Epi8 お出掛け先は彼女の家
たぶん初めてじゃないだろうか。母さんが謝って来たのは。
いつもなら軽口叩いて嫌ならさっさと出て行きゃいい、とか言い出すのに。
「いずれは大貴も家を出るんだろうけど、でもね、未成年である間は親を頼っていいんだから、無理やり出て行ったりしないでね」
母さんの顔を見る気はない。本気で家を出るかもしれない、そう考えての懐柔策だと思えば、腹の底ではあざ笑っているかもしれないのだから。
「ちゃんと向き合わないと駄目なのはわかってるんだけどね。つい陽和に感けて大貴を蔑ろにしちゃってたから」
一呼吸置いたと思ったら。
「今さら言っても遅いかもしれないけど、でも大貴も大切な息子なのは確かだから。だからね、家を出る時はせめて大学生になってからにしてね」
仕送りとか一人暮らしに必要なものもちゃんと手配する、とか言ってる。
なんだろう。明穂からなにか感じ取ったんだろうか。明穂なら本気で俺を家に引き摺り込みそうだし。この家から出してくれて、きちんと招き入れる準備とか整えていそうだし。俺と違って賢いし、いろいろ考えていそうな感じだ。
食べ終わって無言で立ち去ると、後の方で「わだかまりが取れたら、家族旅行もいいかもね」などと言っていた。
そこに俺の居場所があるならね。
部屋に戻って小説を書こうと思ったけど、今日はそんな気分じゃなくなった。
仕方ないから勉強を少しして寝ることにした。明日は明穂の家にお邪魔する日だし、粗相のないようにしたいから、しっかり休息を取って備えておこう。
翌朝、割りと早めに目覚めた事もあり、出掛ける準備だけして勉強机に向かっていると、またドアが荒っぽくノックされた。
荒っぽいのは陽和だ。がさつな性格で人を踏みつけて悦に入る、ろくでなしの印象しか持てなくなってる。
シカトしてたらまた打ち鳴らされた。
「煩いよ!」
ドアの向こう側でなにか言ってる。
仕方ないから開けたら、朝から不機嫌そうな顔で俺を見る。
「起きてるんだったらすぐ出てよ」
「なんで?」
「なんでって」
「お前には昨日も言ったはず。お前がどう思うのも自由だって。でも事実は覆らない。何でも自分の思った通りだと思うなよ。付け上がり過ぎだ。たかが中学生の分際で」
で、言うことを言ってさっさとドアを閉めた。
我がままになり過ぎてるだろ。散々人を見下すことばかり覚えて、自分の成長を疎かにしすぎだっつーの。あんな妹なら本気で要らない。少しも可愛げが無い。少しは明穂を見習って欲しいものだな。あれと明穂を比べたら月とスッポンどころじゃない。
出掛けるのにいい時間になった。
家を出て電車に乗り明穂の家の最寄り駅まで行き、改札を抜けるとそこにさわやかな笑顔で出迎えてくれる明穂が居た。
和む。家の中は息苦しいけど、やっぱり理解者の存在は大きい。
「おはよ。じゃ行こうか」
「うん」
やっぱり腕を組んでくる。
心地良さと同時に免疫が無いからどうしても、一部が反応しちゃうのはどうしたものか。
「あたしの部屋なら遠慮要らないけど、お母さんとお父さんの前では、できれば遠慮してね」
バレてます。
明穂の家はうちより大きい。庭も立派で生活水準の高さもあるのかな。
「じゃあ、紹介するから入って」
「う、うん」
家に入りリビングへ通されると、そこには人当たりの良さそうな男性と、少し厳し気な女性が居た。明穂の両親なんだと理解するも、緊張感はマックスで挨拶で噛んだ。
「浅尾、た、大貴、です。お休みの日に、押し掛けてすみみゃせん」
両親の顔見れない。深々と頭を下げていると「緊張し過ぎだよ。もっとリラックスしていいんだから」と男性の声が掛かった。
女性の声は「なんだか面白い子ね」とか言ってる気がする。
「大貴。緊張し過ぎ。誰も取って食う訳じゃないし、今日はお客さんなんだから、もっと堂々としてればいいのに」
明穂はそう言うけどご両親への挨拶の失敗は手痛い。
父親と名乗る男性と母親と名乗る女性を紹介され、あとはお二人さんで楽しめばいいとなった。
明穂の部屋に案内されて入ると、そこは如何にもな女子な部屋だ。
愛らしいぬいぐるみが方々にあって、部屋の色彩は清潔感のある白で統一されていて、どこを見ても整理整頓されていて、育ちの良さが窺い知れる気がする。
「ベッドに座っていいよ」
促されて座ると、当たり前に俺の隣に座る明穂だ。
「少しは落ち着いた?」
「えっと、広くて綺麗な部屋でまだなんか落ち着けないんだけど」
「そう? 大貴が来るから一所懸命掃除したんだ」
「いつもしてるんじゃないの?」
暫くすると明穂のお母さんが、トレーに飲み物やお菓子を持って現れた。
「どうぞごゆっくり。あ、明穂から聞いたけどうちに来たいんだって?」
え? ちょっと待って、どう話したんだ?
「えっと、あの、どこでそんな話に?」
「あら、明穂が大貴君が家で虐げられてるから、うちに迎え入れたいって、それに大貴君も凄い乗り気だって聞いたけど」
無茶苦茶だ。
いくら付き合ってるとは言え、年頃の女の子と一緒に住むなんて、普通に考えても非常識過ぎると思う。確かにそれを望む俺だけど、だからと言って迎え入れちゃっていいの?
この無茶苦茶な部分は血なのだろうか。明穂も大概無茶だとは思ったけど、その親もまた無茶なんだ。
「えっと、虐げられてるのは事実です。でも、幾らなんでも一緒に生活は無理じゃないですか?」
「遠慮しなくていいのに。部屋ならあるし、もしなんだったら、結婚前提ってことなら明穂と一緒の部屋も認めるけど」
脳みそが噴火しそうです。
「大貴。あたしも遠慮しなくていいと思うんだけど。婚約しちゃえば誰も口挟めないでしょ」
「いやいや、それ、気が早過ぎる気がするんだけど」
「善は急げだってば。据え膳のまま腐らせるなら、旨いものは宵に食えだよ」
「明穂。言ってることが少し違うようだけど?」
事実と虚構が混ざって適当に盛り上がってた明穂と、その言葉をうっかり信じた母親のバトルが少し。でも、結局はいつでも転がり込むことを許可された。代わりに婚約は絶対条件だとも。
将来を決めたもの同士に対して口を挟む気はないらしい。
そこは娘の自由意思を尊重するんだとか。
「もうひとつ条件。大貴君もまた大学行って、きちんと就職してまともな家庭を築くこと。これは絶対条件。遊び人とかふらふらしてるフリーターに、大切な娘は渡せないから」
当然でしょう。
そんな奴に娘を渡せる訳がない。
「お母さん、小説家でもいいの?」
「小説家? それで食べて行けるならいいけど、あなたが稼がないと駄目なら、それは職業として認められないから」
「だって。大貴。頑張って芥川賞目指してね」
「あら、芥川賞目指してるの? そんなに凄い小説書くのね」
話が……。飛び過ぎて最早ついて行けない。
これもラブコメにありがちな展開。なんで?
明穂のお母さんが部屋を後にすると、「口裏合わせておけばよかった」などと抜かす明穂が居た。
「いや、話が」
「あたしはその気なんだけどな」
「でも、俺だって将来どうなるかなんてわかんないし」
「小説家、目指さないの?」
無理な気がする。あれは誰でもなれるわけじゃない。類稀なる文才があって芥川賞が受賞できる。俺如きじゃネットのコラムだって無理だ。
再び並んで座ってるけど、距離近いんだって。
ピッタリ寄り添ってるから密着感が半端ない。そのせいでさっきから熱いんだよ。
「あの、少し離れるとか無いの?」
「なんで? こうしてるのがいいんだよ」
無駄な足掻きのようです。
「あー。そういうこと」
気付いたようで。
「今日はお父さんもお母さんも居るから、さすがに難しいかなあ」
「いやいや、その前におかしいでしょ」
「なにが? だってお互いの気持ちが通じ合ってれば、おかしいことなんて無いと思うけど」
やっぱ無茶な人だ。家族もそうだけど。血筋は争えないって奴だ。
「ちょっとだけ」
だから、なんでそこに手を置くの?
暴発したらどうするのか、後先考えないのかと心配になる。でも、その手をどけて欲しくない自分が居る。欲望に抗えない自分が恨めしい。
「今度楽しもうね」
「えっと、なにを?」
「言わせるの?」
「いえ。わかりました」
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