第6話 約束の夜

 村の外れの出入り口についた時、叔父さんはもうそこにいた。厚手のマントを羽織り、フードをかぶっている。腰には短刀を挿しており、去年までのジャーナリストの風貌と変わって今日は傭兵のようだ。




「叔父さん!」




 キーオーが彼を呼ぶと、叔父さんは人差し指を口の前で立てた。静かにしろのサインだった。今日の叔父さんはやけに張りつめている。




「兄さんたちに別れの挨拶をしてきたか?」


「ううん。セイルにだけ」


「そうか。キーオー、旅立つ前に話したいことがある。ここでは目立つから、少し先にある森の中まで歩こう」




 いつもとは違う叔父さんの雰囲気にキーオーは違和感を覚えた。まるで何かに追われているようだ。


畑のあぜ道を抜け森の中までくると、叔父さんはキーオーを連れて道から外れ、森の深く開けた場所に出た。


 叔父さんはそこで麻の手提げ鞄から、青く輝く宝石を取り出した。はじめて見たその美しさにキーオーは不思議な感覚を覚えた。美しく深海のように青く澄みきっているこの石に、命を与えたり奪い取ったりできる力があるような気がした。




「キーオー、これは何だと思う?」


「石? それも宝石だよね?」


「そうだ。とても高価な宝石だ。そこでキーオーに一つ頼みたいことがある。この石をジーク王国のフクロー女王に届けてほしいんだ」


「フクロー女王に? 俺一人で?」




 叔父さんは青い宝石を2枚の布切れで包み、麻袋に入れてからキーオーのザックに押し込んだ。




「ああ。大丈夫、話はつけてある。私と彼女は古い付き合いでな」


「叔父さんは?」


「悪いがキーオー、しばらく一緒に旅はできそうにない。宝石を届けたら、半月後にジークの古都ベルローラの先代女王像の前で落ち合おう。俺は一度、ラザール帝国へ戻る」


「ラザールに戻るって。叔父さん、連邦と何かあったの?」


「詳しくは言えないが、俺がラザールに戻らないとアムチャットが危険にさらされる。ジークにはこのまま街道を北に進めば国境にたどり着くはずだ。一応、地図も渡しておく」




 叔父さんの慌てている姿にキーオーは気が気ではなかった。




「ねえ、叔父さん。ちゃんと話してよ。いったい何があったの?」


「昨日、私の友人が殺された。連邦領イャス共和国のジャーナリストだった男だ。オルゴ川の上流で連邦の特捜部に捕まって、その場で処刑された。彼はある重大な事件に、私が関わっていると知る唯一の人物だった。おそらく特捜部の連中は彼から私のことを聞きだしたはずだ。じきに奴らが私を追ってくる。奴らの狙いは私だけだ。お前やアムチャットの人々を巻き込むわけにはいかない」




 キーオーは叔父さんの言葉をしっかりと飲み込むことができなかった。期待に満ち溢れていたはずの旅立ちの夜。まさか叔父さんと別れて一人でアムチャットを発つことになろうとは、思いもしなかった。




「もう行け。私のことは心配するな。必ず生きてまた会おう」


「叔父さん、やっぱり無理だ、俺には」




 キーオーがそう言いかけた時、雷鳴が轟いた。そしてすぐに大粒の雨が降ってくる。昨日に続き、今日も豪雨になるようだった。キーオーはもう後には引き返せなくなっていた。


 雷雨のなかで空を見ていた叔父さんは、キーオーに向かって叫んだ。




「キーオー、その石だけは絶対に誰にも渡すな! それにはとてつもない……」




 その時、物凄い爆音が響いた。しかしその音は雷ではなかった。そして何故か一時の間、雨が降り止んだ。




「まずい!!」




 再び雨が降り始めた時、叔父さんはもう駆け出していた。優しい叔父さんの目つきが変わり、腰の短剣を抜いてアムチャットの方角へと走り去っていった。




「叔父さん!!」




 キーオーは何がなんだか分からないまま叔父さんを追いかけた。叔父さんは時々振り返りながら




「ついて来るな」




と言っていたが、雷鳴にかき消されてその声はキーオーに届かない。次の瞬間、大地が大きく揺れ、キーオーは水たまりの中に倒れこんだ。叔父さんの後ろ姿がすぐに見えなくなる。




「ちくしょう……」




 キーオーは重いザックを背負いながら、やっとの思いで起き上がると、叔父さんを追いかけて村の入り口に戻った。だが、そこでキーオーを待ち受けていたのは信じられない光景だった。




「おい、嘘だろ」




 さっきまでキーオーが見ていた長閑なアムチャットの景色はどこにもなかった。まず目についたのは、小麦畑の上に鎮座している大きな鉄の物体だった。それは村中の家をすべて足した大きさよりも巨大で、水瓶を横にしたような形をして、小さな羽のようなものが両脇についている。そして至る所の隙間から機関砲が顔を覗かせていた。


 それは連邦軍の特別捜査軍部、通称:特捜部の航空戦艦だった。連邦を表す白い国旗がはためき、紅白の迷彩をまとった兵士たちが次々と地上に降りている。


 兵士たちは村人を家から連れ出し、航空戦艦の前で座らせていた。父も母も、セイルもセイルの両親もいる。兵士の一人が村人たちに何かを尋ねているように見えた。もしかしたら叔父さんのことかもしれない。


 キーオーは焦りながら村の方角へ走った。長老である老婆が連邦軍に対して何か言っている。みんなが危ない。村を守らなければ。遠く前を走る叔父さんも同じ気持ちのはずだ。だが、もうすべてが遅すぎた。




「パンッ!!」




 銃声が響いた。その音は雷雨の中でもキーオーの耳にはっきりと届いた。見ると老婆が撃たれ、頭から血を吹き出して倒れる。すぐ悲鳴が聞こえ、村人は怯え始める。




「やめろぉ!!」




 キーオーの叫びは連邦軍には届かなかった。彼らは火炎放射器を持ち出すと、アムチャットの家や畑を次々と焼いていった。


 信じられなかった。露命の教えに従って細々と生きてきた人々の全てが一瞬にして奪われていく。まだはるか遠くだったが、セイルの泣き声が聞こえた気がした。




(父さん、母さん! セイル!)




 キーオーは走り続けるしかなかった。叔父さんは剣を抜き、オルゴ川の新橋を渡り村へと向かった。




「私はここだ! 殺すなら私を殺せ!」




 叔父さんの声は雷にも負けていなかった。しかし無情にも悲劇は起こってしまった。




(キーオー、お願い。助けて……)




 セイルの祈りはキーオーには届かなかった。叔父さんが村に着いた瞬間、連邦軍の兵士たちは火炎放射器を村人に向けて発射した。


 瞬く間に炎は村人全員に燃え移り、焚火のように村の中心で渦を巻いて燃え広がった。父も母もセイルもセイルの両親も、もうどこにいるのかさえわからない。


 キーオーは泣きながら村を目指していた。このまま行けば自分も殺されるだろう。しかしそんなことを冷静に考えることもできなかった。


 悲劇を目の当たりにしても叔父さんは振り返ることなく走り続けた。キーオーが後から付いてきているとわからなかったのかもしれない。


 キーオーは村の中に入り、出来たばかりのオルゴ川の橋を渡ろうした。しかしその瞬間、橋が崩れた。


 泥水が口に入り、体が何回も何回も回転した。そうして深い闇の中へと落ちていった。だが、それは死ではなく長い夢の始まりの様だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る