蠅の魔王

「おい、傷薬が足りねーぞ!」

「知らないわよ、第一、そんなものあってもなくても、どうにかするって言ったのはレイアでしょ!」

「テメエ、俺に口答えすんのか」

「はあ? そう言うのはリーダーの責任なんじゃないですか」


 目の前でこんな五歳児にも劣る言い争いをしているのが、教会から派遣された修道女とこの国の第二王子と世の人が知ったらどう思うだろうか。

 王子の護衛騎士、グエンドレナは呆れた様に深々とため息をつく。


「あの気持ち悪い人喰いを追い出したら、その分の金を宝石代とかに回すって言っていたのは貴方じゃない!」

「俺だって、色々使うとこがあるんだよ!」


 清貧を旨とする修道女にあるまじき言葉と、それに暴言を吐く王子。実のところ、予算管理はあの、魔物狩りに任されていたのだ。そのタガが外れればこうなるのは当然だろう。

 色々上に報告するべき案件だが、とりあえずはこれを抑えなければならないだろう。


「お二人とも、とりあえずは矛先を互いに納めてはいかがでしょうか? 予算に関しては王都に改めて連絡しておきますから、問題はありませんよ」

「……そうか。うん、そうか。ならよかった」

「じゃあ、少し我慢すればいいだけなのね!」


 それだけで二人の顔がかなり明るくなる。簡単な人間だ。


「それよりも、殿下に依頼が来ているのですが、如何いたしましょう?」


 簡単な依頼だ。ここ最近、何らかの魔物が出現するので、隣町までの護衛をしてほしいとのこと。そんなことに、王子を使うのは問題があると思われるかもしれないが、お忍びだから大丈夫だろう。


「ここ十数年で、殆ど魔物の出現は確認されなくなったというが……まさか」

「はい、そのまさかだと思います」


 魔人。とある理由によって、出現した奇怪な怪物にして神秘の残りカスを集めた化け物。その討伐が、このチームの表向きの目的だ。


「なら、臣民の安全を図るのが王たるものの役目。魔人の頭たる魔王をいずれ倒すためにこそ、がんばるぞ」

「ええ、がんばりましょう!」


 ――そうですね。


 グエンドレナは、一人薄く笑んだ。


 ◇


「それでは、お願いしますね」


 依頼主は穏やかそうな老人だった。なんでも、川下の街まで羊毛を運んでいく途中らしい。


「ああ、こちらこそ頼む」


 対して、王子。やはり尊大な気質が抜けない。


「どのルートが一番安全かを教えてもらってもいいですかな?」

「え、それは……」


 無論老人はこの周辺の街道について知らないわけではない。ただ、相手がどの程度の知識を持っているか、鼎の軽重を問うているのだ。周辺地域に何があって、何に気をつけるべきか、そうしたものを知らなければ護衛としての実力は心もとない。場合によっては、知識がないとわかっただけで契約が破棄されることもあるくらいだ。


「どうしたのですか?」

「それは、その……」

「我々としては旧ルーム帝国時代の街道を使用していくことを提案します。やや足場は悪いですが、それでも魔物の出現状況を鑑みるにこちらの方がはるかに安心できると断言します」

「ふむ、成程。だが、我々は時間勝負の職業だ。足場が悪いとなると、いささか困るな」


 これは完全に、護衛としての知識を越えた問いだ。だが、下を向くジェニファーとレイアを横目にグエンドレナはすらすらと回答する。


「しかし、純粋な距離ではこちらの方が近いです。それに、今回我々が居りますので荷物運びも問題ないかと」


 その言葉に老人は感心と安心が混ざった顔を見せる。


「優秀な騎士様だ。安心ですな」


 その言葉にレイアが歯噛みをしたのに、グエンドレナは気づいていた。


 ――そして、それから数時間後。


「熱いー、怠いー」

「ハハッ、流石に修道女様には荷が重い様でしたかな」


 ジェニファーは様々な荷物を持たせられていた。剣と革鎧を持ったレイア、そして大槍に鎖帷子をきたグエンドレナは荷物を持っていては、いざという時事になりかねない。なので、比較的軽装のジェニファーが持たされることになったのだが、彼女は先ほどから文句ばかりである。

 むべなるかな、元は全てアーサーが請け負っていた仕事なのだから。


 ――アイツ、いなくなったらいなくなったで、面倒ごとを起こしやがって。

 ――なんで、こんなことをしなきゃなんないのよ。第一、これは修道女の仕事じゃないでしょ。


 そんな不満がありありと顔に浮かんでいる二人をグエンドレナは一瞥する。


「まあ、そこまで言うならばそろそろ休みましょうか」


 そういうや否や、二人は武器も荷物も放り出して座り込む。


「……あのお二方は本当に護衛なのかね?」

「まあ、駆け出しですから。腕は確かだと保証しますよ」


 嘘だ。彼らは所詮、箔をつけるために王国から派遣された人員に過ぎない。アーサーがいなくては戦うことは愚か、剣を振るうことすらできないだろう。


「あー、しっかし、魔人ていうのはそうそう出てこないもんだな。つまんねえな」

「きっと、殿下のことを恐れているのでしょう。ほら、実際聖なる者には――ん?」

「ご老体、私の後ろへ」


 どこからか、何かが腐ったような匂いと、蠅の大群が出てきたのだ。そして、それ以上に気味が悪いのは――


「虫の……羽音?」


 それも一体ではない。一頭、そう形容するに足るほどの巨大なものが近づいてくる。


 ――そして、魔人は姿を現す。


「な、なんだよこれ」


 黒く、垢と泥で汚れたその姿。だらしなく、そして痛々しく剥けた皮膚は羽の様である。だが、一番の恐怖は――


「……蠅、か」


 丁度人間の目があるところに二つ脳髄が付き、そこに蠅がたかっているのだ。その姿は、まさに教会で語られる蠅の王だった。


「おえええええっ」


 あまりの悪臭にジェニファーが吐く。


「ジェニファーは下がってろ、ここは俺とグエンドレナで何とかする」


 そういうや否や、レイアは錆び一つない剣で斬りかかる。だが、蠅の魔人は微動だにしない、というより、彼を相手にしていない様子である。


「舐、めるなああっ!」

「……」


 その時、漸く魔人が彼を睨み付ける。その瞳、基脳髄は、何も映していないはずだがレイアを確かに見つめているような気が、した。


 ――なんだ、これは。


 次の瞬間、彼が感じたのは体中を何かに噛み千切られる感覚とそして首への強い圧力だった。


 ――身動、きが……空気も……


 五体を食い荒らされ、そして蠅の発する瘴気によって肺を灼かれる感覚。何らかの護符があれば、また話は違ったのだろうが、その専門家は今ここにはいない。

 

 そして。


 蠅の王は口を大きく広げて、レイアの首元に黄ばんだ歯を近づける。


「う、うわああああ!死にたくない、死にたくない。やめろ、やめてくれーっ!」

「アハ……ハ。シネ、オウジ」


 ――ここまでか。


「『ゲフィンはキュルヴィに。キュルヴィはゲフィンに。月と泉の三姉妹の告げるままに……』」

「?」


 血腥い戦場に似合わない、余りにも清らかな美しい妖精の歌声。


「お母さんから聞いていた子守歌にもこんな気持ち悪い怪物はいませんでした。びっくり」


 そこには、にっこりと笑い白いローブを身にまとい、流れるような金髪の少女が佇んでいた。

 蠅の王はニミュエを視認すると、レイアを投げ捨てて少女の方へと突進する。


「あら、怖い。でもね……」


「真の主役は遅れてやってくるもんだぜ」


 その言葉と共に、蠅の王は大きく吹き飛ばされる。


「……その、姿は!」

「ああ、とりあえず。お前ら二人は殺すのは後にしてやる」


 中天の日光を背景に、輝ける銀の腕のアーサー・クレインの姿があった。

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