第134話 監察官リッチー・ウルブライト

 突然男は入って来ると、玄関ホールの真ん中に進み出て、警務隊に叫び声を上げた。その後を正門を守っていた警務隊の隊員が追いかけて来る。


「待て、待て、襲撃は止めろ! 警務隊はグランド宰相の許可を取っているのか? 監察官のリッチー・ウルブライトだ!」


 オットーは見知らぬ男が入ってきた時、てっきりパリス・ヒュウ伯爵の伝令だと思って脇へ道を開けたが、監察官と聞いて面倒事が起こった事が分かった。彼を追いかけて玄関ホールに入って来た警務隊員に顔を向け、説明を促す。


「オットー隊長すいません。突然騎馬で乗り込んで来て、王城から来たと言うので、正門を警備していた部隊も通したようなんです」

「うるさい、何を余分な事を言っているんだ。君が現場の責任者か。不正が行われているようであれば正すためにやって来たのだ。私は総務卿であるグランド宰相麾下きかの監察官リッチー・ウルブライトだ。状況を説明して貰おう」


 一刻を争う突入中にとんだ闖入者に邪魔をされてオットーは我慢できずに大声を出す。


「うるさい、そちらこそ黙れ。警務隊の任務途中に邪魔をするな。話があれば外に警務総監のパリス・ヒュウ伯爵も騎士団長のアラン・ゾイターク伯爵もいらっしゃる。話が聞きたいのならそちらに行け。俺は警務総監の命令で任務執行中だ。邪魔をするなら逮捕するぞ。あっちへ行け」

「そちらこそ黙れ。崇高な目的のためにお偉いさんが命令するのは当たり前だ。だが、その命令を現場の責任者が適切に実行されているのかを確認するのが、我々監察官の役割だ。この屋敷はグランド宰相の第2夫人の実家だぞ。グランド宰相の許可は取っているのか」


 相手はオットーの怒りを誤魔化しの表れであるかのような、余裕の笑みで返すと、わざとゆっくりと噛んで含めるような口調で言う。オットーの怒りのボルテージが上がりそうで周りの隊員が不安そうに見ていた。当然その間、通路の仕切り扉への破壊作業も中断されている。


「もう良い。こいつを警務総監の所へ連れて行け」


 オットーの命令で警務隊員が近づくが、リッチー・ウルブライトは近づいて来た警務隊員に指を突きつけ声を上げた。


「いいのか、近づくな。監察官の業務を阻害したとして、警務隊員の資格を剥奪するぞ。誰も近づくな、いいな。それより現状を説明したらどうだ」


 元々リンたち剣闘士奴隷の襲撃を受けて屋敷に入った事になっているが、襲撃そのものが見せかけなのは全員が分かっているので、どうしても態度に躊躇が入ってしまう。元々そういう疑いや隙をついて行くのが監察官の仕事なのだ。そしてリッチー・ウルブライトは優秀な監察官だった。


「元々事情があるのは分かっている。だが監察官が来た以上、そこは明確にしなければならない」

「うるさい、黙れ。これは王配であるオルセーヌ公が直接指示された作戦だ。もしお前の邪魔で作戦が失敗したら、お前の上司であるグランド公爵の責任問題であることも分かっているだろうな。こんな時に親分の顔色を窺って良いところを見せようとするな。分かったらあっちへ行け」


 リッチーがどこで情報を掴んで乗り込んで来たか知らないが、何の連絡もしないで直接作戦に干渉して失敗すれば大きな責任が発生する。古だぬきなグランド公爵がそんなリスクを冒すはずがない。これはグランド公爵の一大事と現場に駆け付けた姿を見せたいリッチーの勇み足だろう。実際にオットーの推測は当たっていたが、リッチーはそれ以上に誇大主義的な愚か者であることを知らなかった。


「ふん、そんな言葉で騙されないぞ。おい、そこのお前。お前はこの屋敷の管理人だろう。お前、いくら警務隊だからと言って、こんな事を許したらグランド宰相に申し訳ないだろう」

「わしはリンデンブルグ元辺境伯の従者で、下屋敷の管理人を辺境伯から任されたザップだ。この屋敷はグランド宰相の物じゃない。そこは間違えんでくれ。屋敷に襲撃者が侵入したので警務隊がそれを捕らえようと来てくれたと聞いている。わしも襲撃者が扉を破る音を聞いた」


 2階でマグダレナを救出したアダムたちは、マグダレナを連れて外に出るつもりだったが、階下から聞こえて来る話に、身動きが出来ずに様子を伺っていた。マグダレナを安全な外に出したら、アダムたちはオットーと連携して2階を進み、上からゴブリンを攻めて、外のアラン・ゾイターク伯爵が指揮する騎士団の元へ追い出すつもりだった。


 だが、1階も2階も仕切り扉を破るのに手間取り、隠れるゴブリンの証拠をつかみ切れていない。今証拠を出せと言われて、救出したマグダレナを連れて出ても、伝聞証拠だけではあの頭の固いリッチー・ウルブライト監察官を余計図に乗せるだけだろう。


 階下ではリッチー・ウルブライトが監察官の地位をひけらかし、話の主導権を取ろうと話続けていた。


「何? やっぱりゴブリンが出たのか。グランド宰相からもその噂は聞いている」

「グランド公爵は何もしてくれないくせに、あれこれ余分な事を言って来る。お前も何をしに来たのだ。もし何も無かったらどっちもわしは許さないぞ」

「もういい、邪魔だ。こいつを連れて行け」

「オットー隊長、これは茶番だな。ゴブリンがいた証拠でもでっちあげるつもりか」


 的外れな議論をしていても、話は嫌な方向へ流れて行く。ここはやるしかないとアダムは考え、足環を外されても変身を戻していないマグダレナとその姿を面白そうに見ているドムトルに顔を向けた。アダムの目の色が面白そうに動くのを見て、マグダレナとドムトルは以心伝心で理解したようだ。2人とも向こうっ気が強くて人を驚かすのが大好きだった。


「2人共やり過ぎないようにしろよ。抑え気味の演技の方か伝わるから」

「ふふ、分かっているわよ、アダム。ドムトルこそ出来るのかしら」

「馬鹿な事を言うな、マグダレナ。俺を誰だと思っている。お前に見せてやりたかったよ、ザクトの密猟者の前で見せた俺の演技をさ」


 アダムたちが含み笑いをするが、ビクトールやリンたちは理解出来ずにそれを見ていた。


「ドムトル、良い? 私はすばしっこいわよ。捕まえられるかしら? えい」


 突然マグダレナがドムトルの頬を叩いて、2階の踊り場へ逃げ出した。


「や、やったな、こら、頬を叩くのは余分だろう! 待て、ゴブリン娘!」

「きゃ、怖い。可愛いゴブリン娘を虐めないで!」


 マグダレナが2階の階段の踊り場に飛び出して、玄関ホールの階段を走って降りて逃げて行く。ドムトルがその後を追って階段を駆け下り、途中で後ろから抱き着く様に捕まえて見せた。


 1階の玄関ホールで話をしていた監察官のリッチー・ウルブライトやザップ、オットーを初めとする警務隊も、飛び出して来たゴブリン姿のマグダレナを驚いて見上げている。


 その中を、ゴブリンに変身したマグダレナを後ろから抱きあげたドムトルが、再び階段を上がって行って通路の奥に消えた。


「ご、ゴブリンだ! これは本当だったのか」


 ザップが頭を抱えて叫び声を上げる。リッチー・ウルブライトは自分が見たことを確認するように周りの人間の反応を探っていた。

 そこへ2階の踊り場からアダムが大きな声でオットーへ報告する。


「オットー隊長、2階は奥の階段の仕切り扉までゴブリンを追い詰めました。ここは1階も突入を急いでください」

「よし、管理人のザップさんとこの邪魔な男を警務総監の元へ連れて行け」

「待て、俺は最後まで確認する義務が、、、、、」


 警務隊員がザップとリッチーの腕を取り、玄関へ向かって歩こうとする。リッチーがしつこく振り向いて抗弁しようとした時、オットーたち警務隊の侵入を拒んで来た仕切り扉が、痛めつけられた事を講義するかのような耳障りな音を立てながら、ゆっくりと開いて行くのが見えたのだった。

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