41:小さな命が繋げ止めたもの
宮の言葉は、とても重かった。
それでも決断を璃亜夢に委ねていることを考えれば、宮は言葉ほど璃亜夢を『子供』扱いはしていないのだとわかった。
何の責任を負う立場にない『子供』にそんな重大な決定はさせない。
ただこうしろと指示するだけ。
永延は無理だと言い、大黒は敢えて急かすようなことはしてこなかった。
でも宮は、璃亜夢に考えろと言ったのだ。
時間はいつまでも待ってくれない、早く決めるべきだ、と。
それはまるで『大人』のような扱いだと璃亜夢は思った。
それとも単に『母親』としての自覚を持たせようとしたのか。それはわからない。
だけど、考えなくてはならない。
そう思うようになり始めた。
あの発熱の日から数日。
璃亜夢は相変わらず永延の部屋で暮らしていた。幸いあれから永延からの連絡もなかった。
大黒も、璃亜夢と距離を取ろうとしていた。それはあの日、仕事から帰ってきた大黒に宮が注意したからだ。
あまり世話を焼きすぎるな、適度に突き放して自立を促せ、考える時間を与え続けろ、と。
話していて、まるで教師のような人だと璃亜夢は感じた。
でもそのおかげで、家具が殆どないこの部屋で璃亜夢は静かに考える時間ができた。
璃亜夢は大黒が作成した即席のダンボールのベビーベッドで眠る茉莉花を覗き込む。
ついさっきミルクを飲み終えて寝始めてしまった。
呼吸で小さく上下する身体に、この子が生きていることを確認する。
まだ殺す気があるのか?
そう宮に問われて璃亜夢はわからないと返した。
でも、今は少し違うような気がした。
死んでいても、生きていても、どちらでも良い。それが今の感想だ。
「ねえ、アンタはどうしたい? どうなりたい?」
璃亜夢は茉莉花の小さな手のひらを指で突く。
だけど眠っている茉莉花は何の反応も返さない。璃亜夢もそのことはわかっている。
これは嫌がらせだ。自分だけがこんなにも思い悩んでいるのに、同じ当事者である茉莉花は暢気に寝ていることにほんの少し腹が立っただけ。
寝息を漏らす茉莉花の頬や足をうにうにと摘みながら、その柔らかく暖かい肌にこんなに小さいのに確かに生きていることを実感する。その生き物が自分の腹の中で育っていたことが未だに信じられない程だ。
「あったかい」
璃亜夢は指の腹で茉莉花の頬を撫でる。
こんなに身体を突かれているのに、まるで起きる気配がない。自分だったら、すぐに起きてしまうのに。璃亜夢はそんなことを思いながら顔を覗き込む。
細い髪が生えているのに、まだ地肌が見える頭。
小さな顔には、ぐっと閉じられた目と、小さな鼻と口。
泣くと顔をくしゃくしゃにするからかくっきりと走る皺。
見れば見るほど不思議な生物がそこにはいる。
「茉莉花」
璃亜夢はその生き物の名前を呼ぶ。
ふにゃふにゃと動く口元。でも相変わらず起きる気配はない。
よくドラマなんかの空想の世界では、産まれた赤ん坊を見ながら両親が、何処がどっちに似ているなんて会話をすることがあるようだ。だけど璃亜夢はどのパーツを見ても、自分に似ているとは思わなかった。
「目も鼻も、私のと違うね」
そう言って璃亜夢は少し笑う。
安心した、と言い換えても良い。
だって、私は私が好きじゃないから。
保身に走る程度に自分が大事ではあるけれど、自分という人間が大嫌いだから。
「アンタが私に似てなくて、ちょっと安心した。良かったね」
そう言いながら璃亜夢は茉莉花の頬を今度は優しくなぞるように撫でる。
撫でながら、やっぱり、この子は生きているのだと何度でも実感する。
実感しながら、この子はもう殺せないな、と何処か他人事のように考えてしまい自嘲するように笑う。
璃亜夢は頬から指を離して、手のひらをまた撫でる。
手は既に、爪がある。
その小さな手の更に小さな爪を撫でる。
撫でながら、不意に璃亜夢は言葉を漏らす。
「ねえ、茉莉花。アンタ、私がお母さんでも良いの?」
答えられるはずのない問。
答えたとしても頷くはずもないだろう。
誰がこんな女を母親にしたいものか。
聞いてはみたが、鼻で笑いたくなる自分の問いかけに璃亜夢は呆れてしまう。
だけどその時、茉莉花の爪をなぞっていた璃亜夢の指が掴まれる。
ぎょっとして璃亜夢が茉莉花の手を見ると、茉莉花は確かに璃亜夢の指を掴まえていた。まるでそれが、先程の問いかけの答えのように見えてしまった。
璃亜夢は確かな強さで自分の指を掴む茉莉花を見て、茉莉花を産んだときにこの子が璃亜夢の服を掴んだことを思い出した。
もしかしたら、茉莉花はずっと璃亜夢を掴まえていたのかもしれない。
そんな妄想にも似たことを考えしまい、璃亜夢はどうしてだか目頭が熱くなってきた。
「馬鹿。私と一緒じゃあ、アンタ幸せになれないよ? 良いの?」
璃亜夢はそう言いながら自分の指を掴む茉莉花の手を離そうと、少し揺らす。あの出産の日は、乱暴に服を引っ張るとすぐに手は外れてしまった。今日もそうなるだろうと璃亜夢は思った。
だけど茉莉花の手は離れず、寧ろ、きゅっと璃亜夢の指を握る力を強めた。まるで離さないと言いたげに。
寝ているはずなのに。そんなわけないじゃん。
璃亜夢はそう思いながらも茉莉花を見下ろしながら「馬鹿」と涙で震えた声で小さく呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます