老人
「ここが、地獄か」
俺が目を覚ますと、そこは薄暗く埃っぽい部屋の中だった。部屋の中には蝋燭とベッド、そして姿見くらいしかないが――
「起きましたか。おじい様を呼びますので少し待っていてくださいね」
波打つような金髪の少女が本を読んでいた。彼女にここはどこか尋ねようとするが、上手く声を出せずに部屋を出て行ってしまう。
「さてはて、どうしたモノかな」
体を動かすには未だだるい。かといって、何もしないには色々と辛い。戯れに鏡を見てみる。
「どういう、ことだ」
顔左半分は青ざめた――元々俺はそこまで血色がいいとは言えないが――肌に覆われていた。思わず、ベッドから起き上がるが上手く立てずに尻もちをついてしまう。
「痛えな」
俺は埃を払い、両腕を使って立ち上がる。
埃を払い? 両腕を使った?
思わず、失ったはずの右腕を見る。
そこには銀色の文字がくまなく書かれた美しい義手があった。普通に見ている分にはある種の装飾品や美術品にしか見えないが、軽くてしかも丈夫だ。これを作った義肢職人は相当の腕前だろう。
「その分だと、調子はそう悪くないようじゃな」
「どなたですか?」
音もなく部屋に入ってきていた白い髭を蓄えた老人に視線を向ける。
「そう怖い目をしないでくれ。私はお前さんの敵ではない」
「……」
「その腕を作ったのは儂だと言っても信じないか?」
「わかりました」
俺は渋々、ベッドに戻ろうとする。だが、やはり上手く立てないの。
「あまり無理をするでない」
老人が起こしてくれる・
まあ、悪い人間ではないのだろう。
「さて、まずは自己紹介と行こうか。儂の名はミルディン・エムリス。……つまらないことに人生を捧げて棒に振り、今は孫娘と一緒に川縁の小屋に住んでいる世捨て人じゃ」
「俺は、アーサー。アーサー・クレインです。職業は」
言い淀む。だが、ミルディン老人は優しさと何故か悔恨の混じった眼をこちらに向けてきたのだった。
「お主、”魔物狩り”じゃろ? 安心せえ。ここには儂と孫娘しかいない。差別する人間はおらんよ」
「そう、ですか」
なら、その悔恨は何なのだろう。俺の疑念を知ってか知らずか、ミルディン老人は話を続ける。
「お前さんに何があったかは知らん。だが、そこの川で死に掛けているのを儂が発見して、勝手ながら治療させてもらった。どこか変なところはあるか」
ない。強いて言えば、体の一部が取り換えられたせいで上手く動けないくらいか。
「それは良かった。とりあえず、心行くまでここで過ごすがよい」
「有難い申し出ですが、そうは行きません」
「ほう?」
俺はあの時誓ったのだ。この世のすべてに復讐すると。なれば、一刻も早くここを出ていったほうがいい。
「まあ、まて。一つ考え直さないか? ……ここにいれば、お前をつけ狙う人間も、それから魔物を食らう必要も、そして継承の儀もいらないのだぞ」
“魔物狩り”は嫌われる。
その一番の理由は、俗にいう経験値を手に入れるためには相手を生きたまま取り込む――もっと言ってしまえば、生きたまま魔物を喰らう――ことが必要だ。
これではそのあたりの魔物と大して変わらない。いや、人のみでそれをやっている分、なおおぞましい姿に映るのだろう。
「だが、みんなやりたくてやっているわけじゃねえ。どこまで行っても、血の呪いが付きまとう。――それを強制しておいて馬鹿にする世界を俺は殺さなければならない」
思わず言葉が崩れ、ベッドからまた起き上がろうとするが上手く立ち上がれずに転んでしまう。ミルディン老人はやはり悲しげな瞳で此方を見てくる。
「……どの道、その義手に慣れるための訓練が一月ほどは必要じゃ。それまでにゆっくり考えるがいい」
◇
それからの一月、俺はリハビリに励んだり、ミルディン老人の様々な手伝いをしていた。正直に言うと、中々悪くない生活だった。不躾な視線や面倒な接触がなかったことや、家の中の蔵書のおかげもあるが、やはり老人の孫娘、ニミュエとの会話が嬉しかった。
俺も男だ。
美人に優しくされたら嬉しいし、彼女は親身になって俺の下らない身の上話を聞いてくれた。
「……それは大変でしたね。お爺様から、そんな方たちがいらっしゃるということは聞いていましたが、そこまでとは」
その日大分義手に慣れてきた俺は納屋の裏手にある菜園で野菜の収穫をしていた。あの銀色の義手もすごいが、川の土手、しかも森の中という日差しの悪いところでここまでの菜園を作れるのも中々だが。
「貴方のお爺様は中々の手練れらしい」
正直、ミルディン老人には謎が多すぎる。
「そうですか? 私からすれば、普通のことなのですが。あ、後、もう会ってから一月近く経つんですから、そろそろ敬語は外してください」
「……わかった」
謎はニミュエにしても同じだ。彼女が外についてあまりにも知識が乏しすぎるというのもあるが、あの特徴的な尖った耳。凡そ、人間の者とは思えない。
「ああ、これですか? 私のお母さんはエルフだったとか何とかで……」
「エルフ!?」
神代の昔の世界には、人間以外の多くの亜人が存在したという。コボルトや、人魚、ゴブリンやオーク……そして、森の人であるエルフ。彼らは人間の世界が広まっていくにつれて、徐々に数を減らし――人間が戦争なり異教徒として虐殺をしたせいなのだが――今や絶滅しているという。
そして、その理由の一端には魔物狩りのある事情も含まれているのだが。
「まあ、それはそれ。私は歴史上のことしか知らないですし、半分しか血は混じっていませんからね」
「……」
「それに、私個人としては貴方からは古い風が感じられて、好きですよ」
「それは有り難い話だな」
それなりに女は抱いてきたが、しかしここまで直接的に好意を向けられると、どうにもこそばゆいものがある。
「それより、先ほどお爺様が呼んでいましたよ」
「それは、困ったな」
ミルディン老人に関しては一つ困ったことがある。時折、俺の体をじろじろと見たり、義手がどうこうと言って体を触ってくるのだ。
――まあ、ニミュエという孫娘がいる以上、そういう趣味でないと思うが。
「肥料やりや、野菜の選別などの汚れ仕事はやっておきますので話してきてください」
「ああ、わかった。恩に着るよ」
本当に不思議なことなのだが。
この義手は、決して外れない。そして、時々奇妙なことだが、体の内から何かを吸われている感じがするのだ。
そのせいか、俺はこれが農作業などで傷ついたりするのを恐れていた。
とにもかくにも体を簡単に洗い、書斎で何かの仕事をしているミルディン老人に会いに行く。
ドアを三回ノックする。返事があったのを確認してから、失礼しますと言って部屋に入る。
「気分はどうじゃ」
「まあまあです」
老人はそれはよかった、といって水差しから水を一杯入れて差し出してくる。
「俺はビールの方がいいんですけどね」
憂き世のことを忘れられる。
「昼間から酔っていては真実を見失うぞ……それより、ここの生活はどうだ?」
「どうって、悪くはないですよ。この世の復讐を忘れてなきゃ、ずっと住みたいくらいには」
「……はあ。まあ、そう言うのは良いが。一つ相談がある」
こういうのは大抵ろくでもない話だ。詐欺か説教か。
「ニミュエと結婚して、この土地を継ぐというのはどうだ?」
「……一つ聞きたい。貴方は何を考え、何をしようとしているのです?」
そろそろ話を聞かせてもらってもいいだろう。俺を助けてもらった理由を含めて。
「それは、言えぬ……」
「なら、今すぐにでも俺はここを出ていく」
俺の目的はあの日以来変わっていない。どの道、既に人として死に、そして最初から人としての幸福はないのだ。
ならば、一度手に入れたものを捨てるなど造作もないことだ。
「その目。決心は変わらないようじゃな。良かろう、ならこの地を継がせるのは諦める。だが、二つ条件がある」
ミルディン老人のその瞳は揺らめくような炎の色を映していた。何をしたら、ここまでの気迫を出せるのだろう。
「全てを話す準備をするのにまず一週間待て」
「信用できないですね」
「その時は、このような老人一人食い殺せばいいだけのことだろう」
全く嫌な爺さんだ。ここに来て、俺の本性をついたようなことを言ってくるとは。
「そして、もう一つ」
「どんなことがあっても、我が孫娘を守れと誓え」
「何故だ? 彼女なら一人でも生きていけるだろう」
その言葉に周囲の本が突如として、カタカタとなりだす。
……どういうことだ。
今、知られている奇跡ではありえない、感情を出すだけで効果を為す現象。
こんな、恐怖を覚えたのは師匠と別れて以来かもしれない。
「お前は、ニミュエに一人で寂しく生き続けろというのか」
「わかりました。前言は撤回します。二つの約束をお守りいたしましょう」
その言葉を出すと同時に、老人の怒りは収まったらしい周囲の本が勝手に動き出す現象は収まった。
同時に、彼の顔は先ほどと同じ柔和なものに戻っていた。
「感謝するよ」
「……どういたしまして」
その後は他愛ない話をしてミルディン老人との会話を終えた。
――実のところ、これが、俺が老人の顔を見た最後なのだ。
というのも、会ってから一週間後、つまり丁度約束の日にミルディン老人は自室で死んでいたからだ。
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