質は以下の通りだと推測される。




 魔法の威力は体内のエネルギーによって決定する


 使いすぎると疲労する


 地球の生物の特徴的な性質と類似している


 魔法を使うと発光しその光は体内の宝石と同じ色をしている




 3については異論もあるかもしれない。トカゲや渋リンの魔法はどう説明するのか、と。だがこれも少し考えればわかることだ。


 トカゲの魔法は対象をくっつける魔法だ。そして地球のトカゲには壁に張り付く能力がある。これは足の裏の毛と壁面にファンデルワールス力という物質を引き合う力が発生するためだ。この力を影が伸びた部分に発生させていると思えばいい。


 では渋リンは? こっちはもっと単純だ。リンゴはバラ科だ。もうお分かりだろう。リンゴには棘がある種類がある。その棘が土の棘をつくる能力になった。そういうことだろう。


 じゃあオレの正確には女王蟻のテレパシー能力は一体何だろうか。正直に言うとよくわからない。蟻たちの話からするとオレだけの能力ってわけでもないみたいだし。なんでもいいから物凄く強い能力欲しかったけど現実は甘くないか。生きているだけでも儲けものだよな。




 地上ではいまだ雨が降り続いているが地下は穏やかな静寂に包まれている。音と言えば指で石板をひっかく音くらいだろう。これぞまさに晴耕雨読。実に知的な生活だ。


「紫水、まだやる?」


「んー。ひと段落したからちょっと休むか」


 せっかくだから何か遊びらしいことをしてみたい。ずっと働き詰めだったし。知的生命体には娯楽が必要なんだ。雨が降ってるんだから水には困らない。




 水と言えば……………………風呂とか。






 いやいやオレは一体何を考えてるんだ?風呂なんて別にいらないだろ。他に必要なものはいくらでもあるし、人間だったころはシャワーでさっとすませただろ。なんで今更ゆっくりお風呂につかりたいなんて思ってんだ? すーはーすーはー。




 よし落ち着こう。オレは勝機だ。間違えた。オレは正気だ!








 数時間後。そこには風呂に入っている蟻の姿が!!!!

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