第81話 下水道の追跡(後編)

 ◇ ◇ ◇


 頭の中にゴブリンの父の声が響いた気がした。急げとその声は言っているようだ。今ちょうどゴブリンの母から15匹目の兄弟を取り出したところだ。先に生まれた兄弟たちもまだ小さい。人間が作ったこの穀物倉庫は、長い間放置されてうちこぼれていた。壁の隙間から漏れる光の中で辺りを見渡す。自分が何かと世話をしなければいけない。


 荷箱の蓋を開けられて覗き込んで来た人間とその仲間を短剣で刺し殺したが、それが障害とならないか不安だ。一緒にやって来た兄弟たちとは、下水道の暗渠あんきょで分かれたが、兄弟たちの幸運も闇の神に祈ろう。 


 女は夢うつつとした意識の中で考えていた。今は恒例の儀式を終えて、子供たちを産んだ疲れで苦痛を感じていたが、一方で達成感に高揚していた。何も見えず、何も聞こえず、手足と言う肉体の束縛から解放されて、ふわふわした浮遊感と多幸感に包まれていた。


 しきりに思い出すのは、一緒に孤児院で育ったリンのことだ。随分小さい時にリンは剣闘士に貰われて行った。手を振って別れた時の悲しみも懐かしい。彼女も戦っているだろうか。苦痛に満ちた幼少期だった。それを救ってくれた光真教の孤児院と仲間だち。この矛盾に満ちた世界を闇の神が一新してくださるだろう。


 母の体を拭って汚れを落とした。これから食事を与え、毎日の儀式に備えるのだ。快楽と苦痛の儀式。私は母を世話する長兄として一族を守っていく。


 ◇ ◇ ◇


 暗渠の前線基地にボートが届いた。ザンスは残っていた2組の冒険者たちを送り出した。


「オットー、我々も行こう」

「ちょっと、待ってくれ。今警務総監宛の報告を出すところだ」


 オットーは控えていた第6門隊の担当者に、地上で指揮を執っている警務総監宛の報告書を渡した。箱の上に広げていた地図を折畳みボケっとに入れる。手を伸ばしてアダムの蜘蛛を袖口から登らせて、自分の右肩に止まらせた。振り向いて歩こうとすると、ザンスと目が合った。ついと目を逸らされたが、自分が蜘蛛に気を掛けているのを不思議に思っているのは分かっていた。いずれ彼にも話さなければなるまいと思った。


「オットー隊長、先発組から来ました。報告があります」


 目の前に先発隊として送り出した一人が戻って来ていた。下水道の通路を急いで戻って来たのだろう。衣服は汚くよごれている。通路の途中で汚物も被ったようだ。警務隊の制服が無残な状態になっている。


「隊長、最初の結節点に着きました。周辺の分岐路を仲間が確認中です。自分は最初の連絡で戻りました」

「どうだ、何か進展があったか。報告があったら言え」

「はい、幹線の水路に直接落とし込む汚物はないのですが、支線によっては塵で詰まったようなところもあって、通路に噴き零れたようなところもあります。これから行かれるのなら、何かマントか被るものがあった方が汚れないでしょう。あと、ネズミやイタチのようなものもいるようです。支線に逃げて行く後ろ姿が見えました。水路の中にも何かいます。魚だと思いますが、結構大きな影が見えるので、ちょっと入る気がしないですね」


 隊員の報告を聞いているだけで中に入る気がしないが、こればかりは自分も入って見なければ分からない。


「後から冒険者のチームも来て、ボートともすれ違いましたが、とにかく足場が狭いですからね。ゴブリンかどうかは分かりませんが、通路を通った跡はずっと奥まで続いています。荷船はもっと先に持って行かれたんだと思います」


 とにかく用心しながら進んでいたので、随分時間が掛かったと言う。安全が確認できた結節点が確保されて行けば、その後の連絡に時間はかからないとの報告だった。まだ巣になるような出口は見つけていないと言うが、それは当たり前で、支線の先を見て行かないと地上へ出る場所は分からない。


 オットーが地図に記録を点けたところで、担当者は奥に戻って行った。


 ◇ ◇ ◇


 闇の司祭が地下室から出ると、浮浪街の孤児院の院長が挨拶をした。院長を見た闇の司祭の顔が満面の笑みでほころぶと、黒いガラス玉の眼が隠れて、優しい顔になって挨拶を返した。


「良くお眠りになれましたか。地下室は掃除したつもりですが、その下に下水道が走っているのか、ネズミがうるさかったでしょう」

「ありがとうございます。突然お伺いをしてお世話になります。しばらくお邪魔するつもりですが、構いませんかな」

「ええ、結構ですとも。いつもご支援を頂いて、この孤児院は成り立っているのですもの。子供達も司祭様がいらして喜んでいるのですよ。これから毎日のお祈りも充実したものになるでしょう」

「ああ、ありがたいことです。このご神像の下に私の部屋があるなんて、神にお守り頂く気持ちです」


 闇の司祭が言う神像は、孤児院の入口を入った直ぐの、ロビーの正面に置かれていた。孤児院に入って来る人は、まず正面のこの神像にお祈りを上げることになる。孤児院の子供たちは、決まりとして入る時も出る時も、必ずこの像の前で一度跪いてお祈りを上げる習慣になっていた。


 闇の司祭は改めて神像の位置を手で探って確認した。ここでお祈りを上げる度に、人の祈りで集められた魔素が、ちょうど真下の地下室に描かれた魔法陣に流れ込むように配置されているのだ。

 当然この神像は光真教の神像ではない。闇の司祭もここでは七神正教の司祭と名乗っているのだ。七神正教の神像に祈りを上げることが、闇の御子のために使われているなんて、誠に皮肉なことではないかと、闇の司祭は内心でほくそ笑むのだった。


「司祭様、ここにいらっしゃったのですか。お探ししましたよ」


 フード付きのマントを被った獣人が孤児院に入って来て、闇の司祭に声を掛けた。男は院長に黙って頭を下げると、司祭に近づいて小声で話かけた。


「いいのかい、こんなところに出て来て」

「ふぉっ、ふぉっ、お前こそ良いのかい。お前のような怖い男に孤児院に来られたら迷惑だろうぞ」

「何の不思議もねぇよ。俺も孤児だった。それより、あの暗渠が捜索されてる」

「向こうで手間取ってくれれば良い。ここの地下とは別系統だわ」

「それと、救世主教の神の子が動いているらしい」


 神の子という言葉に反応して、闇の司祭の笑顔が止まった。2つの黒いガラス玉の眼が表れると、闇の司祭の顔は暗い虚無を醸し出す。思案するような声で言う。


「なに、そちらもまだ幼い」

「あのアダムと同い歳だぞ。これは偶然じゃねぇ」

「何を慌てている。もう行け。 ”闇の御子はいずこにおわしても見ておられる”」

「ふん、死は慌てることはない。 ”闇の御子はいずこにおわしても見ておられる”」


 ◇ ◇ ◇


 オットーはザンスと一緒にボートに乗って進んでいた。下水道の側道を部下たちが1列になって進む。最初の結節点まで進むつもりだったが、途中の支流にE級冒険者のボートが停まっていた。


「どうした、ヨーク。何か見つけたのか」

「はい、ザンスさん。この支流の直ぐ入った所に、用水の落とし口があるのですが、レンガが壊れていて、そこから上に登れそうなんです。水は流れてないので、ずいぶん前に壊れているのか、上の施設に人がいないのか、ちょっと気になって」


 オットーの背後からザンスが声を掛けると、E級冒険者のリーダーのヨークが返して来た。オットーが見ていると、ヨークの仲間が竿を上に押し込んで、中の様子を見ているのが見えた。


 オットーが地図を広げると、その上に肩口に停まっていたクロウが飛び乗って来た。そのままジャンプして前に着けたボートに飛び移ると、ヨークの足から背中を通って走り上がって行く。冒険者たちは全く気が付いていないが、オットーとザンスはその様子を見ていた。


「オットー、後で話がある」

「分かってる。でも今は様子を見よう。地図で見ると、この上は倉庫街だな」


 オットーは側道を歩いている部下のひとりに言って、前線基地に戻って地上部隊に連絡するよう指示した。地上からも不審な建物を探す手配をする。


 アダムはこんな暗い場所にはどこにでもいるような蜘蛛に見えるだろうと考えていた。人間は注意をしなければ、居ても可笑しくない小さな虫を見て不思議に思う人間はいない。カビや苔で汚くまだらになったレンガの壁を、するすると登っていった。


 意識しなければ臭気も翻訳されないのか気にならなかったが、意識した瞬間、クロウが感じる臭気が人間のそれに変換されて我慢できない位の悪臭になって伝わってくる。


( 感覚を遮断したら、偵察にならない。これは厄介だな。)


 穴を抜けて上に上がると、そこは資材を洗浄する洗い場の床の上だった。更に壁を上がって行くと、360度全体像が見えて来る。これは視力が悪くても8個もある利点だなと思う。良く見える2つも目に集中して、頭を動かし状況を確認した。


 すると、壁の割れ目から漏れる日の光の中で、片隅に固まるように集まっている生き物の一団が見えた。放り出された猫の死骸に群がるゴブリンの子供たち。中でも一番大きな個体が何か見られている気配を感じるのか、頭を上げて周りを見渡している。魔物の生存本能は恐るべきものがある。


 アダムはもっと上に上がって天井にへばり付いた。そのまま中央に進んで行って、もっと視野を広げるべく移動する。すると、仕分け用の棚や配送用の出入り口の扉も見えた。部屋に落ちている麻袋などを見ると、ここは穀物か農産物の倉庫だったように思えた。


 奥の壁に囲まれた一隅に、何やら即席の祭壇のようなものが見えた。そこに大人のゴブリンが数匹固まっている。その中央に布を被せられた塊りがあった。ゴブリンたちは何か呟きながら、その塊りを布の上から大切そうに撫でている。お祈りをしているようでもあった。


( これは、もう明らかだな。急いで戻ろう。)


 アダムはクロウを走らせ、天井からさっき登って来た排出口へジャンプした。こんな時ハエトリグモは便利な機能を持っている。尻から出した蜘蛛の糸で途中でスピードを殺して、天井から落ちても怪我をすることはない。穴を下から覗いている冒険者の顔を見ながら、急いで降りて行くと、その冒険者の肩口からオットーの方へジャンプした。


( 下は汚い下水道か、落ちたら溺れ死に? )


 再びオットーが目の前に広げた地図に載ると、オットーが渡して置いた文字盤の紙片を拡げた。戻って来るまで1分も掛かっていない。クロウの偵察能力は本当にすごい。


 アダムは聞かれる前に文字盤の上を動いていた。『 はい 』の欄に止まって結論を伝えたのだった。

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