第80話 下水道の追跡(前編)

 警務隊本部の部隊長であるオットーが出発の指示を出した。先頭の隊員が盾を構え、次の隊員が松明を掲げて先を照らした。下水道の入口の暗渠から、下水道に沿って続く細い道を縦一列になって進む。あまり人数が多いと襲撃を受けた時に身動きが取れないので、5人の偵察部隊を先行させた。


「オットー隊長、ここは臭いが我慢ならないですね。この下水道の深さはどれくらいでしょう」

「ここは幹線だからな、さっき竿で探らせたが、1.5mはある。落ちたら臭いが取れなくなるから気をつけろ」


 地図によると次の結節点までは約100mあった。王都は約440haあり、下水道は中心部の50%はカバーしていると考えると、結節点だけでも10×10で100ヶ所近くあるだろう。正しくマス目状になっていないが、そんなイメージでいればいいのではないかと彼は考えていた。


 セクアナム川の南側は広大な騎士団宿舎と訓練場があり、学園他文教施設が多いので後回しだ。ゴブリンが出没したとしても影響は少ない。それに比べ、北岸側の国教神殿を取り巻く工業地区と市街区は、住民も密集して生活しており被害は大きいだろうと思われた。


「午後には冒険者ギルドから、ゴブリン狩りの専門家が来ることになっている。それまで情報収集に努めてくれ」


 目の前の拡げた地図の上には、1匹のハエトリグモが停まっていて、オットーを見上げている。今は学園で授業中だろうと思うが、アダムはこの蜘蛛を通じて見ているのだろうか。オットーは不思議な気持ちになってついじっと見てしまっていた。


「隊長、その蜘蛛貰っていいですか?」


 後ろに控えていた、第6門隊から派遣されて来ている隊員が、オットーに声を掛けて来た。


「ええ?、お前、蜘蛛をどうするんだ」

「あれ、隊長もハエの鷹狩りをやるのですか」

「ハエの鷹狩りって何だい」

「第6門外の浮浪街でハエトリグモを使った賭け事が流行っているんですよ。ハエトリグモのバイヤーもいて、強いのを持って行くと良い金になるんです」


 彼の話では、『ハエの鷹狩り』と言って、羽を切って自由に飛べないようにしたコバエを大きな籠の中に放して、ハエトリグモに狩らせると言う。どの蜘蛛が狩るかで賭けるらしい。今第6門外の浮浪街では盛んに興行されていると言った。


 王立学園でガガーリン先生の魔法学の授業を受けていたアダムは、ハエトリグモの話しが出たところで、クロウに意識を引き戻した。


( 『ハエの鷹狩り』か、面白そうだ。どうせガイの事があるから一度は行こうと考えていた。ついでにハエトリグモについても何か学べるかもしれない。 )


 実はアダムも江戸時代に同じような賭け事が町民の間で流行っていたことを知っていた。雑学クイズか何かで見たことがあった。


( そうか、やっぱりどこでも同じようなことを考えるんだ。)


 アダムはクロウを獲られる訳には行かないので、オットーの体の影に入って、その男の視線からクロウを外した。オットーも地図の上で動かなかったクロウが急に動いたので、アダムの気持ちを察してニヤリと笑った。


「この蜘蛛はだめだぞ。このハエトリグモは特別で、危険を察知する特別な蜘蛛なんだ。知り合いから地下に潜るなら連れて行くように勧められたんだ。預かりものだからな」

「うっ、そんな特別な蜘蛛だと聞いたら余計欲しくなるじゃないですか」

「ダメダメ」


 下水道の前線基地でオットーが部下相手に雑談をして笑っていた頃、王立学園のアダムも連られて笑っていた。


「おい、アダム。何を笑っている。気持ち悪い奴だな」

「いえいえ、特に何も」


 突然ニヤリとしたアダムを見てプレゼ皇女が注意した。アダムは朝から上の空で授業を受けていたが、表面上は取り澄ました顔で黙っていたので、自分が思わず笑ったことも気が付いていなかった。

危ない、危ないと気を引き締めた。午後からは冒険者も捜索に参加するので、その時は自分もクロウで付いて行くつもりだった。


 オットーの居る前線基地に、午後になって冒険者ギルドから冒険者が派遣されて来た。まずは地下の下水道捜索と言う事で、駆け出し冒険者のE級の実働部隊が3組12人と、ゴブリン退治の経験がある、経験豊富なB級冒険者が1人、こちらはオットーを補佐して、冒険者の実働部隊を指揮する役目だ。


「王都の冒険者ギルド本部から送られて来た、ザンスと言う。よろしく頼む。あと、こっちの3人が一緒に派遣されて来たE級冒険者のリーダーで、ヨーク、ワンス、スミスだ」


 やって来たB級冒険者のザンスが挨拶をすると、一緒に来た3人も頭を下げた。


「警務本部のオットーだ。今回のゴブリン捜索の指揮を執っている。よろしく頼む」

「早速で申し訳ないが、状況を教えてくれ。俺たちはどうすれば良い?」


 ザンスは実務的な男だった。地方で冒険者として経験を積み、王都に出て来たところで腰を落ち着けたと言う感じだ。年齢は40代の半ばを過ぎ、頭には白髪も混じっている。がっしりとした体躯で手も大きい。今日は革製の軽鎧を着ていた。


 一緒に来た3人はまだ駆け出しで、冒険者に成ったばかりだろう。10代の後半に見えた。冒険者ギルドは10歳から登録できるが、やはり活動の中心は10代の半ばからだ。スタートは便利屋のような雑務から始まるが、この3人は入って3年位で、そろそろD級へ昇級する辺りに見えた。


「ケイルアンのゴブリン退治の話は知っていると思うが、実は背後に騒ぎを起こそうとする輩が居ることが分かって来た。これはまだ極秘にされているが、ゴブリンの繁殖を促す母胎を王都にも持ち込まれたようなんだ」

「ゴブリンの繁殖を促す母胎?」


 ザンスと3人の冒険者が驚きの声を上げた。


「そうだ。どうも母胎となる人間の女性とそれを世話して仲間を増やすゴブリンをセットにして、ここから持ち込まれたようなんだ」

「それって、その女の人はどうなるんだ?」


 オットーがケイルアンで見つかった女性の死体の状況を説明すると、その姿を想像したのか、3人のE級冒険者は声も出ないようだった。


「ケイルアンでは1つの母胎から56匹のゴブリンが産まれている。それが5体持ち込まれたようなんだ。それが基になって更に繁殖されたら、あっと言う間に王都に拡がってしまうだろう。何としても今の内に処分したい。協力してくれ」

「持ち込んだ奴は分かっているのか」

「ああ、暗殺ギルドの奴が実行犯っだが、その背後にいる黒幕はまだ分かっていない。そっちは警務総監が直々に指揮を執って捜索している」


 オットーが下水道の地図を見せて、今いる場所を示して説明した。


「ここをスタート地点として、下水道の幹線沿いに結節点を潰していく。その結節点の支流を調べて、怪しい場所が無いか調べて行く。ゴブリンは下水道を通路として、巣になる場所を探していると思われる。もう見つけて繁殖を初めているかも知れん。地上からは警務隊の第6門隊が怪しい場所を捜索している。我々警務隊が連絡と全体進捗を管理するので、冒険者のみんなには、結節点からの支流を潰して行って欲しい。人手が全く足りていないんだ」

「分かった。俺は冒険者ギルドと連絡を取って、実働部隊をもっと集める。まずこの3組から先行させる。準備としてお願いがある」

「何でも言ってくれ、用意する物があれば準備する」


 ザンスは少し考えてからオットーに必要な資材を上げて行く」


「まず、先に進む時にボートが欲しい。下水道の脇道は細くて動きづらい。ボートに荷物を載せて沿道と一緒に進んで行くのが良い。戦闘になった時も、細い道に縦一列で進んでいては戦えない。後は地図とロープ、照明器具ぐらいか。

 上の建物側から汚水や糞尿を落とすのに、落とし口の穴しか無ければ、さすがにゴブリンも登って行けないだろう。という事は、上の建物もそれなりに大きくて、保守用の通路を作っているような場所が狙い目だと思う。上の部隊も建物の所有者にその点を確認する様に指示してくれ」

「分かった、ボートは早速用意する。他にいる物が出て来たら遠慮なく警務隊に申し出てくれ準備させる。それと参考意見は助かる。話は警務総監にも通しておく」


 オットーは早速部下に指示を出して準備させた。そろそろ先行部隊が最初の結節点に着いて、周りの状況を確認している頃だろう。もう直ぐ連絡があるに違いない。

 ザンスもE級冒険者の1組を先行させた。ボートが来たところで、後の2組も後を追わせるつもりだ。


「オットー、冒険者ギルド本部にはザクト支部からケイルアンのゴブリン退治について、詳しい報告が来ていた。俺もそれを読ませて貰っている。王都でもアダムたちが協力しているのか」

「ほう、アダムたちの事も知っているのかい。実は彼らの情報でこの場所も分かったんだ。今も協力して貰っているよ」

「七柱の聖女の仲間と会えるのは楽しみだな。アダムたちはケイルアンのゴブリン退治だけじゃなくて、ザクトでも色々起こった事件に協力してくれていたようだ」


 オットーはザンスからアダムたちがザクトで遭遇した事件について教えてもらった。密猟者の逮捕や領主主催の狩猟会への荒れ熊の乱入騒ぎ、街道を荒らす赤狼退治と、色々聞いてみると確かに特別な力があるのが分かって来る。今もここにアダムの使う蜘蛛がいる事を思うと、年齢に似合わない本当に不思議な少年だと思った。

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