エルフの少女
「わあ、ここが外の世界なんですね」
「まだ、あの納屋を出て二時間程度しか経っていないぞ……」
結局のところ、俺はニミュエを連れていくことにした。彼女にシンパシー――魔物狩りとエルフという共に世界から捨てられた存在だ――を覚えたこともあるが、彼女がミルディン老人が死んだときに泣いて大変だったというのもある。
さっきの話から察せられるように、どうにもニミュエは甘いというか、子供っぽいところがある。そんな少女を一人にしていたら、すぐに悪い、夜の人々に蹂躙されるだろう。復讐を誓った身としては甘いが、俺は所詮中途半端なあぶれ者なのだ。
さて、問題のミルディン老人の死だが――
彼はまるで、その日に死ぬことを予期していたかのように全てを整頓してベッドの上で安らかに眠っていた。だから、埋葬などは簡単だったのだが、俺に残したものが面倒だった。
まず、袋いっぱいの金。これは有り難い。
問題は、彼の手稿だった。
曰く、彼自身も今は失われた種族、夢魔と人間のハーフで、ある修道院に預けられていたらしい。これもまあ、驚きではあるがそこまで問題ではない。
だが、その次の文章は捨て置けなかった。
「『修道院では古き血や喪われた神々の痕跡から魔人を生み出すことを目的としていた……太古の巫術士の裔たる君に恐るべき魔人を倒すことを頼みたい』って……面倒ごとをまた。しかも魔人ときた」
魔人。これこそ、あの阿保王子と組んで討伐していた代物だ。同じものかどうかは疑わしいが、文章を見るに少なくとも何らかの関係性はあるとみていいだろう。
「で、あるならば。この依頼を受けるのも悪くない」
あの阿保王子とかち合う可能性は高いはずだ。まあ、そのための予定だが――
「アーサーさん、近くの街で買い物しましょうよ! 私、市場っていうところで買い物してみたかったんです。それに、お爺様が育った修道院っていうところにもいってみたかったんです!」
「今日は八のつく日ではないから市場はやってないはずだ。それから、修道院っていうのは、悪いことは言わない、行くのはやめておけ」
その言葉にニミュエの顔が明らかに曇る。
この調子だと先が思いやられる。純粋なのは悪いことではないが、ある程度の常識をつけてもらう必要がある。
「うーん、ならば。近くの街に行くのはやめておくべきか? いや、それとも敢えて近くの街に行って耐性をつけさせるか……けれども」
復讐を考えると、どうにも頭に靄がかかったように考えがまとまらない。だが、これは何とかしなければならない話なのだ。
そんな俺を、ニミュエが覗き込んでくる。
「どうしたんですか、そんな難しい顔をして?」
お前のせいだよ、と言いたい気持ちをぐっとこらえる。
「疲れた時は少し休んだ方がいいって、お爺様が言っていました」
「……はあ。そうするか」
すでに木々の合間から見える陽光は橙色に染まっている。野営準備などを考えると、今日はここで腰を落ち着けるべきなのだろう。
ニミュエに今日は休むことを告げる。
「そう言えば、アーサーさんって、魔物狩りなんですよね。仕事が終わったら簡単なのでいいので見せてくれませんか?」
「……いや、今見せよう」
流石に、経験値上げは見せたらドン引かれる可能性があるが、簡単な奇跡くらいだったら見せてもいいだろう。
「まず、周囲の葉っぱとかをはらってくれ」
「はーい」
彼女は喜んで歌を歌いながら、周囲を掃き始める。それを見て、俺は革袋から赤い液体を取り出す。
血ではない。ナナカマドの実とその他さまざまな物を混ぜ合わせた液体だ。ここからが本番だ。
「ニミュエ、少し黙っていてくれ」
「?いいですけど……何をするんですか?」
「まあ、見てろ」
俺は空気を一気に吸い込む。
「『主よ、願わくば我らを護り給え……汝において他に神は無し……』」
聖句を唱えながら、同様の言葉を地面に先ほどの液体で書いていく。これがなかなかに体力と集中力を使うのだ。
とはいえ、これも必要な過程。神代の昔ならば何かを思ったりするだけで超常現象を起こしえたというが、その技術はすでに喪われて久しい。まあ、その理由もいくつか思い当たるが、これは歌いながら考えるには重すぎる内容だ。
「『……斯くて、我らは汝と共に義の道を歩まん』これでいいだろう」
「……あの、その、ぷふっ、とてもお上手な歌ですね」
「悪いが俺は吟遊詩人じゃないからな、歌が上手い必要はない」
思わず口が尖る。本来なら、魔物や危険な動物を避けられるだけで感謝されてもいいのだが、ニミュエには真価がわからなかったらしい。少しショックだ。とはいえ、設営の大半は終わった。さっき掃除で集めた枯れ葉があれば火を起こすのも簡単だろう。
「さて、じゃあ食事だが……」
「はいはーい。じゃあ、私が用意しますっ!」
思わず、顔がほころぶ。あの納屋にいる頃は毎日ニミュエの料理を食べていたが、数少ない食材の中で、しかし飽きの来ない料理を作ってくれた。今の手持ちだと鹿の干し肉に僅かな塩、そしてハーブくらいだ。それでも、まあまあのモノは出来るんじゃないだろうか。
「でも、それだと面白くないので少し狩りをしてきます!」
「え? お前なんて言った?」
ニミュエの細腕では剣を振るうことも、弓の弦を引き絞ることも適わないだろう。だというのに、狩りと言ったか?
呆気にとられる俺を横目に、彼女は魔よけの境界の外へ出る。
「『乾杯の歓声と共に、万夫不当にして不世出の英雄、ジークフリートは赤き神の血をあおり、そして大いに楽しみました……』」
ニミュエは時には陽に歌い、時には月を仰ぎ、時には流れ行く星に涙した。その姿は正に、伝説に語られる妖精の女王に似てあまりにも蠱惑的で美しかった。
その声におびき寄せられたのだろう。何匹かの野兎が近づいてきた。彼女はそれを優しく抱く。
「『……そして、彼は竜の背にまたがったのです』」
兎たちもどこか、目が潤んでいるように見える。畜生でも真に美しいものは理解できるのだろうか。
だが、しかし。
ニミュエは突如として、ナイフを懐から取り出す。兎は突如として暴れだすが、腕で首を絞められていて逃げられない。それを見て、彼女はにこりと微笑む。
「『心臓を一突き』」
その一言と共に辺りに血が飛び散り、他の兎たちは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
「『かくて、狩りは終わったのでした』ほら、上手いでしょう?」
ニミュエは首の堕とされた兎を片手に、にっこりと笑いかける。
――これは子供ではない。南方にいるという、伝説の人喰い植物だ。街の男の方が危ない。
俺はニミュエへの認識を改めたのだった。
◇
「あー美味しかった!」
「そうだな」
肝臓の部分を取られたのは悔しいが、それでも香草で蒸した兎肉は中々の味だった。麦粥も、こんな場所ではなかなかに味わい深い。
ニミュエも、そう思っていると嬉しいけど。
「……アーサーさんて、私のことを怖がらないんですね」
「どうしてだ?」
「私は知らないんですけど、お母さんはあの呪い歌と顔貌のせいで周りからすごい怖がられたって言っていたんです」
「まあ、正直驚いたよ」
今や、教会の奇跡や古来からの魔術なんていうモノはお目にかかる機会の方が少ないだろう。ましてや、エルフの歌う呪い歌。歌うだけで周囲を魅了してしまうとなったら、悪魔の業ととられてもおかしくないだろう。
「でも、まあ、そこは俺だって同じ事情だからな」
旧時代の遺物という点では俺も同じだ。怖がられ、蔑まれ、そしていつか時代に排斥されていく運命。
居場所はなくなっていく。
――だからか。
俺がニミュエから好意を向けられて、どうしていいのかわからなかったのは、師匠が死んで以来無かった居場所を彼女がくれたからかもしれない。
「ありがとな、ニミュエ」
「?どういたしまして」
「なあ、一つお願いしていいか」
ああ、なんか泣きたくなってきた。
「……俺は実は怪物みたいなものなんだ。いつか、その姿を見せる時が来ると思う」
「……」
「僕を見捨てないで」
もろくて、鉄のような意志は無くて――結局、俺は弱い人間でしかない。
俺は、ニミュエには嫌われたくない。
「勿論ですよ。――私は、アーサーさんとどこまでも一緒に行きます」
彼女はそう、俺を膝枕しながら優しく頭を撫でてくれた。
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