第135話 ゴブリンの王 狂乱のガイ(前編)

 ◇ ◇ ◇


 普通の人間がこの情景を見たらどう思うだろうか。この屋敷の中で一番広い部屋でありながら、所狭しと蠢うごめく魔物のゴブリンの様子を理解できる者は居ないかも知れない。


 だが、混沌の中に不思議な秩序があった。飯を食らう者、闇の神に祈る者、呆けたようにガイに見惚れる者、じゃれつき絡み合う者。成長への生き物の熱気があった。見た目にバラバラで混乱していたが、ただ、ガイだった者への献身的な愛情があった。それは生き物として繁殖すると言う生存への渇望と同じだった。それは無闇に熱く、無条件で絶対だった。


 玄関ホールから続く通路の仕切り扉が壊されようとしていた。ガンガンと斧を叩きつける音が響いて来る。その通路は玄関ホールからプレイルーム、食堂へと続いていた。

 食堂の中でガイだったものは臣下であるゴブリンに囲まれながら寛いでいた。何度目かの食事を摂りながら自分なりのタイミングで戦いを開始するつもりだった。


 ガイだったものは人間時代から深く考えるのは得意では無かった。これまで曲りなりにも生き残って来られたのは、天性のひらめきに従うその潔さにあった。迷いが無いその動きが、怜悧な知恵の恩恵を拒みながらも、それ以上の幸運を呼び込んでいたのだ。考えるな、感じろ、そして信じろ。信じた一手が最善になる。


 よく見ると、普通の大人のゴブリンの身長が150cmくらいと小さいのに比べて、ガイだった者の身長は180cmはあろうかと思われた。この短期間の成長は食事だけで成れるものではない。周りに居る臣下のゴブリンからの信仰とも言える献身的な魔素の提供によるものだ。臣下が集団として食らう栄養エネルギーや魔素を養分として吸い上げているのだ。


 やや痩せ型で手足が長く、両手の手の平は異常に大きくて、屋敷の武器庫で見つけた大剣を片手で軽々と振ることが出来た。皮膚は渋皮が張ったような斑紋を有しており、しなやかで頑丈だった。


 だが、その相互影響はガイだったものだけに止まらなかった。中心となる臣下のゴブリンにも変化があった。青白くぶよぶよしていた皮膚は、なめされた硬質のゴムのような質感になり、表情も引き締まって鋭くなった。唇が薄くなり、かぎ鼻で耳がエルフのように尖って来た。


 ゴブリンたちは闇の司祭が用意した武器と防具に身を固めていたが、ガイだったものと同じように、屋敷の武器庫から調達して来た武具を身に付けている者もいた。特に王であるガイだった者に付き従う近衛兵は、王の盾となるべく重武装していた。それはリンデンブルグ元辺境伯が蛮族との厳しい戦いに備えて集めて来た武具だった。優美さに欠けるが武骨で、戦いに専念する者が身に付ける一級品だ。


 突然、玄関ホールで男の叫び声が響いた。続いて言い争うような声が続き、仕切り扉の破壊音が消えた。


 ガイだった者が大きく手を挙げると、食堂のゴブリンたちが一瞬で動きを止めた。

 ガイだった者は立ち上がってプレイルームへ移動する。周りのゴブリンたちも一斉に動き出した。音も立てず、片手剣と丸盾を握りしめ、背を丸めるように低くして歩いて行く。それはガイだった者に付き従う影のように一体だった。


「戦いの時間だ」


 ガイだった者は大剣を抜き肩に担いぐと、振り向いて臣下を見た。後方から親衛隊のゴブリンが進み出て仕切り扉の閂を外し、静かに扉を開こうとした。しかし、長く痛めつけられて来た仕切り扉は、抗議するかのように耳障りな音を立てたのだった。


 玄関ホールからは、ぽっかりと開いた通路の奥に、びっしりと群がるゴブリンの集団が見えた。それは、想像以上に充満した生き物の熱気で、爆発するような圧力を感じさせたのだった。


 ◇ ◇ ◇


「いい加減にその手を放しなさいよ。スケベなドムトル」


 言われたドムトルは、さすがに顔を真赤にして抗弁しようとするが、しっかりと担ぎ上げるために、きつく抱きしめていたのは事実だった。それにその柔らかい体にドギマギしたのも事実なので、ドムトルは顔を赤くした。


「ちょっと、お前がすっごく柔らかかったので驚いただけだ」

「ふん、やっぱりね。変なところを触られた気がしたわ」

「ば、馬鹿野郎。俺はこんな時に変なところを触るような事はしないぞ」

「馬鹿ね、ドムトル。本当の私はもっと柔らかいのよ」


 何を言ってもマグダレナの方が一枚上手だった。ドムトルは顔を真赤にして黙るしかなかった。


「ちょっと静かにしろ。下の様子が分からない」

「ふーん、私は、本当はアダムに捕まえて欲しかったのよ。剣聖オーディンと同じで、聖剣で救われるお姫さまは私なんだから。母からあの伝承を小さい時から聞かせられて来たのよ。決めていたの、私も先祖のお姫さまの様に勇者に救われるってね」

「おい、マグダレナ、いい加減にしろよ。リンたちが驚いているぞ」


 ビクトールに言われて、今度はマグダレナが顔を真赤に上気させた。


「仕切り扉が開いたぞ!」

「ご、ゴブリンだ、いっぱいいるぞ!」


 階下で叫び声が続き、ゴブリンの突入で激しい戦闘が始まったのが分かったのだった。

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