ポエジーと実験

 日常にポエジーは昇華してゆく。


 私は詩人であったことは一度もない。私によってくるのがいつも詩人なだけだ。


 孤独に疲れ共感を求めた詩人たちが、詩人同士では傷つけあうからか、似ていて違う私を求めるのだ。まるでメロドラマで見る女性の浮気みたいだ。似たもの夫婦の仲は冷え込み「似てるけどあの人とは違う」を求める。


 だがなぜか私は彼、彼女らのポエジーを食らい枯らしてしまう。いや、詩人は勝手に枯れるのだ。


 傷つけば詩を書く彼らは、幸せも不幸も私に食われて「空っぽな人間になった」と言う。人間らしさは満たされている。なのにどうして空と見るのか。


 詩人のことはわからない。だって私は機関に所属してはいないが哲学者だ。


 でも、だから、私は考える。


 共感のためではない。「わからない」を論理的に意味づけるためだ。そのために食いつぶすとわかっていても、よってくるその子を退けられない。実験材料が来たと喜んでしまう。


 私にも心はある。自己を損失したと勘違いする背中を見るのはつらい。が、やはり少し楽しい。勘違いに震えるなんて、哀れでなんと可愛らしいのか。


 それもあってか物理・数学者からの私と、私からの詩人は同じような姿に見えていると思う。

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